空の彼方から
トンビという鳥を知っているだろうか?
そう。あの特徴的な鳴き声をする鳥だ。俺はあの鳥が大好きなのである。
普通こういうと色んな人たちから『変わっている』と言われるが、俺が好きなのにはいくつかの理由がある。
というのも、俺が住んでいる島の上空をよくトンビが飛んでいるからだ。
長崎県にある小さな島。そここそが、俺の過ごしてきた故郷だ。
人口は三千人弱、その上コンビニや電車もない。本当に昔のままの自然が閉じ込められた島だ。都会の人たちから見れば、ここほど劣っている場所も他にないだろう。
だが、俺はここが大好きだ。何もないけれど、だからこそいい部分だってたくさんある。人は温かいし、車が少ないおかげで空気は澄んでいる。それに何より、海に囲まれているということもあってか食い物には困らない。
これほどいい条件の場所は他にないだろう。
――少し話が逸れたが、そう。俺はこの島が大好きだ。それと同じくらい、トンビのことも好きだ。なぜかというと、トンビはいつもこの島の上空を回っているからだ。
クルクルクルクルと、甲高い鳴き声を上げながら陽気に回っている。もし俺がトンビだったらどれほどよかっただろう。この大好きな島を一望できたら、さぞ気持ちがいいに違いない。
それに、俺がトンビを好きなのにはもう一つの理由がある。それは、彼らが飛ぶ時に風の力を利用するということだ。
トンビは鳥の中でも珍しく羽ばたくことが少なく、風を利用してグライダーのように滑空することで有名だ。それを知った時、俺は何だか親近感を覚えてしまった。
一人では飛ぶこともできないが、誰かの後押しがあって初めて飛ぶことができる。これはまさしく、人間と同じじゃないだろうか?
鳥たちの中では確かに変わっているかもしれないが、その境遇というか生き様が俺たち人間と非常に酷似していて俺は大好きだ。
――そんなことを思いながら、俺は静かに目の前にある鳥籠に目をやった。そこには、一羽のトンビが横たわっている。その翼には包帯が巻かれていた。
そう。なぜ俺が先ほどのようなことを言っていたかというと、このトンビと出会ったからだ。
以前俺が学校に行こうとしていると、家の前にぽつんとこのトンビが落ちていたのだ。当然両親は反対したが、何とか押し切って家で置いてやることになった。
とはいえ、トンビの食性というものを俺はよく知らない。とりあえず魚をよくさらっていくことで有名なのでそれを与え続けていたが、どうやらそれでよかったようだ。心配して少しだけ損した気分である。
トンビは横になりながらも力強い眼差しでこちらを睨んでくる。元が野生動物だ。こればかりは仕方ない。
本来猛禽類と目を合わせることはかなり危険だ。彼らは目を狙ってくる。だから、目を直視したら普通は飛びかかってくるのだが、翼を怪我している今では何をしようもない。奴はただじっと固まっていた。
俺はそんなトンビに微笑を寄越す。
「大丈夫だよ。俺がついているから。な?」
俺はそっと軍手をはめ、それから包帯を外す作業に入った。最初こそ警戒してこちらの手をつついてきたりもしたが、今では多少緩和したようで攻撃してくることはなくなった。少なくとも、傷痕に触らない限りは。
俺は細心の注意を払いながら包帯を新しいものに変えていく。古い包帯の下には大きな傷跡があった。
おそらく、仲間同士の喧嘩かカラスたちとの縄張り争いでできた傷なのだろう。俺が見つけた時には出血もひどく相当なやられ様だった。
が、島の獣医さんの腕のおかげか今ではだいぶ回復してきている。何でも、あと数日もすれば飛べるようになるとのことだった。
それは嬉しくもあったが、反面悲しくもあった。
こいつといた期間は一か月と短いが、それでも色々なことがあった。険悪だったが徐々に仲良くなっていき、今ではたまにブラッシングまで許してくれる。まぁ、機嫌が悪い時は睨んでくるのだが、よしとしよう。
俺は嘆息しつつ包帯を変え、それから軍手を外した。
「もうすぐ飛べるってさ。よかったな」
俺はそのトンビに語りかける。奴はじっと俺を見据えたまま少しだけ頷いた――様な気がした。
俺は苦笑を返し、自室へと戻っていく。トンビはか細い声で鳴いていた。
――さて、それから数日後。俺は島の獣医さんの元へトンビを連れてやってきていた。
まだ年若く大学を出たばかりであるとのことだが、この男先生はかなり優秀な人で島の人たちからの人望も厚い。彼は俺たちの姿を見るなり、パァッと顔を輝かせた。
「やぁ、久しぶり。どうかな? 調子は?」
「まぁまぁいいみたいです」
先生は興味深そうにトンビの顔を覗き込んだ後で、満足げに頷いた。
「そのようだね。じゃあ、そろそろ……」
「ええ、わかってます」
知っている。お別れの時間だ。先生は俺の気持ちを汲んでくれたのだろう。少しだけ猶予をくれたようだった。
俺は内心彼に感謝しながらトンビの目を見据える。奴はしっかりと見据えてきたが、俺も負けじと返した。
「大きくなれよ。頑張れ……今までありがとうな」
トンビはただじっと俺の目を見据えているだけだった。だが、その瞳がどこか優しげに見えたのはたぶん気のせいじゃないだろう。
俺は口角を吊り上げ、それから先生の方に鳥籠を渡した。
「いいのかい? 見送らなくて」
「……そしたら、辛くなりますから」
「……そうだね」
獣医ということもあり、別れの辛さを知っているのだろう。先生は黙って鳥籠を受け取ってくれた。俺はそんな彼に頭を下げた後で、病院を後にする。
わかっていたことだったが、やはり、辛い。
胸の中にぽっかりと空いた穴は、そう簡単にはふさがらなかった。
それから数週間後。俺の生活には日常が戻ってきていた。トンビがいた時間の方が短かったはずなのに、そっちに慣れてしまった自分がいたことに軽く戦慄してしまう。それだけあいつの存在が大きかったということだろう。
もうすでに夏も終わりに近づいてきている。風も徐々に冷たくなってきて、緑の葉は色を変え始めた。
けれど、そんな季節が移ろっていく中でまだ空を飛んでいるトンビがいる。たった一匹だけ。だが、その正体はわかっている。
「……ああ、元気で何よりだ」
今日もトンビの鳴き声が空に響き渡る。俺はニッと口角を吊り上げ、空を飛ぶ友人に手を振った。




