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或る物語  作者: 柚木
7/12

<5>

 影は城内を歩く巫女姫を遠くから護衛していたが、誰かに呼ばれた気がして思わず振り返った。もちろんそこには誰もいなくて、ゆっくりと手で目を覆う。

 

 ……まただ。最近、名前を呼ばれる錯覚の回数が増えた。それは隙あれば自分を呼ぶ。懐かしいような、恐ろしいような……けれど何と呼ばれているのか、そもそも名を持たない自分を真実呼んでいるのか分からない。何故呼ばれたのが自分だと思うのだろう。

 

 深まる疑問に答えが提示されることはない。ゆるく首を振り、意識を姫に戻す。神官に囲まれる姫は静かに微笑んでいた。



 ***



 大広間では国王と王太子、そして鴉の一人と近衛隊長が話し合っていた。王太子が、国王に近衛の指揮権全てを鴉に移譲するよう提案したのだ。

 これに異論を唱えたのは近衛隊長である。当然だろう。清廉潔白を信条に掲げる近衛隊は、暗殺業を主とし全容そのものが公開されていない鴉をよく思っていない。そんな鴉に指示されるなど隊士の誇りが許さない。命令を無視する隊士も出てくるだろう。と隊長は主張し、国王もそれでは難しいかと顔をしかめる。

 そんな隊長に対して、何を思ったのか鴉が肩を揺らした。


 ――任務に私情を挟むとは、さすが近衛隊は気高くていらっしゃる。


 それは本当に小さな呟きだった。しかし大理石の部屋にはよく響いた。あからさまな挑発に隊長は顔を真っ赤に染めたが、掴みかかることはなく上座に向き直った。


「そこで提案なのですが、鴉の指示を私が受けて隊に伝えるというのは? 私の指示として」

「それでは時間がかかるだろうが」

「しかし殿下、これなら隊に不満を与えず済みます。鴉の指示をより確実に遂行するなら」


 王太子はこの提案に思いきり不機嫌な顔をしたが、国王はただ鴉に意見を問うた。鴉は隣の男を暫し眺めた後、了承の意を示した。


 

 ***



 五日目の『入国の儀』は、影に言わせれば断食であった。おそらく仰々しい名前がついているのだろうが影には関係ない。姫は朝から水、それも聖都の地下水しか口にせず、神官たちと神殿に籠りひたすら祝詞を唱えていた。一人一人は小さな声でもそれが幾重にも重なり、高い神殿の天井までうねるように響き渡り、なるほど儀式というだけの物々しさはある。


 けれどそこに神聖さのかけらを見出すことは影にはできなかった。それだけではない。遠い昔に見た神殿のステンドグラス。圧倒するはずのそれも、凪いだ海は景色のひとつとしか写さなかった。


 儀式も折り返しの五日目より、影は夜間の護衛も務めるようになった。夜通しではないが、他の鴉は護衛以上に情報収集のほうが任務として重要である。自然、影の護衛時間は長くなる。


 そして夜も更けてきたころ、部屋の外に待機している鴉から反応があった。それに返すよりも先に扉が開いて、他でもない影の主が姿を現した。

 影は少し驚き、しかし昨夜のこと、誓いの儀まで王太子と姫の接触には厳しい制限が課せられていることを思い出す。そうして導き出される答えは一つしかなくて、影なりに気を遣って退出しようとした。けれどこちらも昨夜同様留まるように指示されてしまったので、影は部屋の隅に身を置いた。


「……姫の顔色が昨日より優れないな」


 寝台の横に腰を下ろして王太子はつぶやいた。


「今日は断食していたようですから、疲れが出てしまったのでは」

「そうか」


 影の位置からは王太子の横顔しか見えない。静かに姫を見つめ続ける王太子の視線が動くことはない。


「姫は、笑うようになったか」

「はい。最初のころに比べれば」

「しかし真の笑顔からは程遠いな。聖都と帝国はあまりにも違いすぎる。お気に召されないのかもしれんな」


 影に向けられる厳しく鋭い鷹の目は、今はおだやかな光を宿して細められていた。けれどその光には揺らぎがあって、影は今の言葉の真意も分からなかった。ただ帝国を、ひいては主の評価を下げるような発言を聞き流すことはできない。


「姫は帝国の建築様式を非常に熱心にご覧になっていました。それだけではなく、花や衣装にも興味はおありのようです」

「探究心あふれる御方というわけか」

「ですから自由に帝国を見て回れるようになれば、必ずこの国を気に入っていただけます。今は仕方ありませんが……すべて。すべてが終われば、姫の笑顔を見ることができます。必ず」


 力強い声が告げる。「すべて」の後に自身はたどり着けないというのに、その声に迷いはない。姫から視線を外して王太子が影に向き直っても、その瞳は相変わらず凪いだままだ。そこには迷いはもちろん、悲哀も嘆きも絶望もない。ただ主とその細君の未来を映しているだけだ。

 王太子は一度姫のほうを見下ろす。瞳を閉じた状態では従者と何一つ変わらない。正しくは従者が姫と変わらないのであるが。


「……お前の、その瞳には何が見えている」

「どこまでも栄えるオスティマ。その光の先頭に立つ殿下と姫が」


 淀みない答え。従者として完璧な答え。凪いだ海はあまりにも深く、底には鋭い鷹の光も届かない。

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