プロローグ
時代は三千年を迎え、暮らしは今から千年ほど前よりはるかに暮らしやすくなっていた。
科学技術による生活を余儀なくされた時代となっていたのだ。
人々は携帯(超縮小型、腕時計バージョン)を使った生活をしていたり、全自動操縦の飛行機・車に乗車したりと科学技術に頼り切った生活を送っている。
そのような中、まったく革新を起こしていない存在があった。
それは、非科学的な分野である。
一昔前ならば「お化け」「幽霊」などの存在が(一部かもしれないが)信じられ、研究まで進められていたと言うが、今となってもこの科学技術も幽霊の解析に全く役が立たない。
このような非科学的なものが解明されておらず、なんだ千年前から何も変わってないのかコノヤロウと言えばそうかもしれないが、それはあくまでも表向き。実はある分野のみ前進を遂げていたのだ。
それは、「超能力」の解析。
超能力の発現方法、また実際に存在することも国家が突き止めたのだ。
国家は超能力の存在を見つけるとともに異能力省という新たな国家機関を設置した。
そして超能力の解析・研究を全力で進めたのである。
勿論、国民には内密に進められていた。
そうして超能力の存在、その発現方法が分かったと同時に、国家はとあるプロジェクトを進めたのである。
その名も「超能力開発カリキュラム」。
これは極秘に一般の高等学校で行われる、超能力開発の為の教育であった。
対象者は一クラス分の三十五人。
このプロジェクトを通じることによって超能力を身につけることができる、というわけだ。
しかしながら、これはその生徒たちをモルモットのような存在に貶めたといってもよい。
なぜならば、人体実験をしなければ超能力発現の方法は解明されず、超能力に関しての研究・発展は見込めないからである。
つまり、国家の言い分としては「君たちは国の発展の為に人体実験になってくれ。うまくいったら超能力の能力を身につけさせてあげるよ」ということである。
この意図は生徒たちには説明されなかった。
生徒達は知らずして国家の実験台と成り下がったのだ。
だが。彼らは運よく、発現することができたのだ。
超能力の力を。
人を超越することができる力を。
国家のカリキュラムは完璧であった。誰も犠牲を出さず、誰も苦しむものはいなかったのだ。
このカリキュラムは義務教育で受けるかのような座学・実践の授業であったが、それを受けたものは皆超能力と言う未知の世界に足を踏み入れ、人類の憧れを実現させることができたのである。
しかしながら。
「力」をつけてしまうと、抱えてしまう問題もまた新たに発現するものだ。
このカリキュラムにより超能力を修得した学生たちは、大学進学と共に違う道を歩み始める。
国家としては、彼らが超能力を活かしどのような活動をするのか、どのような生活をするのか等知りたかったらしい。このカリキュラムが修了してからは、しばらく様子見ということでこのプロジェクトはお蔵入りとなった。
大学生になった「力」を持った学生たち。
この力は、彼らの生活にどのような変革をもたらすのか。
非日常な生活が、今、始まる――
稚拙な文章となっていますがどうぞ見守ってください。
よろしくお願いします。 2015/01/04
更新 2015/02/23