177、クマさん「かなり恐怖を感じた」
クマ。熊。くま。首をそらして見上げる程高い位置に頭がある。3m? 大きい。
この季節でクマに出会うのか。今は夏というか……微妙な感じだな。ここは常春なのか?
冬眠前の食事とか繁殖期の気が立っている時とかならわかる。
クマの繁殖期は春だがここに冬眠明けとかないよな……。
まずここに季節があるのかわからない。あまり四季を感じられた事がないんだ。
3年近く生きて四季を感じた覚えがない。過ごしやすい気温であり続けた。
日は登り落ちるというのにここは惑星じゃないのだろうか?
目の前のクマは大きい。寒い地帯とかでもないのに大きい。
生存競争の関係だろうか? 四足歩行の状態で頭が木の先と同じ高さにあるって酷いな。
大きさから考えると肉食よりも草食よりのはずだ。クマも俺と出会って驚いている感じがする。
相手のクマからしてもイレギュラーの遭遇だったのかもしれない。
通常の生物は大なり小なり体から魔力を放出しているそうだ。普通ならそれで気付けるのだろう。
しかし俺は放出する事なく生きている。だから存在を知覚出来ずにここまで接近してしまった。
鼻にしわを寄せ低い唸り声をクマは轟かせる。瞳に敵意が乗っている。
異物を目にした時の正常な反応だろう。近寄るなというモノに違いない。
だがこのサイズだからといって俺を殺す事は出来ないだろう。
大きさは質量であり力だ。だがこのクマよりもあの異世界生物の方が大きい。
あれに比べたらこのクマの質量は半分より足りない程度。ニーナと同程度。陸上で半分もあるというのがやばいが。
結論。俺を壊す事が出来ない。とりあえず目の前のクマは恐れるに足りない。
無視だな。さっさと通り過ぎるとしよう。
とりあえずこの森を抜けたい。真っ直ぐ進めばいつかは道に出会うだろう。
腕の長さから見てだいたい10m離れていれば必要以上に刺激したりしないだろう。
とりあえず目を離さず横にずれて。
あ、腕がすごい太い。毛並みは茶色混じりの黒。木がそこそこ密集している仄暗いこの森では見えにくい色合いだな。
クマが動いてから動いた方が刺激しなかったか。さっさと動き過ぎたかもしれない。
これが走馬灯というのか。いや、走馬灯は死の瞬間だけか。
死ぬかもしれないと認識してしまう衝撃、恐怖に対して体感時間が伸ばされるのは何というのだろう。
前世であれば確定で死だが、この体なら撃ち込まれるクマの腕に対して腕を構えれば問題ないはず。
こう見るとお互い近づき過ぎていたのがよく分かる。2、3mしか離れていないしな。
妙な行動をとり始めた不審物に手を出すのはしょうがない。
人間と違って存在による周囲の繋がり以外気にするものがないのは楽だ。
クマの腕が秒でミリ単位で動いていく様に見える。どれだけ感覚が遅延されているのだろう。
俺の体は防御態勢が既に整っている。どうやらこの程度の速度、この体にはまだ遅いんだろう。
最強は願っていないが、耐久力が高い事で移動の衝撃に対する耐性がついて速く動けるとかだろうか?
さすがに今から逃走態勢に移した場合、間に合わなかった時が面倒だ。
攻撃を無防備に受けたところで無傷だと思うが、質量の低さを考えるに踏ん張れない場合どこかに飛ばされてしまう。
……叩き下ろしを受けたらこの踏み固められていない柔らかい腐葉土だ。深く沈みこむな。
思うんだがこの速度で動いている場合、相手から見たらやたらと小刻みに高速で揺れている様に見えているんじゃないだろうか?
クマから見た場合視覚的に怖いと思うんだが、どうなんだろうか? 不審なモノが不審な怖いモノになりそうだ。
思考に余裕が出てきたからか、秒でセンチ単位くらいになったな。あと3秒くらいかかるかな? これ? ゆっくり過ぎてあくびが出そうだ。
あ、肉球が可愛い。わざわざ爪みたいな硬いところに触る必要はないし、肉球に手を置こう。
俺の手に対して肉球が大きいな。小さなわんことは違って表面がざらざらしている。ちょっと鱗状でざりざりしているな。
でもこのざりざり感好きだな。指の隙間とかそこそこの剛毛だけど体表と違って柔らかめなのがいい。
肉球の隙間ってツルツルしていて温くて気持ちいいんだよな。
爪も……あー、やっぱそうだよねぇ。黒くて硬めな表層と中心部の柔らかい部分に分けられているが確認できるな。
わんこみたいに爪切りをしていないから鋭くなっているけれど、木とかで研いでいるのかな? 少し表面が潰れている。
雑菌が溜まっていそうだから掻き傷が出来たら普通の人だと破傷風とか発症して面倒だろうね。
破傷風菌は嫌気性細菌。酸素があると活動が衰えるので空気中に比べ酸素が少ない体内に侵入しようとするとか習ったな。
生のハチミツに多く潜んでいる事が多いボツリヌス菌、あれも嫌気性細菌だった気がする。
ハチミツに潜むボツリヌス菌により、消化器官が弱い赤ちゃんは病気になる可能性があるから、上げちゃいけないんだったか。
は……内なるケモナーが暴れていた。最近もふもふ成分低かったもんな。
ずしっと重いがゆっくりと外へと力を逸らせば問題ない。足元が耐えられないのが最大の問題か。
足元が耐えられないなら沈む前に足を移動させる。懐に入る様に進めばいいかな。
獣臭い。でもそれがいい。ゴワゴワしている表面の毛。その下は柔らかい毛。
柔らかくもしっかりついた筋肉の上に脂肪がそこそこついている。
ちゃんとご飯を食べている体つきだ。毛並みからしても栄養状態がいいのはわかっていたが、本当にいい体つきだ。
ぎゅっと抱き着いてしまった。アンダーファーに突っ込んだからすごい温かい。
水浴びとかしっかりしている個体だと思う。臭いはするが腐った酸っぱい臭いはしない。
飼われているわんことは違う。でも自然にいる個体としての野性味がいい。
普通このサイズの獣だとダニとかがたくさんいるはず。
野生のシカが死んだ時そこから逃げ出す虫の数に驚くとかマタギの話にあったような。
泥浴びなどをして乾いた泥と一緒に落とすとか聞いた事があるけれど、このクマもそういう事をしているのだろうか?
野原に駆け込んだわんこにすぐダニが着くのを知っている。
10分と経たずに着くダニを思うとこのきれいさはすごい。
すごいきれい好きのクマさんだな。
魔力を使ってダニを排除している可能性もあるか。
漏出する魔力を使って軍人さんが蚊を追い払っていたんだ。
類似する魔法をクマが使っていてもおかしくない。
獣臭いと思っていたがよく嗅ぐと植物の匂いが混じっている。
寝床にしている草花の匂いが染みついているのだろうか?
なんかリンゴっぽい匂いもする。食べこぼしでもついているのだろうか?
抱き着いているの首元だしちょっと汁がついていてもおかしくないか。
大人でも腕がまわらないだろうサイズの首。
ほんとこういう大きな獣は友達にしたら楽しいだろうな。
こんな行きずりの関係じゃどうしようもないけど。
あぁ、こういう大きな獣と1日中遊べたら楽しいんだけど。
ダメだ。それは退廃してしまう。俺はいいけど相手のご飯に困る。
あとこんな人里近いところでそんな事出来ない。
はっ! モフモフに気を取られすぎた!
モフモフは大事だけれど、大事だけれど、それは必須条件じゃないんだ。
俺はとにかく辺境に向かわないといけないんだ。
こんな大きなクマを連れていく事なんて出来ない。そもそも連れていけない。
街道を歩いていく事も出来ない。方角も曖昧だし、まずは森から出ないといけない。
森で生活すると3兄弟に見つかる可能性がある。それはダメだ。
名残惜しいけれど、クマはここでお別れである。
俺には行かねばならない場所がある。いやない。いやないが!
ただ俺はここにいられないのだ。
さようならだ。クマよ。
なんだ、別れのキスでもしてくれるのか?
はっはっは。
頭をぱっくり咥えられた。
クマさん「目、目の前にいたと思ったんだ……。奴には生物の気配を感じなかった。俺を見たら怯えるのが普通なのに、奴は特に表情を変えなかった! 奴が動いた瞬間俺はなりふり構わず殴りに行ったさ。でもさ、奴は俺の振るっている腕に触り恍惚とした表情を浮かべ、首元に引っ付いたんだ……。怖かった……。俺は最速の行動を取っていたと思う。何も出来なかった。腕が動くのがすごく遅く感じた。本当に怖かった……」






