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ジガバチ  作者: アザとー
2/2

 目が覚めると、一升瓶ほどもある蛆が湊の足先をかじっていた。

 そもそもが、この手の虫が獲物を殺さないように麻痺させるのは腐敗を防ぐためだ。当然、喰らうときも鮮度を保つため、生命維持に関係ない部分から。末端である足先をかじるのは当然の理である。

 暗い中に、骨からはがした身を啜る音が、ちゅるちゅると聞こえていた。だが、痛みは無い。出血がさほどでないのも毒のおかげか。

(『子供』の餌になるとはな)

 自嘲の笑みを浮かべたいところだが、麻痺の及んだ顔筋がそれを許さなかった。ただ耳に届く行儀の悪い食事の音をぼんやりと聞きながら、じきに訪れるであろう死を待つしかない。

(そうか、これが罰か)

 贖わされているのだと思った。若い日の罪を。

 彼は自分の『子供』を殺したのだ。


 だって、仕方の無いことだろう? 俺は大学に入ったばかりだったし、亜理紗は高校生だったんだぞ。だから、妊娠したと聞いたときは堕ろすことしか思いつかなかった。

……あいつはエコー写真を見て泣いていたっけ。俺か? 虫みたいだなと思ったよ。

 正直に言おう。解かりあえないと思った。

 ぼんやりと白く映った影。俺の都合も考えずに育つ身勝手な生き物。その根底にあるのは思考じゃなくて、生命を維持するための本能だっていうのがたまらなく恐ろしかった。

 それでも、亜理紗に非道なことをした覚えはないぞ。金だってちゃんと出したし、堕胎手術にもついていった。二人で水子供養にも行って、赤い風車なんか供えたんだ。思考のひとかけらもない子供に解かる訳は無いと知っていても、礼は尽くした。

 それなのに、亜理紗は俺から離れた……


……少ないとはいえ、それなりの出血だ。そろそろ意識がかすんできた。

 湊は無駄だとわかっていながら、骨だけになった手足を動かそうともがいた。しかし、僅かに胴が揺れただけだ。

(死にたくない)

 それが本能なのだと、はっきり自覚している。

 むち、と音がして、顔のすぐ横に大きく肥え太った『やつ』の存在を感じた。

(いやだ。死にたくない)

 虫は次にどこを食べようか、考えあぐねているようにも見える。もちろん、本能しか持たない生き物なのだから、そんなはずは無い。獲物を腐らせずに食い尽くすため、その食欲は旺盛であり、性急だ。先ごろ飲み込んだ腕の肉が胃の腑に落ちるまでの時間、本能が待てをかけただけに過ぎない。

 それでも湊の目には、その不恰好な蛆が懺悔の時間を待ってくれたように映った。

(ああ、似ている)

 小さすぎて、手足すら不明瞭だった胎児の影。白い塊として映っていたあの子に、この虫は良く似ている。

 そして今の自分は、胎児だ。小さな穴倉に閉じ込められ、生存本能を軋ませながらも、自分で生命の選択すらできない、あの日の……わが子。

(やはり、お前も……)

 生きたいと願っただろうか。安穏の揺り篭から掻き出される瞬間、何を思った?

 

……似我似我似我……


 近くに新しい巣を作ったのだろう。親虫の羽音が聞こえた。

 あの呪いは、すでに湊を深く侵している。彼はもうすぐ一匹の虫になるのだ。思考という人間の証を失い、ただ本能に従って機械的に動くだけの、愚かで、美しい蜂に……

 ようやく腹がこなれたか、蛆がもそりと身をかがめた。湊の意識はすでに薄い。

(生きたい)

 むちり、と肉を食い破る音と共に、湊の意識の全ては、丸々と太った蛆の、腹の底へと、落ちた。


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