木曜日 「永遠を騙る空洞の王座――枯れゆく鼓動を銀の砂で埋め、不滅という名の死を愛でる」
「ああ、愛しのメルリュア――俺は少し、休みたくなったよ」
オリオス王子がそう零したのは、木曜日。敵の城は全壊し、その他の施設は半ば砂となり舞っていた為に、血のように赤い太陽が色濃く沈みゆく夕刻だった。
舞い上がる砂塵は、かつてそこにあった栄華の断末魔。崩れ、削れ、土へと還る。そのあまりにも脆い「形あるもの」の末路を、王子は無心に眺めていた。
彼の憂慮は、私がその耳元で、肌で、抱き与えることで解決したはずだった。けれど、私の抱える問題は逆に膨れ上がってしまう。この戦域に転がる大量の「材料」で、あなたとの居城を建てたとしても、それでは足りない。
貴方は、もう一つの城を欲しがったのだから。
私が千思万考を始めているうちに、王子様のまわりにダリムら騎士たちが結集していた。今の勝利を喜ぶ者に、主君の異変に慌てる者。私が横目で大雑把に見た感じでは、喜びの感情が波及していく「音」が確かに聴こえた。
騎士ダリムだけが、私の瞳を正面から受け止め、私の膝に言葉を交える勇士のようだった。わざわざ私に礼を尽くすのは、そこに漂う恐怖のせいだけではない。
「王は命に別条はないが、王子もこれではな。……あちらの天幕で休んで頂くぞ」
私の何が、この人たちにこれほどまで必死に語り掛けるのか気になった。
「ダリムさん。何かおかしいかしら? 私って」
「まだ王子と正式の婚礼を結んだわけではないのでな、お嬢様。……それより、王子との遊びはやめて帰ってもらいたい。あの森へ……」
「でも、あの方を愛してしまったのだから」
私の口から零れたその言葉は、自分でも驚くほど甘く、そして濁りのない音色をしていた。
なぜ、この人は私を拒むのかしら。私はただ、この美しい素材を愛で、守り、永遠の響きを与えようとしているだけなのに。
「……愛、だと?」
ダリムの声が、ひび割れた大地のように絶望に染まる。
彼が知る愛は、互いを慈しみ、共に老い、いつか看取るという穏やかな円舞曲なのだろう。けれど、私の愛は違う。
「ただ、このままでは不測の事態を招くことになるだろう」
ダリムは馬を撫でながら向きを変え、元の王子様のところへと引き上げていく。「力持つ魔女は凶にしかならん」そう呟いたのが、ミュートをつけたコントラバスのように私には聞こえた。
(♪~くさるゆび おつるは ときはとまる すなとなれ)
オリオス王子がいる天幕からは、驚愕に震える騎士たちの不協和音が漏れ聞こえてくる。離れた場所にいる私にも、王子様の旋律が途切れ、体力の限界を迎えていることが手に取るようにわかった。きっと今、彼はダリムのように、あるいはそれ以上に無惨に老いさらばえているに違いない。
――このまま動かなくなった宝石を手に入れたところで、私は満たされない。
どうしようと考え直しながら歌い続けるけれど、中途半端に壊してしまった素材(城)は、今ではもう、冷たい墓標になってしまった。彼のものではない、名もなき死の象徴に。彼をそんな、ありふれた終止符の中に置き去りにしたくない。
歪んだ赤い太陽が沈むと、あっという間に闇の帳が降りて来た。王子様の天幕に明かりが灯り、中で慌ただしく動く人影が揺らめいている。あの方の姿を確かめるために私が天幕へ近づいたとき、ちょうどダリムが中から出て来た。
私を見て、彼は一度立ち止まる。その瞳には、私を王子様に会わせまいとする拒絶と、一方で、もう自分たちにはどうすることもできないという諦念が混ざり合っていた。
王子様と出会わせないつもりかしら?
私はあえて何も言わず、ただ静かに彼を見つめた。ダリムはひどく悩んでいるようだった。その背中は、先ほどまでの威厳を失い、消え入りそうな、薄く震えた倍音のような息遣いを引きずっている。
けれど彼は、重い溜息を一つ吐くと、天幕の入口を捲り上げ、私を中へと迎えた。
大きな天幕なのに、数十人いる騎士たちの立てる反響音が、閉ざされた空間を騒がしく埋めていた。主君の異変に怯える者、怒りに震える者。彼らの放つ熱気が籠もったここも、私の姿を見るなり温度が急降下したようだった。私の纏う空気がそうさせたのか、彼らの「生」の熱を奪い、凍りつかせていく。
(ティキン、と高密度の金属同士の音が重なり合う)
私が迷わずオリオス王子のもとへ駆け寄ると、周囲にいた幾人かの騎士が、反射的に腰の剣に手を掛ける音がした。だが、その剣が抜かれることはない。
彼らが一体何を見せたいのか、私には理解しがたかった。武器を手にしているというのに、そこから伝わってくるのは戦う意志ではなく、ただの戸惑いだ。私に向けられた殺気など微塵も感じられない。
……見かけだけを大きく見せて、敵を遠ざけようとする。そんな動物もいたかしらと、森で見た光景を思い出す。中身は震えているのに、毛を逆立てて虚勢を張るだけの、名前も知らない小さな生き物。
私はしゃがんで、横たわるオリオス王子の手を握った。かつては剣を握り、私を導いた厚く広い手。けれど今のそれは、体中の水分が失われてしまったかのように枯れ果て、顔すらも深い皺に覆われている。私は、ホワイトサファイアのような白髪の混じりの頭を、労わるように優しく撫でた。
「カンギャス王からの書状は、まだ届かないのか」
背後の暗がりで、騎士の一人が震える声を出した。
「無理だ、どんなに早くとも二回目の朝日を、見なければならないだろう」
騎士たちの間で、押し殺したような囁き声が交わされる。彼らは私に聞こえていないと思っているようだけれど、静まり返った天幕の中では、その声が湿ったカズーのような楽器が響いているようだった。
「お嬢さん、あなたならオリオス王子がこうなってしまった原因はわかるのだろう。そして、治すと……言えるはずだ」
ダリムはそこで言葉を切り、私の目をじっと見つめた。
壊れているわけではないのに「治せ」だなんて、私には意味が分からない。素材が形を変え、響きが鈍くなっただけ。けれど、私もまだ、貴方の輝きを見ながら、この世界で動き回る姿が見たい。このまま石に還してしまうには、オリオス、貴方はあまりに惜しい「素材」なのだから。
「……ええ」
ダリムの必死な視線を、私は指先で軽く弾き飛ばした。試したことなんてないのだけれど、合わせれば。私の内側で鳴り響く構築の旋律を、貴方の途切れそうな鼓動に重ねて、歌を合わせれば――。
貴方はまた、目を開けてくれる。そう確信していた。
「皆さん、静かにして欲しいので、私たちを二人にして欲しいわ」
私のその一言に、背後の騎士たちの間で波のような「どよめき」が広がった。けれど、それを断ち切ったのはダリムだった。彼は一言も発さず、ただ静かに左腕を上げ、外へと向かう合図を送る。
(……ドォン、と重く鋭い、芯の通った音が天幕を貫く)
それは、私にだけは「強制力のある、頭からつま先に刺さるような音」に聞こえた。騎士たちはその音に気圧され、誰一人として歯向かうことすらできないようだった。彼らは弾かれたように、即座に天幕から出て行き、いなくなった。
「儂だけは、残ることを許してもらいたいお嬢さん」
残されたダリムさんは、もはや言葉を交わす相手ではなく、そこに根を張った古びた大木のようにただ立っているだけ。私には、彼がそこにいようがいまいが、どうでもよかった。
騎士たちが連れ去った熱気に代わって、天幕の空気が冷たく入れ替わる。今度は、燃え尽きようとする蠟の香りだけが、ねっとりと肌にまとわりついてきた。
私は、横で寝ているオリオス王子様に掛かる毛布を、静かにめくる。そこには、飾るもののない、痩せさらばえた上半身が露わになった。かつての輝かしい筋肉は影を潜め、浮き出た肋骨と、乾いた紙のような皮膚が、人間という寿命の限界を無残に晒している。
それに合わせるように、私もコートを脱いだ。どんな雑音も、不純な響きも入れたくはなかった。腕から薄着を滑り落とし、剥き出しになった私の熱い心臓を、彼の冷え切った心臓へ、焼くように力強く押し付けた。
これが、私の本能なの?
もし、それがわかったとしても、この先何をすればいいのかという知識を、私は持ち合わせていない。素材を慈しみ、愛したことはあっても……私はきっと、誰かに愛されたことなんてないから。この熱をどう扱えばいいのか、この後どうすればいいのか、私には分からない。
けれど。
「……っ」
私の唇が塞がれた。
意識を失っているはずの王子の腕が、私の背に回り、壊れそうなほど強く私を抱きしめていた。
彼の力で、私がどうなるわけではないのだけれど……。強く、熱く。相手から「求められる」という感覚を肌で感じたのは、これが初めてだったと思う。
私の内側の歌が、彼の熱に煽られて、狂ったように激しく鳴り響き始めた。私の心臓が焼ける。彼の、白磁へと変わりゆく肉体が、私の熱を飲み込んで、凄まじい拍動を刻み始めた。




