192、声
廊下はちょっと薄暗い。こういう仕様なのはわざとなのだろうか?
浴室は白く明るく作られていたのだ。廊下も明るくする事は容易いだろう。
……いや、難しいのだろうか?
魔法の仕組み的に点で灯すのはやりやすい。
そこに光を灯してくれと頼めばいいのだから。
だが線で結んでとなると範囲も広くなり魔力の必要量は大きく変わるだろう。
電気は回線があればその線上から冷蔵庫でも電球でも自由に付けられる。
もちろん電気を使えばエネルギーとしては減るし、輸送時の減耗はある。
だとしても色々な方法で作れて、どこにでも輸送出来て、色々な事に使える。誰であっても。
地球という世界はほんと便利極まりない技術ばかりだったんだな。
暗い廊下。裸足で石で出来た暗い通路を歩くと不思議な気分になる。
床暖房のおかげで冷たい床ではないのが、なおさら気分をおかしくさせる。
さながらマグマや砂漠の近くの隠された人工洞窟に潜入中みたいな。冒険気分だな。
耳を澄ませているとカチコチという振り子時計の様な音が聞こえる。
何が作用しているのだろう? 振り子時計の音は速度を一定にに保つ器具のせいで出る音だっけ?
歯車同士がぶつかる音だとしたら100年も動き続けられるわけがないもんな。
何かを等速に保つために出している音?
何を等速に保つのだろう? 燃料をくべるペース?
音の鳴る方に向かえば何か分かるだろうか?
好奇心のままに向かうとかネコかな?
俺の性質としてはイヌかヘビ辺りだと思う。
どちらも行動は堅実寄りだろう?
問題。今俺はどうするのが正解だろうか?
あの女の人を探す? 行きに通った道を通って部屋に戻る? 音の出所を探す?
無難なのは来た道を戻る方だな。面白いのは音の出所を探す方か。
女の人を探すのは……無謀? 声を出して呼びながら歩く?
これ実は一番面白い出会いが起こるルートかも?
ある意味一番子供らしく、無難な選択肢でもあるのか。
声を出す……。そういえば声を出す事を躊躇している事が多いな。
声に出す事なく、物事を内側で完結させている。これはけっこうな問題なのではないだろうか?
声を出す事が1つのハードルになってしまっている気がする。
声を出す事に慣れていない。昔からそうだろう。出す必要性を見出せなかったのだ。
驚いたとしてもあまり声や動作にならなかった。これは社会性動物として異常だ。
声や動作は周囲の仲間に状況を伝えるために重要なモノだからな。
声や動作にどれだけの意味を持たせられるか。
どれだけの脅威が迫っているのか、どれだけの宝物や食料がそこにあるのか、喜怒哀楽はそれらを強弱含めて教えてくれる。
それらを俺は不要としてきた。伝える相手がいないと思っていたから。そこがおかしいのだ。
俺は声を出さなければいけない。自分の状況を周囲の人に伝えないといけない。
周囲で何をしているかが分かる事で色々動く指針は立つというものだ。
だから困っていなくても声を出さなければいけない。それが集団の一員になるという事だ。
ここで俺が勝手に動き回るのはよろしくないだろう。
人間になりたいなら集団の一員になるべきなのだ。
ゲーム画面の前のプレイヤーではいけない。
「お姉さん」
声が小さい。
「お姉さん!」
喉で声がこもってしまっている。
どんだけ声を出す事に抵抗があるのだろう。
自分の居場所を主張するのがそんなに嫌なのか。
「お姉さーん!」
嫌なのだろう。俺にとってこの世界は俺の世界ではないのだから。
そう考えているから他人に関係する事を恐れてすらいる。
何を話したらいいかわからないというのは詭弁なのだろう。
「私、お風呂出たよー!」
良く分からないものが怖い。答えが出ないものが怖い。
いや違う。下手に近寄って怒られるのが嫌なんだ。
そもそも怒るという行為が理解できないんだ。
俺はそこまで人に近づかない。だから余計に理解が出来ないのかもしれない。
見ず知らずの人に怒鳴る人は食料や個人のスペースが十分にない猿と同じだと思った。
ルールの押し付けをするのはそうしなければ自分の世界が壊れると思っているからだろうと。
だがそれをそこから踏み込んで考えられない。
そもそも怒って何になるというのだろう? もはやその元気が羨ましくすらある。
言って変わらないモノは何か理由があるのだろう? それを改善しない事には変わらないだろうに。
「お姉さんーっ!」
俺なら状況を把握してから行動するだろう。
分からないから出来ない、心情的に抵抗がある、何か人間関係が影響して出来ない、色々個々人に理由があるだろう。
解決が面倒くさければ見捨てて別の方法を探すに違いない。怒鳴って解決しようとはまず思えない。
あぁ、こういう部分もダメなのだろうか?
こういうのは冷たいというのだろうか? 機械的で冷たい判断と。
ダメなんだろうな。
でもわからないな。
集団とは究極的にいえば楽をするためのものだ。
そこから外れるのはおかしいはずなんだ。
思えば冗談という風習もおかしい。仲間内で嘘を言い合うというのは理屈がないだろう?
嘘から出た実? 通常から逸脱する事で思考の幅を広げる?
それにより視野を広げる事が出来るとかそんな事があるだろうか?
何回かお姉さんと声を上げたけれど、なんか「お母さん!」と言って泣く子供が頭に浮かんだ。
俺は誰かを呼んだ事があるだろうか? ない気がしてならない。
前世の両親に対しても「お母さん」と呼んだ事があっただろうか?
考えれば考える程、自分が人間と思えなくなる。
俺の前世がああいう風になったのは俺が原因だろう。
結局そこが変えられない限り、俺は人間になれない。
自分が1匹1種の何かだと思っている限り変わらない。
どんなに自分を人間だと思えなくても人間だと思わないといけないのでは?
人間になろうと思っている段階で、自分が人間だと思えていないのだから。
人間じゃないと思う事をやめろとはなかなか無茶な話だな。
「あ、いたいた。ごめん、待った?」
今俺はいったいどんな顔をしているのだろうか?
お姉さんの顔はすごく戸惑っている様に、申し訳なさそうに見える。
泣きそうな顔でもしていただろうか?
魔力はどれだけ残っているかも分からない。
ただ残り少ないだろう。マイナス思考に陥りかけるのだから。
生き残るためには人間になる……俺が人間だと認めなければいけない。
散々人間である事を否定し続けておいて何を言うんだかとは思う。
しかしそうは言われてもここを変えなければ俺は生き残れない。
俺は自分が人間だという事を否定したいとか思っていないよな?
「ううん、待ってない」
俺は人間という存在をどう思っているのだろう?
羨ましい? 眩しい? きれい? 本当にそうだろうか?
本当にそう思っているのだろうか?
薄く感じていないか? 何もかも。
見える情報がどれも浅く感じていないか?
表面的な情報だけで全てが読み解ける気がしていないか?
なんで人間が薄いと思う? 俺が深く関わらないからだろう?
浅い付き合いしかしていないから、表面的な言葉しか見えない、触れない。
でも深い付き合いってなんだろう? 分からない。
「そっか、なんか悲しそうだね? 話せる事があったら聞くよ?」
話せる事とは何だろう? 分からない。
何を話せるというのだろう? 分からない。
話して何になるというのだろう? 悪い方にしか頭がいかない。
でも話さなければ前に進めない。
前に進まなければ俺はエネルギーが切れる。
あの神様が言う事が正しければ。
本当に何をどう話せばいいのだろう?
そうだ、まずは名前を聞いてみよう。お姉さんの名前、まだ知らない。
「私の名前はシロ。お姉さんの名前は何ていうの?」






