227、行きたい
「あそこまで行きたい」
目の前のおじさんを見る。
今この場で方法を持っている可能性が高いのはこのユラおじさんだろう。
船を管理しているなら小型ボートとかあってもおかしくないのでは?
いや空で小型ボートは色々な意味で厳しいか?
船外環境の確認や修復は無人機もといタマゴが使えるもんな。
人間扱い必要ないからタマゴに引っ付いて向かうという手もある。
ただタマゴを使う手は最終手段になるだろう。
絵面というか、相手の心象的にやばくなるだろうから。
積極的に人外アピールするのは決していい事ではない。不審につながるから。
「なんだって?」
耳が遠いマネはしなくていい。
相手からしたら信じられない事を言ったから思わず聞き返したんだとは思う。
多分俺はここから落ちても死なないが、だからといって船が沈むのはいただけない。
目の前でクモの巣にかかって死にそうなチョウがいたら救いたくなるエゴだろう。
クモだってご飯を食べなければ死ぬし、そのチョウを食べられなければ死ぬかもしれないのに。
見た目が、行為が、きれいに思えてしまう方を選んでしまう。
それは自分のためか、他人の目のためか。結局それはエゴの塊なんだろう。
取捨選択は結局自分のためか。何偽悪的になっているのだろう。
叶えてくれるなら穏便に。叶えてくれないなら強引に。
自分の望んでいる事象に向かうためなら。自分にそれが出来る力があるなら。
ただ手をこまねいて、何もやらないでいるのはただの怠惰だ。
「リク君のところまで行こうと思う。手を貸してくれるなら貸して欲しい」
手を貸さないなら勝手に行くともいう。
カメラを動かしつつリク君と船の位置関係を探る。
リク君の機体からでは上手く船影を確認できない。
船のカメラからだと離れたところに黒い塊がある様に見えた。
空の上の問題って距離感がつかみにくいところにあるな。
慣れていないからというのもあるけれど、情報が少な過ぎて目測距離が算出できない。
雲のサイズって地上からだと綿菓子みたいでつかめそうだが、1つの畝で数百メートルある気もしている。雲がないところなんて基準とするポイントもないから何も言えない。
どのくらいの威力で跳ねれば向こうまで行けるのだろうか? 跳ねていくのはムリか?
俺の体重を40キロとかとして、この船体例えば4トンを蹴った場合どれ程進める?
船体を1m動かす威力で跳ねたとして、だいたい100m進めればいい方か?
仮に10キロのところにいるとしたら、船体を100m動かす程蹴らなくてはいけない? 壊れるわ。
「何を言ってるんだ?」
船体の表面積とか上空で弱まっているだろう空気抵抗とかもろもろ計算したらそんなに動かないとかあるだろうな。
空気抵抗考えてみると船が壊れない程度の力で蹴った場合、希望の場所には届かないだろうな。
タマゴを蹴り飛ばした勢いで飛ぶ? そのタマゴは地面に当たる前に空気摩擦で赤熱化からの蒸発したら被害なくいけそうな予感。
……それほどの勢いで蹴り飛ばせるだろうか? 体内にどれ程のエネルギーが残っている?
空気抵抗とか考えると板を跳ね飛ばすのがいいのか? 体積に比べて表面積が多ければ蒸発までの時間が短くなるはず。そうすれば周囲への影響も少なくなると思う。
人を傷つけないで行けるならそれが至上。
これって宙を翔けると足元が赤く燃えるという厨二演出が自力で出来る可能性があるのか。
なんなら空気そのものを蹴って進める可能性はあるだろうか? さすがに厳しいか?
同一流体ではエネルギーがすぐに分散してしまうから難しいか? でも詳しくないし悩むな。
しかし確か100mくらいの高さから自由落下すると、落下地点の水面はコンクリとほぼ変わらない抵抗を示すとかなんとか聞いた事がある。
それに近いエネルギーを瞬時にかければ踏みつけたモノを燃やして跳ねる事が出来るのか?
どんだけの力が必要なんだよ。計算してみるか? めんどくさいな。
自由落下なら 質量×重力加速度×高さ で、重力加速度はだいたい 9.8だったかな。
速さが 2×重力加速度×高さの平方根 で求められるわけだ。大分めんどくさいな。
成人男性が80キロとして100m落ちるエネルギーはだいたい 8万ジュール で 秒速45m?
それ以上の力を瞬時に出せば跳べるかもしれない? どうやるんだよ。
まずこの身体でその力を出すために身体をどう使うかが問題になるよな。
身体強度はお墨付きだろうが、構造的問題で出せる力は限りがあるだろう。
生身の肉体だった時垂直跳びで1mも飛び上がれただろうか? 2mはほぼムリだっただろう。
壁とか蹴ってさらに上にとかは出来ても、素の跳躍で上がれる高さなんて限界値が決まっていた。
空気抵抗を利用してその時その一瞬そこに地面があるかの様な振舞いが出来たとして、どれ程の速度が必要だろうか?
あぁ、またムリな理由を積み重ねている。
というかだ。よく考えてみたらこの身体は前に家程の大きさのカニを吹っ飛ばしただろうが。
出来るんだよ。出来ると思えば出来るんだよ。
力の理由は魔力なんだ。理屈はそれでいいだろうが。
弱気が過ぎるんだ。理屈なんて後でくっつけりゃいい。
「どこに行くんだ?」
ここから出るにはどこから行けばいいだろうか?
とりあえず艦内を歩いてみれば分かるか。
扉とかも見つけないとダメだろう。
少なくとも気密室はどこかにあるはずだ。リク君が船外に出ているんだから。
高空では空気は貴重である。息するだけでも使われるが、それ以前に気圧問題がある。
……そもそもここは高空なのだろうか? 周囲の空気が軽ければ浮力が足りなくなるだろう。
高空で飛行船の浮力が維持できるかが分からない。
船の下に雲があるからある程度高いところにあるとは想像できるが、どうやってそれを成し遂げているか分からない。
雲って富士山の上にもかかるんだから4000m近いところまではけっこうあると思うんだ。
あーもう。やっぱり情報が足りなさ過ぎる。
そもそも前世の知識も大分あやふやだというのに、それで何かを割り出そうというのが間違っているのか。
重力が同じだという保証もない。空気の組成すら違う可能性が高い。気圧を計測する方法すら手元にない。
「待て。シロ君」
声が近い。
振り返るとおじさんがいた。ユラという先ほどのおじさんだ。
若干息を切らせている。走ったのかもしれない。
でもどこから表れたのだろう? わからない。
どこかに扉があってそこから出てきた?
どこに扉があった? 分からない。分からない。
足音も聞こえなかった。理解が出来ない。
意識を内側に潜らせ過ぎた。注意力も低すぎる。
この状態でどうやってリク君を助けるというのだろう?
要救助者を増やすだけではただの足手まといなのだ。
「何?」
生意気かっ! いやまぁ、そういう演技しているのだけれどさ。
にしても何故急に出てきたのだろうか?
壊される危険を考えたか? どてっぱらに大穴を開けられたら沈むし気になるか。
言葉だけ見れば不穏な事しか言ってないから余計に。
演技とはいえひどい。
しかし演技しなければ声が出せないまである。
立ち位置がふざけすぎなんだよ、俺は。
「君は何をしたいんだ?」
疲れた顔をしている。
理解できない人種と相対していると余計な気を回す必要があるから疲れるよな。分かる。
慣れない事程やる事への精神的疲労の大きさがすごくなる。俺もそうだもん。
だがしかしそれでも立ち位置が敵味方分からない現状これが最適判断だと思われる。
一応言うが発言の仕方は俺の本意ではない。こんな敬語も何もなっていないクソ生意気はご免である。
ただ重ねた年月には特に何も思わないが、仕事を熟し人間関係を続けてきたその経験などを尊ぶ。
目の前のおじさんは前傾姿勢になり目線を合わそうとしてくれているのだろう。
だが残念ながらブルドッグに近い顔が疲れている様子など含めて威圧感がすごい事になっている。
普通の子供なら泣くだろうな。俺は……多分前世での小さい時に会っても何も思わなかっただろうが。
「リク君は多分危機に陥っているだろう。だから助けに行く」
物怖じしないというよりも現状と同じだ。
内側に意識が向き過ぎて外への興味が薄い。
だから怖い人が相手だろうとその人への興味が続かない。
そもそも自分の肉体に対して大した価値を感じていなかったというのも大きそうだ。
精神的に壊れているのだろう。昔から。だから何も思えなかった。
今も一度死んだからもうどうでもいいとか思っていないだろうか? あり得る。
この辺りを直さないと人間になるのは厳しいだろう。
はい。りぴーとあふたみー。命大事に。自分の命は大事。OK?
人の命を大事にしておきながら自分どうでもいいは心の健康上良い事ではない。
「……わかった。ちょっとこっちに来い。格納庫に案内しよう」
すごいやれやれ顔で言われた。






