縁 -OINORI-
就職活動をしていて、ふと思ったことがある。
「縁がなかったということで、選考を打ち切ります。
あなたの今後のご活躍をお祈り申し上げます。 」
就活をしていると、 よく、こんなメールが来る。
俗にいう、お祈りメール。
だが、こちらとしては祈られても困る。
正直、スベった会社だ。祈られても……。
どうせ、俺の活躍を祈るくらいなら、
心の底から祈ってくれるというのなら、内定をくれ。
多くは言わない。
給料20万という提示だったのが、18万になってもいい。
とりあえず、祈るくらいなら内定をくれ。
もし、心の底からいっていない「社交辞令だ」というのなら、
祈らなくていい。 祈ってくれと頼んだ覚えはない。
むしろ、疫病神が付きそうだから祈らないでほしい。
だが、それよりも気になるのは、“縁”という言葉。
“縁”と言葉は、「めぐりあわせ」という意味を持つ。
では、縁がなかったということは、どういうことだろうか?
巡り合わせがなかった? いいや、だけども俺らは出会ってる。
その時点で、縁は存在している。 では、どういうことか?
俺が思うに、それは会社の勝手な都合。
正直、縁がないという断り方がおかしい。
あまりにもそれが社会に定着しすぎているから、
さぞ、その言葉を使うのが常識であるかのように、
「縁がなかったから」と当たり前の顔をして会社が言うのだ。
だが、言わせていただこう。
俺がお前の会社に出向いている時点で、縁はある。
たまたまお前の会社を知って、
ホームページを見て、エントリーをして、
それで、会社説明会にまで出て、落ちる。
理由は、“縁がなかったから”。
おかしいだろ? 縁は十分にあった。
たまたま出会ったことを“何かの縁”というのではないのか?
それは俺の勘違いか?
もし、そうだというのなら、
営業活動で、「これも何かの縁ですから」というのはなぜだ?
「ぜひ、わが社の商品を買ってください」
「わが社の商品はいい商品ですよ!」
「そうですか、お値段が高いですか」
「それなら、これも何かの縁です」
「お値段を半額にいたしましょう」
「お願いです」
「お願いします」
「私のノルマに関わるんです」
「貴方に出会えたのも何かの縁です」
「お願いしますよ」 「本当にお願いします」
「これも何かの縁ですよ」「ぜひ、お願いします」
そういって、営業は頭を下げる。
もし、俺がそれを言われたとして、
もし、そいつからじゃなくても、
その会社の選考に落ちてしまって、
人事からあの言葉を言われていたら、
「縁がなかったということでサヨナラ」と
俺は満面の笑みで答えて進ぜよう。
なぜなら、正直言って、気に入らない。
俺を落としたことについてじゃなく、
“縁”という都合のいい言葉を使って、
本当にやる気のある人間を落としておいて、
それでお祈りをしとけばいいという考え方が。
お前に俺の何が分かる。
お前らに俺の何が分かる。
履歴書を見れば俺の正体がわかるのか?
エントリーシートを見れば俺の性格がわかるのか?
面接をすれば俺のお前の会社へのやる気がわかるのか?
もし、学歴が思うようなところじゃなかったというのなら、
初めから〇〇大学はお断りとでも書いておけ。
一見さんお断りのお店があるんだ。
低学歴拒否の企業があったって、文句はない。
はっきり言ってしまえば、学歴のない俺が悪い。
むしろ、選考に行くための費用だけ払わせるほうが罪だ。
今は時代の流れ、交通費やその他経費は実費。
会社が負担してくれるところなんてほとんどない。
だが、会社は経費を払ってくれた就活生を、
学力がないからとか、少し緊張しているからとか、
少し顔がこわばっていたからとか、そんな理由で拒否。
俺からしてみれば、何も見てくれてない企業になんて、
入りたくもない。 内定だって、別に欲しいとは思えない。
だって、そうだろ。
履歴書で落とされた。
そういった奴は、もしかしたら俺よりもやる気があったかもしれない。
面接で落とされた。
もしかしたら、たまたまその日に体調を崩しただけかもしれない。
わからないだろ? 俺にだって、お前にだって。
そいつにとって何があるのか。 わからないだろ?
それを、わからないが欠点が少しでもあったから落とす。
そういった考え方を平気でする。 幻滅だ。
はっきり言ってしまえよ。
わが社は、あまり君たちを見る気がありません。
通常業務が忙しいので、人事に時間をさけません。
だから、全て見る努力もしないまま、
書類選考で落とします。筆記試験で落とします。
面接でも落とします。結果的には落とします。
はっきり言って、わけが分からない。
努力をする人間を求めておきながら、
企業は何の努力もしない。むしろ、踏みにじる。
ありえないだろ?
言ってることがおかしい。
他人には求めておいて、自分では何もしない。
ありえないだろ?
しかし、こう考えることもできる。
その会社は、入社前にそういったことを教えてくれたんだって。
この会社の体質として、努力は報われないし、しなくてもいい。
入社前には必要だけど、入社後には全く必要ないってことを。
だって、そうだろ?
時間が割けないなんて言い訳だ。
こっちは、お前のとこが割り当てた面接に出てるんだ。
時間を割いて、お前のとこの面接に出てやってるんだ。
別に上から目線で言いたいわけじゃないけれど、
あまりにも俺ら就活生をナメている企業が多すぎて、
そういう風に、言いたくなる。仕方ないだろ?お互い様だ。
だから、俺は俺を見てくれるところに入りたい。
まだ、内定がどうなるかもわからないし、
スマホはお祈りメールで鳴り止まないだろう。
しかし、俺は妥協しない。
自分を見てくれた会社で、自分という人間らしさを出す。
別に、どこでもいいってわけじゃない。
自分に合った企業で、自分らしく生きれればと思う。
押し殺して生きるのも自由だけど、
最初から否定されるのはもっと御免だ。
ありがとう。教えてくれて。
俺は俺らしく生きることにするよ。
少なくとも、やる気はこちらの方があると思ってる。