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届かない歌声はないと思いたかった。貴方の裏切りを碧夜の空から失礼します。ついでに貴方の国を瓦礫に変えますね。  作者: イニシ原


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水曜日 「逃げ場ない獲物の残響――震える背中を見守りながら、甘い呪いの毒を注ぎ込む」

 遠い草原の端に、まだ太陽の姿は見えなかった。だが、回折した光が戦域をなぞるように白み始める。そこには、人々の感情から絞り出された、肉体の叫びとしての〝声〟が溢れ返っていた。


 ――助けて、痛い、帰りたい、死にたくない。


 夜を徹して行われたその戦いは、もはや戦ではない。オリオス王子ただ一人による、一方的な虐殺とも呼べるものだった。


 日が昇るにつれて、二つの部隊には人々が集まり出した。少し眺めている間にも、それは大きな集団へと膨れ上がっていく。騎士たちは馬に跨り、伝令や統制のために草原を忙しなく駆け回っていた。


(♪~つぎはあい むらさきなか まぜないあかはまつ)


 オリオス王子と共に巡った草原には、思いがけず貴重な素材が眠っていて、私は胸を躍らせた。この一晩で「建ててあげた」拠点は、敵勢の戦気を削ぐには十分な効果があったようだ。……あるいは、自分たちの仲間の墓が不気味な形に見えたからか。


「殿下、こちらにお乗りください。……戦火はすでに隣国へと移ろい始めております。一刻も早く……」


 騎士ダリムは、私たちのために二頭の馬を連れて現れた。その際、彼は私の正体を見極めようと目を凝らしている。けれど、その必死な視線さえも私を透過して、背後に積み上がる「それ」へと吸い込まれていった。


 いずれは「塔」になるであろう、あの白灰色の壁へと。


 私たちは、鞍なんていらない。それを無造作に投げ捨て、裸馬一騎で走り出した。王子様の背中越しに見えるのは、敵の三騎。怒声を響かせ、真っ赤な顔をさらに黒く染めながら、死に物狂いで特攻してきていた。


「ねえ貴方。あの虫を叩き潰すと、あちらの群れが向かってきそうよ」


「メルリュア、君は戦局が読めるのか。……まさにそれを狙っている。楽しいだろう? あの城を奪い取るまで、このまま走ろうではないか」


 獲物を見定めた肉食獣のような王子の言葉に、私は冷たく微笑み、首を振る。


「いいえ。この空白地に、貴方の為の城を今まさに作っているところなのに――。あんな古い残骸、私は要らないわ」


「しかしメルリュア、あの城は我が国の領地を左右に分断する楔なのだ。広漠たる草原の中、あそこに居座り続けているせいで、我らは両翼を切り離されている」


 オリオス王子が馬上で私に振り向いた。そのまま、まるで私の髪の香りを慈しむように、深く息を吸い込む。


「……だが。今は、君がいる」


(♪~はなもみつもない せいはなれ かたまるる)


 王子様は、私が何でも出来ると思っているのかしら。「領域」を望むその熱っぽい視線に、私は心の中で小さく苦笑した。


「ふふ……。でも、貴方たちの魔法でも、一晩で城を建てるなんて無理でしょうけれど」


 そう、人間の無作法な魔法では、せいぜい土を盛り、石を積むのが関の山。けれど私なら、この草原に転がる「素材」をこね上げ、次の夜明けを待たずに、貴方のための玉座を用意してあげられる。


 私たちは、三匹の虫を踏み潰し敵陣へと向かう。王子様の魔力の奏で方は、いつの間にか力強く、そして巧みになっていて、私の歌を補助してはさらなる深みを与えてくれた。


 いずれは、二人きりになってしまうのかしら。


 そんな考えが不意に脳裏をよぎると、私の心の中に冷たい秋風が吹き抜け、何か大切なものを連れ去ってしまったような気がした。形のない不安を振り払いたくて、私は前を行く王子の背中に、そっと声を掛けてみた。


「いいのかしら――本当に、二人だけで……」


 その問いを言葉にしたのは、初めてだった。彼はすでに私の瞳を宿し、魂まで私のものだと分かっている。けれど、それでも胸の奥で、正体の知れない影がゆらりと揺れる。


「もちろんだ、我が愛メルリュア」


 その後のオリオス王子は、休むことを知らなかった。天に太陽が昇ろうが、草原に這いずっていた不死の怪しげな影が、陽光に焼かれて消え失せようとも。


 誰も予期せぬ彼の動きのおかげで、敵の陣形は無意識の嘘つきだらけで混乱していた。


 王子様だと言うのに、全身から汗を飛ばし、次の標的をその手で掴み取る。土煙が舞い、息を切らし、ただひたすらに「球体」を丸め続けるその姿は、王子がこれまでの人生で一度も経験したことのない、凄まじい熱量を孕んだ「労働」の姿だった。


 魔力を使いこなし、泥を捏ねるその無心な躍動こそが、私に捧げられる「成長」の調べ。薄い皮膚の下で、高貴な血が精一杯に拍動し、私の瞳に映える色へと煮詰まっていく。


 私たちは一騎で敵陣を抜き去り、草原を抜けた小高い丘で、今来た道を振り返った。どうやら追いかけて来るものはなく、既に味方の騎兵たちが、フォークを刺すように至る所から敵陣へ穴を開けていた。


 凄惨な蹂躙が広がる光景を、私は舞台を眺める観客のように、冷ややかな視線で見下ろす。


「奏で方が下手なのね、彼らは」


 どこか間の抜けた、乾いたカスタネットのような音が聞こえてくる。それは馬蹄の響き。この丘を目指して、数十騎の騎士たちが土煙を上げながら登ってきた。


 王子様の部下たちだ。彼らは必死に手綱を操り、鉄の塊を鳴らしながら、私たちの聖域へと無遠慮に踏み込んでくる。


「ついて来るなと言ったはずだぞ!」


 王子様の鋭い叱咤しったが丘に響く。けれど、騎士たちにとって主君を守ることは命であり、唯一の誇りだ。その言葉を額面通りに受け取り、引き下がるはずもない。


 それでも、彼らは一定の距離を保ったまま、金縛りにあったように動けずにいた。私の存在が、彼らにとって得体の知れない「壁」となっているのだ。近寄れば魂まで侵食されるような、本能的な恐怖。


「……だが、仕方ない。敵城は目の前だ。ついてこい」


 王子様は吐き捨てるように言い放った。騎士たちは、王子様を連れ戻すために、あるいは救い出すためにここへ来たに違いない。いいえ、連れ戻したいのは「王子様だけ」。


 けれど、彼らの口が動くより速く。


 救いの言葉が届く隙など与えず、王子様は再び馬を駆け出させた。


 私の歌声が風に乗り、丘を撫でていく。平坦な草原より、私はこの起伏のある丘の方が気に入った。起伏はより大胆に。平坦な場所は、ゆっくりと静かに。まるで巨人の腹が波打つように大地を蠢かせ、私たちは新しい道を切り拓いていく。土を蹴っていた馬たちの足音は、いつの間にかマリンバのように軽やかな音を奏で始めていた。


 瞬く間に敵城へと肉薄すると、うねった城壁は、紙より脆く崩れていく。城下町をなぎ倒し、敵を遮るための迷路の道さえ、拠点の砦という心臓まで槍で突き通されて既に瀕死のようだった。


「お待ちください殿下!」


 後方から騎士ダリムの声。それは王子様が外壁があったまさに敵の拠点、城下町へ踏み入れる時だった。


「……殿下、我々の勝利です。先ほど丘から見たときには既に、反対の門から市民らが脱出を始めております。どうかここで、兵をお止めください。このままでは城内へ雪崩れ込んでしまいます」


 ダリムの制止に、王子様は冷淡な声を返した。


「ダリム。其方が兵をまとめればいい。それに――父上はどうなったのだ」


「オリオス王子……」


 苦渋に満ちた声を漏らすと、ダリムは馬から降り、こちらへ歩み寄ってきた。そして重厚な兜を脱ぎ捨てると、初めて私にその素顔を見せ、真正面から視線を合わせてきた。


 それは、刻まれた皺よりも、死線を潜り抜けた傷跡の方が多い老騎士の顔だった。この私が持ち合わせていない、使い古されたチェロのような、ひび割れた響き、掠れた音域。そのかおが持つ独特の響きは、彼が歩んできた時間そのものが、特有の魔力を帯びているかのように感じられた。


「オリオス様。速すぎるのです、何もかもが。このわたくしでは……いえ、今、貴方以外にこの軍を統制できる方はおられないのです」


 争い相手が弱気となれば、そこですぐに戦いを終わらせるのが動物たちの掟。これ以上追い詰めれば、死に物狂いの反撃という余計なリスクを背負い込むから……。


 けれど、そんな光景を目の当たりにしても、私にはつまらないどこか遠い国の寓話のようにしか聞こえなかった。


 まだ、その辺りを這い回る虫たちの方が綺麗に奏でる。相手の命を奪い、自らの命を繋ぐ。その純粋な循環しらべには、迷いも濁りもないのだから。


 オリオス王子のその横顔には、引き裂かれるような複雑な心象が浮かんでいた。近くに人影はない。けれど彼は、城下町の奥底から反響してくる、悲鳴の混じった怒声を聴いているようだった。


 これ以上の惨状を見たくない――そう願う人間としての心が、まだ彼の中に残っているのか。


「あの魔女に、取り憑かれてしまったのだ。オリオス王子は……」


 後方で馬を止めている騎士たちが、血色のない顔で立ち尽くしている。彼らは数多の魔法を見飽きているはずだった。けれど、王子の背中に漂うこの異質な静寂と、彼が見つめている「見えない地獄」の深さに、ただただ圧倒されていた。


 私には、聞こえないと思っている騎士たちの浅ましいさえずり。何を言われようが、私に毒を吐こうが構わない。けれど。


 ――私の王子様の邪魔だけは、決してしないで欲しい。


 私の想いを語り掛けるために、王子様の耳元へ顔を寄せた。けれど、何を語るべきか選んでいるうちに、私の舌が、吸い付くように彼の耳を舐め上げた。


 私の中から溢れた熱い唾液が、彼の耳の奥へと静かに垂れ落ちていく。それは平衡感覚を狂わせる甘い毒。私の想いが、直接彼の脳へと溶け込んでいくのが分かった。


 外の世界の汚い悲鳴も、もう、彼には届かなくていい。私という「音」だけが、彼の世界のすべてを塗りつぶせばいい。

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