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或る物語  作者: 柚木
6/12

<4>

 四日目は緩やかに過ぎていった。三度の食事だけ巫女姫は神官に連れられて別室でとっていたが、ほかは自由に城内を歩き回っていた。巫女姫の横には近衛が、それを目につかないところで鴉が護衛をする。帝国の城と聖都の城は造りが違うらしく、巫女姫はあちこちを興味深く見ていた。室内にいる場合は影をはじめとした鴉が護衛を務めた。


 影は時に近くで時に遠くから姫を見ていた。


 ことあるごとに柔らかく微笑みかけられる。姫は影に対しても惜しみなくその美しい微笑みをくれるし、けがをした者を見れば躊躇いなく奇跡の力を使う。女神の生まれ変わりというのは伊達ではない。

 影は姫の顔から日に日に陰りが薄れていくこと自体は嬉しかったが、そうなると今度は己に向けられる暖かさを居心地悪く感じた。姫の周囲は眩しくて清らかで、息苦しくなる。

 

 そして城が寝静まった深夜、影は自室で武具の整備をしていた。髪をおろして顔を覆う「目隠し」布を外した姿はまさしく巫女姫そのもの。

 愛用する小太刀、毒を塗った仕込み針、身体中に仕込む何本ものナイフ、布術用の布……不備はないか、数は揃っているか。機械的に作業を進める。

 ある時、影の手が止まる。先ほどから薔薇園の方角で音が聞こえてくる。風かと思ったが、それにしてはやけに方向性がある気がした。

 気のせいだろうか? 影の超人的な聴力でも、さすがにこの部屋から薔薇園は遠い。

 しかし考えたのはほんの一瞬で、すぐに黒装束を身に纏う。整備中の武具を最低限備えて薔薇園に向かった。



***



 人のいない夜の薔薇園は、静謐な雰囲気を漂わせていた。だが。


 いるな……


 気配がするだけで四……五人。それと微かに聞こえる不自然な音も合わせて考えると多くて七人。城に忍び込むにはいささか多い。目的を見極めるためにもしばらく見張っていたかったが、うち二人が姫の部屋に向かっていたのでそうもいかなかった。

 まずは姫の部屋に向かう二人。痺れ薬を塗り込んだ仕込み針を飛ばす。近くの一人もすぐに黙らせた。そのまま薔薇園を音もなく駆けるが、影は突如足を止める。


 ……後方に二人、左手に一人と右前方に一人。


 視線も動かさず状況を把握する。影は舌打ちをしたい気分だった。気づかれたのが早すぎる。特に落ち度はないつもりだったのだが。


「鴉と言っても大したことないと思ってましたが、なかなかどうして鋭いのがいたものですね」


 そんな影の前に一人の青年が姿を見せて朗らかに笑った。

 影は表情こそ無のままだったが、ほぼ無意識に小太刀を強く握りしめた。……声をかけられるまで、全く察知できなかった。

 青年は嫌味なほど優雅な動作で手を胸に置き、その場で一礼した。


「お初にお目にかかります。私は『アノニマス』と呼ばれております。以後お見知りおきを」


 ――アノニマス。そこに居ない者。親衛隊のトップにつけられる呼び名でありそれ以外の情報は一切不明。要警戒。


 青年の呼び名をもとに情報を頭の中から引っ張り出す。

 影はこれが好機か否か判断しかねた。青年と自分の実力差を推察するに、影一人では全員を取り押さえることは難しいからだ。とりあえずいつでも応戦できる状態で目の前の青年を注視する。一方青年は場に似つかわしくない透明な笑みを浮かべた。


「任務に忠実なところ申し訳ないですが、今日は騒ぎを起こしたくないのです」


 見逃してもらえますね?

 有無を言わせない笑みに、影は何も言わず腕を振るった。次瞬青年の頬に一本の赤い線が走る。それが示すものは、拒絶。唯一覗かせる凪いだ海の瞳を見つめて、青年は楽しそうに口の端を持ち上げた。


「……まったく、これだから聖なる大義を理解しない者は哀れでなりませんね。いいでしょう、あなたの哀れさに情けをかけるとして今日はこちらが退いてさしあげます」


 その言葉に対して影が抱いた感想は一つだけである。ここまで侵入して退けるとでも思っているならば、なんて。

 

「浅はかな」


 その言葉が終わると同時に、左手に潜んでいる男が倒れた。全員がそれを認識するよりも前に鴉たちが音もなく降り立つ。

 弾かれるように残りの男たちが散っていく。それを追う鴉。青年も肩を竦めてから地を蹴った。別の鴉が追跡するのを確認して、影は姫の部屋に走る。


 しかし姫の部屋には先客がいた。


「殿下」


 小さく呼び掛けると、穏やかに眠る姫の傍らに座る王太子が顔を上げた。


「お前か……」


 囁く声に影は部屋を出ようとした。この部屋を護衛していた鴉がいないということは、王太子が人払いしたのだろう。けれど王太子は手でその場にいるよう指示するので、影は部屋の角に身を置いた。


「招かれざる客がいたようだな」


 一人言に近い呟き。影はこれまでの経験から黙って聞いていた。そっと王太子が姫の顔にかかった髪をのけてやる。触れるかどうかの、まるで割れものを扱うかのように指が姫の頬を撫でた。


「目障りな。姫の顔色もだいぶ良くなったが、まだその心労は量り知れない。誓いの儀まで黙って大人しくしておればいいものを」


 姫の艶やかな墨色の髪が指に絡められてはすり抜けて落ちる。誓いの儀こそが『計画』実行の時である。その時に動いてもらうからこそ親衛隊には価値があるし、逆に『計画』に利用することで初めて親衛隊を捕まえる口実を作れる。それまで聖都の顔色を窺わなければならない帝国側にしてみれば、親衛隊は実に扱いずらい。

 だがそのように都合よく事が勝手に運ぶわけはなく、そう運ばせることが鴉の、影の役目であるはずだ。どうしても後手に回る現状に、影は内側で己に苛立ちを感じた。


「もう遅い。報告は朝改めて聞く」


 王太子はゆっくり立ち上がり、眠る姫の顔を見つめてから足早に扉に向かう。影の方には視線すら寄越さないで扉を開けた。王太子は扉を閉める前に一度だけ視線を影に向けたが、頭を下げる影は気づかなかった。



***



 翌朝、影は王太子に呼ばれて主の自室でひざをついていた。


「昨夜の侵入者は『彼ら』でした。目的は不明なままです。鴉が尋問をしていましたが、聖都側に嗅ぎつけられてしまいました」

「ああ。父上がごまかそうとしているが、おそらく身柄を引き渡すことになる……厄介なのが紛れ込んでいるようだな、聖都にも帝国にも」

「そのことで鴉は近衛の全指揮権掌握を希望しております。城のすべてを鴉が把握できれば、炙り出せるものもあるかと」


 そこで、沈黙が落ちる。たった一拍だけだが、その沈黙の意味は複雑だった。ただそれを理解できるのは王太子と影だけで、そしてその二人だけが分かっていれば十分なのだ。


「……わかった、そうさせる」

「ありがとうございます」

「他に報告は」


 あるのだろうと言わんばかりの口ぶり。影は黄金にきらめく鷹の瞳を見返し、再び頭をさげた。


「『アノニマス』と接触しました。鴉から逃げおおせたようで、捕まった中にはいませんでしたが」

「手強そうか」

「はい、近衛ならば上位隊士でも敵わないでしょう」


 それを聞いた王太子は片頬を歪めて笑った。


「それくらいの力がなければ困る。近衛らの包囲を抜けて巫女姫を殺しに来てもらわねばな」


 その笑いは何に、誰に向けられたものなのか。それを知るのは王太子だけで、これに関しては影でも推し量ることは出来ないし、そんな思いあがった行為をしようとも思わなかった。



 運命の日まで、残り六日。五日目が始まる。

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