第8話:去る者と、ハイエナのような来訪者
戦いの熱狂が冷めやらぬ翌日。
領主館の前庭には、ゴブリンたちから回収した武器や防具、そしてボスが身につけていた貴金属の山が積まれていた。
「……はぁ。ひどいもんね」
ミリアがため息交じりに、錆びついた剣を放り投げた。
「武器はなまくら、防具はボロボロ。こんなガラクタ、鉄屑としての価値しかないわよ。いいとこ銀貨数枚……全部合わせても金貨一枚になれば御の字ってところね」
「文句を言うな。使えるものは何でも金に換えるんだ」
私は帳簿を片手に指示を出しつつ、内心頭を抱えていた。
昨日の勝利で領民たちの士気は上がった。レオナルト様への信頼も少し回復した。
だが、現実は非情だ。
ガッツへの成功報酬。負傷した兵の手当。壊された柵の修繕費。
出費がかさむ一方で、肝心の収入源がない。
そこへ、一台の立派な馬車がやってきた。
先代の頃から懇意にしていた、領内最大の商会『銀の天秤亭』の支店長だ。
私は救いの神が来たとばかりに駆け寄った。
「おお、支店長! 待っていたぞ。実はこの戦利品を買い取って……」
「アレン様」
馬車から降りてきた支店長は、冷ややかな目で私を遮った。
「本日は、取引の停止をお伝えに参りました」
「……え?」
「先代様が亡くなり、優秀な家臣の方々も去られたと聞きました。それに昨日のゴブリン騒ぎ……。悪いですが、泥船と心中する気はありません」
支店長は事務的に告げると、これまでのツケ(未払い金)の請求書を私に押し付けた。
「支払期限は来月末です。それが無理なら、屋敷の資産を差し押さえさせていただきますので」
それだけ言い捨てて、彼はさっさと馬車に乗り込んで去っていった。
砂埃の中に立ち尽くす私とレオナルト様。
「……僕のせいだ。僕が頼りないから……」
レオナルト様がうなだれる。
慰める言葉が見つからない。これが「落ちぶれる」ということだ。信義も恩も、金と将来性がなければ紙屑同然になる。
「おいおい、シケた面してんじゃねえぞ」
空気を読まない大声と共に、ガッツがノシノシと歩いてきた。
「俺様の活躍で勝ったんだろ? 報酬は弾んでくれるんだろうな? 酒だ酒! 上等な肉も頼むぜ!」
ガッツは無邪気に笑っているが、その目の奥には「約束を破ったらどうなるか分かってるよな?」という野獣の光が宿っている。
金がない、とは口が裂けても言えない。言えばその瞬間に**【義理】**が地に落ち、暴れ出すだろう。
万事休すか。
私が天を仰いだ、その時だった。
「おやおや。随分と素晴らしい『素材』をお持ちでいらっしゃる」
不意に、背後から艶のある声がかけられた。
振り返ると、いつの間にか一人の男が立っていた。
仕立ての良い漆黒のコートに、片眼鏡。細身だが、その立ち居振る舞いには隙がない。
見たことのない商人だ。
私は反射的に、彼の頭上に浮かぶ数値を確認した。
ロレンツォ
【統率:20 武勇:15 知略:88 政治:85】
【義理:08 野望:82】
背筋が凍った。
【知略:88】【政治:85】。
これは、一介の商人が持っていい数値ではない。大国の宰相クラスだ。
そして何より、**【義理:08】**という絶望的な低さ。信用など欠片もできない詐欺師の数字だ。
「初めまして。王都より参りました、ロレンツォ商会の主、ロレンツォと申します」
男は優雅に一礼した。
「先ほどの話、小耳に挟んでしまいました。『銀の天秤亭』が手を引くと聞きましてね。空いた席に座る『金脈』がないかと、様子を見に来たのですよ」
彼は隠そうともせず、ハイエナのような来訪理由を口にした。
弱った獲物の匂いを嗅ぎつけてきたのだ。
「最初は、土地の権利でも安く買い叩こうかと思っていたのですが……」
ロレンツォの片眼鏡がキラリと光った。その視線が、私ではなく、私の後ろにいる二人――ミリアとガッツに向けられる。
「予定変更です。金鉱脈より遥かに価値のある『原石』が、こんな所に転がっているとは」
彼はまるで、商品棚の品定めをするように二人を舐め回した。
「そちらのお嬢さんの『計算能力』と、大男さんの『武力』。……実に見事だ。王都でもこれほどの逸材はそうそう見かけませんよ」
「……何が言いたい?」
「単刀直入に言いましょう。私がその戦利品のガラクタ、全て買い取らせていただきます」
ロレンツォは積まれたガラクタの山を一瞥もしないまま、指を三本立てた。
「金貨300枚。即金で」
「さ、300!?」
横でミリアが素っ頓狂な声を上げた。
相場の倍どころではない。ガラクタの山が、一瞬で国宝級の価値に跳ね上がったのだ。どう考えても怪しい。
「……条件はなんだ?」
「条件など。ただ、今後この領地で商売をさせていただく許可を頂ければ」
ロレンツォはニッコリと微笑んだが、その目は笑っていなかった。
「ウチの商会に来れば、今の十倍の給金を出せる。……なんて言ったら、引き抜きのようで失礼ですかな?」
冗談めかして言ったが、彼の頭上の**【野望:82】**が赤く脈動しているのを私は見逃さなかった。
こいつは本気だ。
金貨300枚で恩を売り、この領地の商権を握り、最終的にこの二人を引き抜くつもりだ。そうすれば、300枚など安い投資になる。
「……おい、アレン」
ガッツが私の耳元で囁く。
「なんだあの野郎。スカしたツラしやがって。……だが、金貨300枚は悪くねえぞ」
単純なガッツは金額に釣られている。
ミリアもまた、ロレンツォの提示した金額と、彼の身なりから「超一流の商人」であることを察知し、自分の価値を高く買ってくれる相手に興味深げな視線を送っている。
(……このまま受け取れば、主導権を握られる)
金は喉から手が出るほど欲しい。
だが、ここで彼らを売るような真似をすれば、領地の復興はおろか、私のプライドも終わる。
私は深呼吸をし、ロレンツォを睨み返した。
「……お断りだ」
「はぁ!?」
背後でミリアとガッツが同時に叫んだ。ロレンツォも意外そうに片眉を上げる。
「ほう? 金貨300枚を棒に振ると? 今の貴家の財政状況で、それがどれほど無謀か……」
「勘違いするな。その金貨300枚は、置いていってもらう」
私は一歩前に出た。
「だが、それは『ガラクタの代金』でも、彼らへの『手付金』でもない。……このエデルシュタイン領への『投資』としてだ」
「投資、ですか」
「ああ。貴殿の目は確かだ。ミリアとガッツは、王都でも通用する逸材だ。だからこそ、今ここで貴殿の商会に引き抜かれるような小さな器ではない」
私は二人を背中で庇い、ロレンツォに宣言した。
「この二人を軸に、私はこの領地を立て直す。いや、今まで以上に豊かな都市にしてみせる。……その時、彼らが生み出す利益は金貨300枚どころではないぞ?」
「……ふむ。夢物語ですね」
「夢ではない、計算だ。貴殿ほどの商人なら弾けるはずだ。彼らを一介の用心棒や会計係として飼い殺すのと、彼らが発展させた都市で『独占的な商売』をするのと、どちらが得かをな」
私は最後の切り札を切った。
「ロレンツォ殿。もし今、我々に投資してくれるなら約束しよう。この領地が復興した暁には、ここでの商流の一切を貴殿に任せる。……どうだ?」
沈黙が流れた。
ロレンツォは無表情で私を見つめ、それから二人の後ろにいるレオナルト様、そして再び私を見た。
彼の頭上の数値が、高速で計算を繰り返しているのが見えるようだった。
【知略:88】
凡人の私が考えつくような計算など、彼はとっくに済ませている。
リスクは高い。だが、リターンは莫大だ。
そして何より、**【野望:82】**を持つ彼は、「安定した小銭稼ぎ」よりも「化けるかもしれない大博打」を好む。
「……ククッ、ハハハハハ!」
不意に、ロレンツォが高らかに笑い出した。
「面白い! 実に面白いですよ、家老殿! 落ち目の領地で、手元にはガラクタと問題児しかいないのに、よくそこまで大きく出たものです!」
彼は涙を拭う仕草をしながら、懐から革袋を取り出し、私に投げ渡した。
「いいでしょう。その『夢物語』に一口乗りましょう。……金貨300枚、先行投資として預けます」
「……感謝する」
「ただし! 期限は半年です。それまでに目に見える成果が出なければ……その時は、利子としてそのお二人と、領地の全権を頂きますよ?」
ロレンツォの目は、捕食者のままだ。
だが、対等なテーブルには着けた。
「望むところだ」
私が革袋を握りしめると、ロレンツォは満足げに踵を返した。
「では、また近いうちに。……せいぜい、私を飽きさせないでくださいね」
去っていく黒い馬車を見送りながら、私は大きく息を吐き出した。
膝が震えて止まらない。
「……アレン。あんた、バカなの? それとも天才?」
ミリアが呆れた顔で近づいてきた。
ガッツは「よく分かんねえが、金は手に入ったんだな!?」と嬉しそうだ。
ゴブリンの次は、化け物じみた商人との借金契約。
私の周りには、片時も油断できない「劇薬」たちが、また一人増えてしまったのだ。




