‐02‐ 妖精
『さっさと起きて、ライオネル』
遠慮しているように耳元で囁かれ、十八歳の少年は目蓋を重々しく半ば開ける。
ふわあああと中途半端な欠伸を噛み殺し、ベッドをほふく前進ぎみに這う。
シーツをクシャクシャにしながら、寝ぼけながらゴロリと転がると、ドシンと床に思いっきり身体を打ち付ける。
下の階から、看板娘の驚いた声が響く。それでも起床しようとしない少年に、毎朝の目覚まし係は頬を膨らませる。
『まったく。私がいなきゃ、いつまで経っても独りじゃ起きれないんだから』
刺のある言葉とは裏腹に、小柄な少女は緩みそうだった頬を引き締める。彼女はちょんちょん、とマッチ棒位の太さの腕で少年の頬をつつく。
「あー。分かってるって……今……起きるから」
ライオネルの意識はまだ完全に覚醒していないまま、すくっと立ち上がる。予備動作なしに起き上がったせいで、フラフラになった少年を女の子が肩にポンと手を当てて支える。
「……ありがとう、エアリー」
パリパリに固まっていた睫毛を無理やり開くと、ライオネルの瞳に妖精の女の子が映る。
お礼を言われ、まんざらでもない顔をしながら、透明なの羽をパタパタとはためかせて中空に浮いている。街道で売られているような林檎とほぼ同じぐらいの、極小サイズの身長しかないが、見た目と違いそこらの人間よりも力持ちだった。
力だけではなく、魔力も相当のものだ。
妖精は神霊と同格の魔力を持っていると言われているが、その種の中でもエアリーはピカイチだろう。
魔操士。
魔法を操る力は特訓によって、どんな人間にでもある程度まで身につけることができる。そして、一生をかけて自分の身体に合った魔法を磨き続けるのだ。
だが、特異例もある。
複数の魔法を同時に使用する魔法。『混成魔法』という、特異な魔法を操れるかどうかは、生まれ持った才覚が左右される。エアリーにはその素養があったようで、かなりの魔力を保持している。
『そういえば、スカーレットが呼んでたわよ』
「……スカーレットが?」
ライオネルは、自室の壁に取り付けられている鏡の前に立つ。
獅子の鬣のような金髪のセミロングを左右に掻き分ける。定期的に散髪するだけのマメさはなく、中途半端に伸びている髪はウザったい。
特徴のない顔つきであり、顎が僅かに尖っていて痩せている。
碧眼の瞳は細く半開きで、未だに眠たそうだ。
木造の洗面台にはエアリーが汲んできたと思われる水の入った桶があったので、ありがたく使わせてもらう。王宮にいた頃は、蛇口を捻れば水が出ていたのだが、この小さな町では井戸がなければ生活できない。
ザブザブと洗顔し終わると、はい、とエアリーがタオルを手渡してくれる。
『ライオネルに、挨拶したいお客さんですって』
「お客? 誰かな?」
『どうせまた私達の知らないところで、親切にした女の人が訪ねに来たんじゃないの?』
「そうだね。昨日は迷子になった女の子がいて、親御さんの所に届けたから。もしかしたらその子かも」
『……はあ。ただの冗談だったのに』
エアリーは空を自在に飛び回っており、袖を腕に通してくれて着替えさせてくれる。
学院の制服を着込んでいるが、別に今日学院があるというわけではない。ただ、他の服を選ぶのが面倒だからだ。
平凡な生活を送っているせいか、幸せそうにライオネルは生あくびを連発する。
それを見たエアリーの小さく整っている顔には、どこか諦めにも似た感情が滲んでいた。




