名前
穴。
そうか。さっきの捜索の時間中、彼女は元の世界とこの異世界とをつなぐものは穴だと認定して探していたのか。不思議の国のアリスやドラえもんなどからくる知識だろうか。彼女の抱いた安直なイメージは、しかし頭から否定するのも躊躇われるものだった。なにしろ俺自身、何を探していたのかと聞かれれば具体的には分からない。何度も言うようだが、予備知識の一切ないルール無用の状況だ。あえてそこには触れずに話を進める。
「動かないっていう手がないわけじゃあない。何かトラブルが起きた場合、その場に留まることで救助が来る可能性だってある」
「黙って待っていて助けが来る気、する?携帯だってアンテナ3本立ってるのに誰のも繋がらなかったし」
女がオッサンを味方につけようと顔を向ける。オッサンは「うーん」と考え込む。といっても、考えている内容は単に「話を振られてどう答えれば俺たち2人を穏便に抜け出せるか」という場当たり的なものかもしれない。本当に考えているのかすら疑問だ。俺はオッサンの発言を待たずに話を進める。
「まぁ、そういう手もあると言っただけで、俺自身もこの場を動いた方がいいとは思ってる。アンタがいうように、待っていても助けが来れる場所だとは思わない」
オッサンがやっと、うんうんと首を縦に降る。
「じゃあなんでわざわざ動くかどうかなんて言い出したのよ」
女は納得がいかないという顔をする。
「今いるここが違う世界だとして・・・元の世界との距離っていうか、そういうのが一番近い場所かもしれないだろ?アンタが言ったような穴みたいなものが今は見えないけれど隠れているのかもしれないし、何かの弾みで開くのかもしれない・・・」
「・・・『道に迷ったらそこを動くな』的なやつ?」
明らかにピントがズレた例えだ。無視しよう。
「何にしても、了解はとっておきたいと思っただけだ。さて、じゃあ、どっちに行く?登る、降るか。降るとしたら、さっきのドラゴンの傍を通るのは嫌だから、少し回り道になるけど」
「どっちでもいいじゃん」
「どっちでも良くはないだろ・・・」
どちらを選ぶかで状況が大きく左右される可能性もあることを承知で言っているのか?俺の不安をよそに、女は何かに気づいたように「あ」と呟くと、こちらに問いかけてきた。
「それよりさ、二人とも名前何ていうの?」
話をすり替えられたことは不満だったが、なるほど確かにお互いの名前くらい知っておいたほうがいいだろう。思いのほか、マトモな提案だ。
そして、俺とオッサンは、なんとなく目線を合わす。どうぞ。いえ、そちらこそ。
「どっちからでもいいって」
面倒臭そうにため息を吐く女。
「じゃあ、あたしから言おうか。あたしはアオイ。あんたは?」
俺に向かって尋ねるアオイ。
「俺は・・・」
苗字を言うか、名前を言うか迷う俺。
「アオイってどっち?苗字?名前?」
「細かいなぁ・・・じゃあ、名前の方、教えて」
少し不機嫌そうに言うアオイに、名乗る。
「アキラ・・・」
「アキラくんね、はいよろしく。おじさんは?苗字でもいいよ」
「栗原だよ」
「じゃあ・・・クリちゃんでいっか」
「いや、それは」
流石にオッサンが言いよどむ。しかしアオイは気にしない。
「クリちゃんは、登ってくのと降ってくの、どっちがいいと思う?」
「ボクは、そうだなぁ・・・」
クリちゃんでいいのかよ。まぁいい、俺は栗原さんと呼ぼう。
「登りかな。頂上はそれほど先でもなさそうだし、」
確かに、空と頂上の境目に色の違いがなく、遠近感も多少狂っているが、見たところ頂上はそう遠くなさそうだ。