127、保健室で
あやとり。手でひもを操るだけの遊び。
だからこそ簡単なモノは誰でもできる。
手順を知ってさえいれば誰でもすぐに試す事ができる。
出来る事である事は重要だ。
しかしできるから必ず興味を抱けるかと言われたらそうではない。
だからこそ反応を見ていかないとわからない。
「2人以上いるならこうやって遊ぶ事もできるよ」
女の子は男の子に比べて共感能力が高い人が多いイメージがある。
人に合わせて行動したりする事が得意そうだ。
いくら子供であっても演技して楽しんでいるフリをしている可能性はあるだろう。
他に楽しむモノがない現在、仕方なくこれで遊んでいる。
そんな状態だって考えられるだろう。
意識せずとも計算している。出来ないと誰が言える?
「ほへぇ」
それに感情とはそういうものだろう?
好き嫌いというのはどこから来ているかを考えたことはあるだろうか?
何もなく好き嫌いが生まれると思うのか?
何故好きになる? 何故嫌いになる?
そこには生物としての計算がある。
生物としての経歴、本人の人生、それらを統合して判断しているだろう。
「この交差している部分をつまんでね」
思春期以降の女の子がどうして父親の臭いなどを嫌いになる?
どうして小さな子供を可愛らしく感じる? 父性や母性がどうして芽生える?
こういった部分は種の保存として重要だろう。
遺伝子が近い存在と生殖行動をとれば多様性を維持できない関係で環境の変化に弱くなる。
自分のグループの小さな子供を守らなければ種族の繁栄が望めない。
他にも色々生物としての過去の経歴が本能という形で刻み込まれている。
「そうそう。そうすると何か面白い形になるでしょ?」
毛色が違う狼は群れから省かれやすい。群れの生存率が下がるから。
異端の拒絶は自身の生存率を上げるために行われていると思う。
デメリットを上回るメリットが明確でない限り、排斥を行うのは本能としては当然だろう。
本能に従って排斥するのはある意味しょうがないかもしれない。
本能を制御してこそ人間? そんなのお題目にしかならない。
俺は元々自分が異端だと前世の頃から認識している。
能力的には大した事がない雑魚だ。群れに入ろうとすれば拒絶される事が目に見えていた。
「面白ーいっ!」
人生、経験による学習ともいえるだろうか?
虐待などに代表される性癖の変化が一番わかりやすい反応だろう。
環境によって嗜好が変化したりするのは、本人の認識がどうであれ、そうしなければ生きられなかったからだ。
環境への適応能力は思考よりも本能に刻まれているレベルだろう。
人間は様々な動物の中で一番環境への適応能力が高い。
熱いところでは砂漠から、寒いところは南極やシベリアまで。
衣服を変える事でその現地固有の生物になる事なく生存しているのは人間だけだ。
「こうやってここをつかんでほいっと」
個人単位ではもろいだろう。だが集団となれば強い。
各自の役割を分担し、社会という名の巨大なグループを作るから。
社会の中での自分を強く意識し、社会に依存できている限り壊れにくい。
社会の一員である事を本能的に刻まれているのか、働くことに意識が向きやすい。
その働くことが社会のためという認識自体は薄いようだが。
自身の環境を整えるために働くのに、働くことが目的となっている人達の姿を見ると本当にそう思う。
社会から離れる事で自身が単体では弱い個体である事を思いだすのか、追放されたりする事を極端に恐れる。
そんなに恐れなくてもすぐには死にはしないのに、多少居心地が悪くても今いる集団から離れる事を恐れる。
特に1つの集団に依存する事に慣れている個体程その傾向は強い。
「わ~っ! こんな風になるの!」
人間は自立も好きだ。1人で生きれるようになろうと考えるのは都市で過密状態の中、生活している個体特有の現象だろう。
過疎状態であれば血縁で固まって生活していたものが、都市部では1人暮らししようと考えるのだから。
独立した方が勢力を広げやすいというのが分かっているからそうするのだろう。
これが意識的に考えての行動と言われたら大分怪しいと思う。
もちろん独立に至るまでの思考はあるだろう。
だが独立という選択肢自体がいつ現れるのかを考えると本能的なモノになるだろう。
「じゃあ、ここからどこをつかむときれいになりそう?」
感情とは結局、本能や経験に基づいた計算によるものだ。
相手の計算式を理解できれば適当な対応ができるだろう。
完璧な計算を行うには相手の過去が必要になる。
そもそも計算する俺自身も計算式を持っているはずだ。
その計算式に情報を入力し出力された結果がこの思考だ。
この思考自体が一般的なモノではない事を理解している。
出力された情報と入力された情報から計算式を求めようとしても難しい。
使われる計算式の中の公式が常に同じではないから。
誰がどの公式を持っているのか、そもそも俺が知らない公式を持っている人も多々いるだろう。
「分かったっ!」
特に俺の認識では間違った公式を使っている人程理解できなくなる。
間違った公式。それをしてもいい結果が見えないモノが特にそうだ。
好きな子にちょっかい出したい男の子などは一応理解できたと思いたい。
子供のイタズラは色んな見方ができるだろう。
例えば子供という存在は親が守らないと生きていけない存在だ。
だから親に認識してもらいたくて、自分という存在を見ていて欲しくて行うイタズラだってある。
「当たりっ!」
学習のためのイタズラもある。
モノを描くとかかじるとかがそれに値するだろう。
わからないから知ろうとして、大人から見たらイタズラとしか捉えられない行動を行う。
行動を誘導すれば模索で行われていたイタズラを変質させることができるかもしれない。
しかしそれは自然な流れではないので、俺は洗脳に近いモノだと感じる。
なにより本人が模索して覚えるモノをズラして、誘導した流れに変えるのだ。
「やったー!」
本来辿るはずだった過程を通らない段階で、人間として歪みが発生してもおかしくない。
思考を誘導して育てるという事は自分で模索する事を覚えさせないという事だ。
前世でも問題になっていたが、与える授業ばかりで考える能力が伸びなかった、その事例と同じだ。
その場ですぐ手が届く様になると歩く事が億劫になる。
考えないでただ知識をそのまま使っていたら、劣化コンピューターだぞ。
コンピューターはいくらでもすぐ知識を引き出せるが、人間は覚えていない事は引き出せないからな。
「じゃあ、次は僕の番だね」
人間の能力で一番重要なのは考える事だ。
他は機械でいくらでも補う事が出来てしまう。
考えない人間はいずれ機械に仕事を奪われて何もできなくなる。
いや、そこまでいったら一部の人以外は遊んでいても問題なくなるのか?
屋内での農業なども出来ていた。気候に頼らない安定した食糧自給もいずれ行えるようになったかもしれない。
仕事のほとんどは遅かれ早かれ機械化できると考えたら? 残りは趣味の領域になるんじゃないだろうか?
「すごいすごい!」
露天モノじゃなきゃこの味は出ないんだ。機械は信用できないんだ。
そういった酔狂者だけが生産に携わりそうだ。酔狂者が酔狂者のために作る代物か。
養殖なども大規模な屋内飼育場みたいなモノを作れたら自給力が高まりそうだ。
いっそ工場で肉塊を作り上げてそこから切り分けていくなどしたらディストピア感が溢れてくるな。
既に万能細胞というどの部位のお肉にもなれる細胞を作れるようになっていたのだ。
何年とかけて育てた家畜をお肉とするよりも、1年でいくらでも作れるお肉の方が安上がりにできるだろう。
素材さえあれば天候に左右されることなく食料を確保できる。
その場合、あと問題になるのは素材と燃料だよな。
太陽光や水流、風力などの自然エネルギーは安定が難しいだろうし、何より出力不足だろう。必要なエネルギーを賄うにはきっと足りなくなる。
「ねぇ、リク君? リク君は何を見ているの?」
リラちゃんはその白い瞳を大きく見開いて俺の顔を見つめていた。
「リク君って私の方を見ているけど、私を見てないよ?」
リラちゃんはどこか悲しそうな顔で俺にそう告げた。






