170、まいごのまいごの子猫ちゃん
「お嬢ちゃん。君の名前は何て言うんだい?」
困った。どうすれば切り抜けられるだろうか? 口にくわえていた魚は既にない。口が寂しい。
水で濡れた後ぬめぬめにコーティングされていたからか、衣服に血はあまり染みついていない。
川底を歩いていたのも幸いして大部分の血は洗い流されているようだ。
目の前には大柄な男性。よく見ると体には細かい傷が無数についていた。
プロレスラーの筋肉というより、軽量級のボクサーみたいな筋肉の付き方をしている。
長男だと思った声の持ち主はこの人だろうか。
どうしよう。本当にどうしよう?
いっそ失語症の真似事でもしていようか?
ある意味で失語症と同じだもんな。
なわけない。語弊でしかない。
俺は人と何を話せばいいか分からないだけだ。人と話そうとして言葉が出ない失語症とは違う。
精神が原因で言葉が出ないのは同じだが、話す言葉を持たない俺と話す言葉があってもトラウマなどが原因で言葉が出ない失語症の人は違う。
俺がただおかしいだけなのだから。
「兄さん! もしかしたら人間じゃないかも!」
当たり。俺はもう人間ではない。魔力で創り上げたゴーレムだ。
そういえばどこまでを人間と捉えるのだろうか?
人間性を基準に考えたらリク君の中にいた頃から人間ではなさそうなんだが。
考えている内容が色々と面倒。大して重要でもない。
人間だろうが、化け物だろうが、どうでもいい。
そんな区別は箱に貼られた付箋レベル程度の価値でしかない。
それを気にしているのは誰だ? 俺か。
人と話せない事の理由をそこに押しつけ誤魔化している。
もっともらしい理由をのたまい、目を逸らして自分を慰めている。
「カル、あり得ない事を言うんじゃない。可哀そうだろ」
言い訳ばかりだ。俺は嘘つきだろう。
思考が既に自分に対して嘘をついている。
嘘じゃない? いや、嘘だ。ごまかしだ。
言葉にする事で自分の本当の姿を虚飾している。
空っぽの自分に中身があるように見せかけている。
結局俺は何が出来た? 自分の意思でやっているのか?
状況に流されて適当な行動を取ろうとしているだけじゃないか。
こういう言葉も行動に移せない段階で全て欺瞞でしかない。
誰の目を誤魔化そうとしているのだろう。お天道様かな。
誤魔化せるわけがないのに。
「ねぇねぇ、これ食べる?」
三男? 年齢は中学生くらいの男の子だろうか。くすんだ白い髪が顔にかかり、右目が隠れている。
華奢という程ではないが体は細く、将来兄達のような体形になるのは現状あまり想像できない。
天真爛漫……その一歩手前か。少し思慮深さが垣間見える気がする。
三男が懐から取り出した干し肉? ジャーキー? を俺に差し出している。
毒があっても多分効かない。けれど効かないからといって食べて効かない事がばれるのは面倒。
ここで毒を渡す理由はないと思うけれど、サイコパスの場合してもおかしくない。
川に仕掛けた網に引っ掛かるという段階で大分イレギュラー。
そこにいて多少血がついていても傷が見えないというのも大分おかしく思われるだろう。
髪色や瞳の色にはもう気づかれているだろうか? 気づかれているだろう。
「犬猫じゃないんだからそんな事しても戸惑うだけだろうが……。
なぁ、お嬢ちゃん。怖いのは分かるがどこから来たか教えてくれるか?」
1等級に近い組み合わせの人とかいるのだろうか?
なんだかんだそこそこ近い人はいたよな。だがあくまでそこそこだ。
ここまでガッツリ色を揃えられると疑われるのは間違いない。
どこから来たかで王都と言ったら王都に送られてしまうのは確実。
いや、そうじゃなくても髪色とかその他諸々で王都に返送ルートにリーチがかかっている。
どうすれば自由に過ごせるだろうか? 少女の容姿というのが最大の難点だ。
少女の容姿だから1人で旅しているのはおかしい。
……。そうだな。目の前にちょうど気の良さそうな男性方がいるじゃないか。
どうにか旅のお供に出来ないかな? コミュ力にバッドステータスを患っているけど出来るのか?
「……ねぇ、兄さん。やっぱり言葉がわからないんじゃないかな?」
言葉は分かっているが選択肢に悩む。一歩間違えれば監禁幽閉ルートなのだろう。
セーブの出来ないギャルゲーか乙女ゲームかな? 思考時間がリアル換算されるタイプの。
現実とはなんて難易度が高いのだろう。コミュ力プリーズ!
誰に何を言えば都合のいい状況になるのだろう?
たぶん一番楽なのはマッドサイエンティストの研究所とかから逃げ出してきた少女かな?
王都に行くのを怖がるとか、そういう節を見せれば誤認は簡単だろう。
なんで研究所から逃げ出してきたのか?
まぁ、見ればわかるおかしな点が多々あるから勝手に予想してくれるだろう。
組織? あぁ、土属性の教会がそういった振る舞いを勝手にしてくれそうだ。
「うーん? あ、わかった」
三男。お前は何がわかったんだ! 事と次第によってはさっさとなりふり構わずとんずらこくぞ。
俺の振る舞いから何がわかった? 見た目から何かを予測できた? 逃走準備は足に力を込めればいいだろうか?
着ている服があれか? 今の見た目汚れていてもついさっきまでは高級品丸出しだったもんな。
傷がついていないのもバレたら色々ツッコミを受けそうだ。
髪色と瞳の色の組み合わせもダメだ。あぁもう、リク君のバカ!
これがまだ普通の少女ならなんとか出来たかもしれないのに!
リク君、もしかして狙ってやった? それを出来るだけの思考力は持っているだろう。
行動制限を狙って? 髪色と瞳色自体は目立たないが組み合わせが最悪。
バレれば噂を免れない。魔力を放出しないから雑魚に舐められる可能性も高いな。
「このお嬢さん。街はずれのおじさんと反応が似ているの!」
……。
……。
あ、はい。
「街はずれのおじさん……。あー、なんかうさんくさい研究をしているあの人か。
つまり人が怖くて言葉が出ないと。あのおじさん、昔街の連中に酷い目にあわされて人間不信になったんだったかな。お嬢さんもそういう目にあったっていう事か?」
……。なんか都合よく話が進んでいっている。
俺、運が良くなったら死ぬんじゃないか? って思うんだけど大丈夫かな?
絶対何か揺り返しで地獄が起きそうなんだが。
何が起きる? ユエさんが来襲するとか? ユエさんだとその場に居座る可能性もあるか。
その場合何が起きるだろう? 男3人骨抜きにされそうだな。
旅とかも勝手についてきそうな予感。さすがにないか。
というかその展開地味に俺得だな。ユエさんが目くらましになって俺は自由に動ける。
「可能性は高いかも。普通の少女は川を流れてこないんだから」
すみませんね。普通の登場をしなくて。
裏でこそこそ詮索されるよりも、目の前でやる方がいい。
ただ気分がいいか悪いかで言えば、もちろん悪い。悪いに決まっているんだ。
本人が自発的に話さない内情を窺うのはたいてい下世話なもんだ。
彼らにしてみれば自身の身の危険に関わる話だからしょうがない。
探られて痛くもない腹じゃない。むしろ探られたら困る腹だ。
探られる前提で思考しているけれど、探って欲しいわけではない。
見ただけでわかる地雷要素。中身を知ればわかる地雷要素。
上げてみたら両手の指から余るんじゃないだろうか?
致命的な要素が多すぎて発覚次第死亡だ。軟禁、監禁、溶かした金属に落とされ封印。
溶かした金属に落とされてそれが冷えて固まったら、俺はそこから出られるのだろうか?
それ以前の段階で死ぬかもしれない。死なない方が地獄になりそうだが。
何をしても死なない存在だとしたらそれはむしろ呪い足りうるな。
「ひとまずだ。このお嬢さんをここに放置できないだろう。連れて帰るぞ。
上に報告とかも色々しないといけないし、ここで油を売っている時間はない」
出来たら放置してくれるとすごい助かります。
逃げたら捕まるよな。下手に能力を出せば怪しまれる要素が増える。
タイミングを見計らって姿を消せたら至上か。






