表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ライトニング・ウォーカー  作者: 魔桜
Chapter01:眠れる獅子は目醒める
6/28

‐06‐ 閃光の中を歩く者

 列車の上。

 四角く角張っている黒い箱のような車両が縦列している、そのおよそ人が乗る場所でないところに、二人の人間は睨み合うようにして対峙していた。

 そんな場所にいる二人はやはり普通ではなく、一人は奇怪な格好をしているピエロだった。

 ピエロは列車の側面にしがみつくようにして、一本の短剣を列車が刃の根元まで刺していた。

 もう片方の手は、なんとか列車の縁に手を掛け、落下せずに済んではいるが、足は地についていなくブラブラしている。

 高速で流れていく地面に視線を落とすと、ピエロの血の気が潮の満ち引きのようにサァーと引いていく。

 いつピエロの手が痺れて、挽き肉のような変死体になるのか分からない。車輪に足を引きずり込まれ、肉塊がトマトの果肉のようにグチャグチャに飛び散るのか分からない。

 そのままの態勢でいるのはあまりに危険すぎるのだが、そうせずにはいられない状況を作り出した人間が勿論いた。

 列車の上にいたもう一人の人間は、ピエロを待ち伏せていた白髪の優男だった。

 男はピエロを睥睨するように見下ろしていた。

 男というにはあまりに流麗な長髪は、滑走する列車の風に吹かれている。

 それだけでキラキラと光の粒子が空気中に散布されるかのように梳いている。日頃から清潔感を維持している髪は見事に輝いていた。瞳を縁取りする睫毛は、木に止まっている蝶のように長い。赤みがかっている唇は薄く、ピエロを見て取ると口を苛虐的に歪める。

 ピエロは背中に氷を滑らせられたかのように、ゾッと肌が粟立つ。

「……ジェラート副団長」

 猛獣使いでもあるジェラート。

 その視線は、人間なんて虫ケラぐらいにしか思っていないように蔑んだものになっている。花なんて一輪も生えていないような、干からびた不毛の大地のような精神の持ち主だった。

 ただ、団長の命令のままに障害を破壊する。

 命令を遵守するジェラートが、退屈さを紛らわすために見出した暇つぶし。サディスティックな欲望がジェラートの頭の中の大半を占めていた。

 ピエロの想起したのは彼の所業。

 ズタズタに短剣で傷つけ弱った兎を、檻の中に入れるとどうなるかという実験。数日ろくに餌を与えていない獅子の入れられている頑丈な檻にだ。

 というジェラートとの個人的な嗜好を見たことがあるが、気分の悪いなんて代物ではなかったのは確かだ。楽に兎が死なないように、獅子を鞭で打っては手綱をとっていた。徐々に命の蝋燭が理不尽に削られていく兎を見やって、ジェラートはニヤニヤと自己満足に浸っていた。

 その兎のように、ピエロもまた追い詰められていた。

「ずいぶんと手間取らせてくれたね、クロエ。まさか、キミがこうまで強情に団長の命令を拒絶するなんてねぇ」

 ジェラートは狩人のような冷笑を浮かべると、

「……それで? ガラス細工の自由を手に入れた気分はどうだった? 束の間の、夢のような時間はどうだった?」

 アッハハハと、底冷えするような高笑いを響かせる。

 その余裕を裏付ける戦闘能力は、先刻身をもって味わった。ズキンと、短剣を持っている方の肩に鈍い痛みが走る。

 刺し傷から、じんわりと血のシミが服に拡散する。

 火花散る互いの持っていた剣による斬撃の攻防が多少続いたが、そんなものは演出に過ぎなかった。こちらが勝利を確信したことを思い込ませると、華麗にジェラートが勝ち星を拾った。

 まるでいつでも勝利をもぎ取ることができたのに、獲物を嬲るかのような最後の剣撃。それを思い返すと、クロエは激情のあまり歯の根を合わせることすらできない。

「……私はもう、あんなところには戻りたくない」

「そういうわけにもいかないんだよ、命令でね。さあ、早くボクに《纏神装器》を渡すんだ。そうすれば、ボク達を拾ってくれた団長の悲願が達成できるんだからね」

「それが……《纏神装器》が使用されることが、何を意味するのか。……あなたは本当に分かっているの?」

「盗人の分際で、恩義を忘れてよく言うね。……そんなこと、分からなくていいんだよ。一々自分の行動理由が何なのかを知らないと、キミは生きていけないのかい。そんなものは、実際に《纏神装器》を発動してから考えればいいんだよ」

 視界が真っ白になる。

 本当に自分が何を言っているのか、意味を理解しているのだろうか。

「……人が――死ぬのよ」

「だから何だって言うんだい? 他人がいくら死のうが、そんなのボクらには関係ないじゃないか。キミは、そんな見たことのない人間のために命をかけて逃げ出したのかい? ……違う。違うね。キミはそんな高尚な考えなんて、持ってなどいないさ」

 クロエは腸が煮えくり返るような憤怒を覚える。怒りのまま、腕に力を入れようとするが、ジェラートの持っていた剣の鋒がそれを阻む。

 バキッバキバキッという妙な音。

 ジェラートの所持している剣の刃が伸びていくと、クロエの頬にまで届くほどの長剣になる。ゆらゆらと剣先を揺らす。もしも、少しでも妙な行動を取れば、このままゼリーのように柔らかな眼球を突き刺すという、脅迫のように思えた。

「『私がやらなければ、誰かが死ぬ。だから、そのために私は命をかけるんだ!』……虚仮。虚言。そんな言葉は大嘘だよ。あまりにもペラペラだ。……キミはそんな薄っぺらい言葉の裏で、本当は今の状況を面白おかしく思っているんじゃないのかな? 心の底でこんな展開を望み、スリルを楽しんでいるだけだけなんだよ」

「そんな……私は――」

「だけど、どれだけ沸騰するような熱も冷める時が必ずくる。気がつく時が、後悔する時が必ず来る。『どうして私は、こんなことをやってしまったんだろう』とね。でも、自らの過ちを認められないキミは、死に際でこう言うだろうね。『誰かのために生きれてよかった』って。プッ。アハハハハ。そんなものは敗者の遠吠え! 負け惜しみ! 哀・れ・だ・ねぇ」

 嬉しそうな。

 圧倒的優位にたったジェラートとの心底嬉しそうな哄笑に、クロエは項垂れる。どうすることもできないのなら、何もしないほうがいい。無駄な抵抗を見せれば見せるほどに、ジェラートが歓喜に湧くだけだから。

「――でも大丈夫だよ。キミにはまだ引き返せるチャンスがある。団長にはボクから話を通そう。……だから、そのためにも。……何が賢い選択かは分かっているだろ?」

 ジェラートの柔和な笑み。

 それは確かに希望の光に見えた。

 光明だ。

 クロエが生き残るために見えた、濃霧のような闇を切り裂くたった一条の眩いまでの光。今ここで頭を垂れさえすれば、従う振りをすれば、生き長らえることができる。少なくとも、死ぬということ。全ての道が閉ざされることはなくなる。

 腕が痺れてきた。

 轟轟と身体を叩きつける風がやけに冷たい。

 そうだ。

 何もここで躊躇する理由なんて見当たらない。ここで意地を張ってもメリットなんてない。ここまでクロエは頑張った。懸命に、頑張ったのだ。だから、もう折れてもいい。苦しまなくていい。

 言い訳は――私だって私なりに努力したから。いつもその魔法の言葉を唱えるだけでいい。

 クロエは手を伸ばす。伸ばして、ジェラートに助けを乞うように、情けなく目を眇める。それを見やったジェラートは、満足そうにクロエの手を掴み取ろうとした。確かに手と手が触れ合おうとしたその時――クロエは気がついてしまった。

 ジェラートは、そこまで迂闊な人間ではないということを。

 どれだけクロエが繕うとも、浅知恵は一瞬で看破されるだろう。どんな手段を講じようにも、先手を打たれて塞がれる。退路を。そしてなし崩し的に団長の計画に参加させられることになるだろう。

 それがジェラートにできるのだ。

 ここで、心が折れてしまったクロエ相手ならば。

 本当の意味で『生きる』ということを放棄をしてしまったクロエを、口先三寸で行動を制限。ジェラートの頭脳を持ってさえすれば操作することなど容易い。クロエがどれだけ頭の中で自分の行為を理解できていても、モヤがかかったかのように頭は働かない。

 何故なら、過去を思い返したくないから。

 膝をついてしまったという自分の過去を。

 一度牙を失ってしまった獣は、二度と歯向かえないことを猛獣使いは知っているのだ。

 クロエは、ジェラートの伸ばした手をパンと叩く。そして、戦うことを決意した瞳で、驚愕に満ちた顔をしているジェラートを睨みつける。

 戦おう。

 それがどれだけ愚かな選択肢だということなのか、クロエには理解できている。どれだけ勝ち目のない戦いだということかも、そんなことぐらい全て。だが、それでも短剣を握り締める。自分が自分であり続ける、そのために。

「そうか。……残念だよ」

 感情を抹殺した能面。そのままジェラートは刃を振り下ろす。身構え、防御の大勢をとっていたクロエだったが、やはりこの姿勢で立ち向かうのはあまりに不利。覚悟を決めて上半身を引き起こしながら、短剣を――


 横合いから、弾丸のように短剣が飛んできた。

 

 振り下ろそうとしていた剣の軌道を咄嗟に変え、肉体に向かって一直線に投擲された短剣をジェラートは叩き落とす。

 バッと、クロエは飛来してきた短剣の投擲先を顔を動かす。

 そこには、もう一本の、クロエの短剣を弄びながら佇んでいた漆黒の黒衣を身に纏っていた男が直立していた。先程も列車内で見かけた男はそこにいた。まるで、クロエを救うことが当たり前だと言わんばかりに。

「――キミは、誰だ? クロエの仲間……か? いや、そんなはずは……。……ハッ、まさか。キミも、他人のために命を投げ捨てるような馬鹿な人間なのかな?」

「違うよ」

 男の言葉に、ピクンとクロエは体が反応する。

 他人のために、自分の身を投げ捨てるようなお人好しなんていない。

 そんな都合のいい、遥か昔に語り継がれている騎士物語のような幻想は、この現実にはない。そんなことは分かりきっていたのに、何故か期待してしまっていた。まともに会話など交わしていない、目の前の男に対して。

「僕はその人のことをよく知りもしないし、君たちがどんな素性なのかも聞いていない。赤の他人だ。そして僕は、赤の他人のために戦おうと思えるほどに人間ができていないんだ。降りかかる火の粉は、躊躇なく振り払うことが、生きる上で最も必要なことだよ」

「……へぇ。どうやらボクは、キミとは話が合いそうだねぇ。でも、だったらどうしてボクの邪魔をしたのかな?」

「――ある……お人好しがいたんだ」

 男は眉根を顰めると、

「そいつは、他人より少しばかり自分に力があるっていうだけで、大勢の人を救っていた。いつも戦いの最前線に出て、誰よりも傷ついているのに……それなのに、みんなの前では弱音を一つも吐かなかった。そんなあいつがここにいたら、理屈抜きに他人を助けるんだろうな……って、そう思っていたら体が勝手に動いた。――それだけだよ」

 何かを回想するかのように、男は語りだした。誰のことについて言っているのかは、一切クロエには分からなかった。分からなかったが、何故か救われた気がした。

 理由がどうであれ、今この男は全力でクロエを救おうとしている。

 それが、雄弁に男の真っ直ぐに見据えた双眸が語っているような気がした。

 涙が、出そうだった。

 なんでこんなことで、なんで出逢って数分しか経っていない男の言葉で、ここまで心の綻びが解れていくのか、クロエは理解に苦しんだ。

 クロエとは違う意味で、意味不明とばかりにジェラートは剣を振りながら、

「それこそ詭弁だよ。他人のために? そんなもの、自分が誰かを傷つけているという罪悪感から逃れるための手段の一つにし――


 ジェラートの頬に、拳がめり込んでいた。


 刹那の出来事だった。

 ジュワと瞳に溢れ出した涙でクロエの景色が霞んだ。生まれて初めて流した涙に戸惑い、目蓋を閉じ、開いた瞬間には、もう男がジェラートに肉薄していた。

 凄まじい殴打音の残響とともに、ジェラートは吹き飛ばされる。ドゴッ、ゴォ、と列車の上を何度も転げ回りながらも、列車から落下しそうになる。

 ガガガガ、と不快な音を立たせながら折れた長剣を屋根に刺し、なんとか静止することに成功した。かなり肉体にダメージを受けているかのようで、内出血している頬に手を当てながら、ゆらりと立ち上がると、

「……まさか、《空間転移魔法》なのか?」

 クロエはその隙に起き上がろうとすると、スッと男に手をさし伸ばされる。簡単に。いとも簡単に、クロエの心の隙間に入り込んだのは、その屈託のない笑顔だった。

 だが、ちょっと角度を変えてみると、それは完璧な笑顔ではなかった。

 ちょっとはにかむように、手を伸ばそうとしているのを恥ずかしそうだった。

 クロエはただ黙って引きずり上げられた。

 どうしようもなく目の前にいる男に、心にある何かが傾いている感覚があった。それが何なのかは分からないが、なんだか悪くない。頼りになるけれど、どこか抜けているところがありそうな、男の横顔を見て、クロエはそう思えた。

 そして気がつく。

 男が身につけているのは、制服。それも、高位の魔操士しか通えないとされる、王族が直轄する学院の印が胸元に金の糸で刺繍されていた。

 そのことにジェラートも気がついたのか、

「……胸にある……イストダム王宮魔法学院の校章。……そして、《空間転移魔法》を扱えるだけの金髪碧眼の魔操士。……そうか。お前が《十二魔纏剣》《大戦の英雄騎士》《神霊殺し》の――」

 クロエも聞いている内に、だんだんと団長に聞いていたことを思い出していく。かつて、敵の返り血をその身に浴びながら、戦場を闊歩していた騎士の名称を。たしかその通り名は――


「《閃光の中を歩く者ライトニング・ウォーカー》」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ