第52話:淑女の特訓と、スパイの影
「背筋が曲がっていますわ! 角度は15度、視線は相手の喉元!」
「ひいっ! す、数値で言われても体が追いつきません!」
領主館の一室から、少女の悲鳴が聞こえてくる。
中を覗くと、頭に分厚い本を乗せたリコが、涙目でカーテシー(膝を折る礼)の練習をさせられていた。
その前で扇子を構え、鬼軍曹のごとく指導しているのは、もちろんエリスだ。
「貴女は万国博覧会で、我が領地の技術を世界に発表する『顔』になるのです。猫背のままでは、どんなに素晴らしい発明も『おもちゃ』に見えてしまいますわよ」
「うう……。計算式を解くほうが千倍マシです……」
リコが弱音を吐く。
ギルバートとベルンハルトの「魔導通信機」開発は順調だ。だが、あの偏屈な二人に、華やかな舞台でのプレゼンテーションなどできるはずがない。
そこで白羽の矢が立ったのが、助手として全てを理解している天才少女・リコだった。
「リコ。……礼儀作法もまた、論理的な『計算』です」
エリスはリコの顎を扇子でクイッと持ち上げた。
「相手にどう見られるか、どう動けば最も美しく、信頼を得られるか。……その最適解を導き出し、実行する。貴女の得意分野でしょう?」
「……! 動作の最適化……」
リコの瞳の色が変わる。
苦手な運動ではなく、「人体制御の演算」だと捉え直したらしい。
彼女の背筋がスッと伸び、無駄のない動きで優雅な礼をしてみせた。
「……こう、ですか?」
「ええ、悪くありませんわ。……ふふ、飲み込みが早くて助かります」
エリスが満足げに微笑む。
最強の家庭教師と、天才生徒。
この二人が組めば、当日は完璧なプレゼンが見られるだろう。
「……順調そうだな」
私は扉をそっと閉め、廊下を歩き出した。
表の準備は完璧だ。
問題は、「裏」の方だ。
万国博覧会のメイン会場建設予定地。
巨大なパビリオンの骨組みが組み上がり、多くの労働者や職人たちがアリのように働いている。
活気ある光景だが、ここ数日、妙な事故が多発していた。
「家老様! 第3資材置き場でまたボヤです! すぐに消し止めましたが、木材の一部が使い物になりません!」
「西側の足場が崩れました! 幸い怪我人はいませんが、何者かが留め具を緩めた形跡が……」
警備担当の兵士が、青ざめた顔で報告してくる。
自然な事故ではない。明確な悪意を持った妨害工作だ。
「……やはり、入り込んでるな」
私は進化した「目」を凝らし、現場を行き交う作業員たちを眺めた。
今回の万博は、国の威信をかけた一大イベントだ。人手不足を補うため、近隣の領地からも多くの臨時労働者を雇い入れている。
その中に、「ネズミ」が紛れ込んでいる。
「ガッツ。ついてこい」
「おう。……どの野郎だ? 叩き潰せばいいんだろ?」
ガッツが拳を鳴らす。
私は彼を連れて、休憩中の作業員たちが集まるエリアへと向かった。
数百人の男たちが、雑談したり水を飲んだりしている。
私は歩きながら、一人ひとりのステータスを高速でスキャンしていく。
労働者A
【特性:真面目】
労働者B
【特性:酒好き】
労働者C
【特性:借金苦】
(……借金苦か。買収されるリスクはあるが、実行犯の顔ではないな)
ただの一般人ばかりだ。
だが、エリアの端で手押し車に資材を積んでいた、目立たない男に視線を向けた瞬間。
私の脳内に、警告音が鳴り響いた。
潜入者D
【統率:25 武勇:68 知略:55 政治:15】
【特性:破壊工作員(ローゼンバーグ家)】
(……見つけた)
【武勇:68】。ただの肉体労働者にしては高すぎる。
そして何より、特性が真っ黒だ。
ローゼンバーグ伯爵。
エデルシュタイン領の東隣に領地を持つ、元・第一王子派の大貴族。
今回の万博開催を「新参者のくせに生意気だ」と公然と批判し、協力を拒否していた男だ。
「……あそこの、赤い手ぬぐいを頭に巻いた男だ」
私が小声で告げると、ガッツの目が猛獣のように細められた。
「了解。……逃がさねえよ」
ガッツは自然な動作で――といっても、その巨体が動くだけで目立つのだが――男の背後へと回り込む。
男は気配を察知したのか、作業の手を止めて逃げ道を探そうとした。
だが、遅い。
「よう、兄ちゃん。精が出るなァ」
ガッツの巨大な手が、男の肩をガシッと掴んだ。
万力のような力。男の顔が苦痛に歪む。
「ひっ……! な、何ですか……?」
「いやなに、ちょっと『仕事』の話をしたくてよ。……最近、ここらで火遊びが流行ってるらしいじゃねえか?」
ガッツは男を軽々と持ち上げ、人気のない資材置き場の裏へと連れ込んだ。
私も後に続く。
「は、離せ! 俺はただの出稼ぎだ!」
「ただの出稼ぎが、短剣なんて隠し持ってるのか?」
私は男の腰元から、作業着の下に隠されていた護身用のナイフを抜き取った。
さらに、懐を探ると、小瓶が出てきた。油の匂いがする。
「発火剤か。……これでボヤを起こしていたんだな?」
「……ッ!」
「雇い主は誰だ? ……いや、聞くまでもないな」
私は冷ややかに男を見下ろした。
「ローゼンバーグ伯爵。……そうだな?」
男が目を見開く。
図星だ。私の「目」が嘘をつくはずがない。
「……言えるわけがねえ! 失敗したとバレたら、俺の家族が……!」
「ああ、そういうことか」
典型的な捨て駒だ。家族を人質に取られ、汚れ仕事を強要されている。
殺してもいいが、それでは伯爵の尻尾は掴めない。
それに、レオナルト様ならこう言うだろう。『彼も被害者だ』と。
「……取引だ」
私は男の前にしゃがみ込んだ。
「お前を憲兵には突き出さない。その代わり、伯爵の指示書と、連絡手段を教えろ」
「な……?」
「家族の安全が心配か? なら、ウチの領地で保護してやる。……うちは『訳あり』の受け入れには慣れてるんでな」
男はしばらく震えていたが、ガッツの無言の圧力と、私の提案に観念したのか、がっくりと項垂れた。
「……分かった。あんたに従う」
男は、伯爵から受け取った密書(資材に紛れ込ませてあった)の隠し場所を白状した。
そこには、万博当日に向けて、さらに大規模な「動力炉の爆破」を計画していることが記されていた。
「……とんでもねえクズだな」
ガッツが吐き捨てる。
動力炉が爆発すれば、会場は吹き飛び、多くの要人が死傷する。
ただの嫌がらせレベルではない。テロだ。
「だが、これで手が打てる」
私は密書を懐に入れた。
敵の手の内は読めた。あとは、万博当日、その悪意を逆手に取って、最高のショーにしてやるだけだ。
「行くぞ、ガッツ。……ローゼンバーグ伯爵には、特等席を用意して差し上げないとな」
私の胃がキリキリと痛む。
だが、その痛みは恐怖ではない。
来るべき決戦に向けた、武者震いのようなものだった。
万博開幕まで、あと一ヶ月。
役者は揃い、舞台は整いつつあった。




