第48話:辺境の防衛戦と、吉報
【Side:アレン】
「オラァッ!! 逃げるんじゃねえ! 俺はまだ準備運動も終わってねえぞ!」
ガッツの咆哮が戦場に響き渡る。
開戦から数時間が経過していた。
エデルシュタイン領の国境防衛線は、奇跡的に維持されていた。
数は圧倒的に不利。装備も劣る。
だが、地の利を知り尽くした罠と、ミリアによる完璧な補給、そして何より「ガッツ」という規格外の武力が、帝国軍の足を止めていた。
「……そろそろ限界か」
私は望遠鏡を覗きながら、冷や汗を拭った。
こちらの兵士たちの疲労はピークに達している。対する帝国軍は、予備兵力を投入し、力押しで突破を図ろうとしていた。
「アレン! 矢の在庫が残り3割を切ったわ! 次の補給馬車まであと一時間はかかる!」
ミリアが焦燥した声で報告してくる。
彼女の顔も煤と泥で汚れている。いつもの涼しい顔はどこへやら、必死の形相だ。
「分かった。……ガッツを一度戻せ! 狭い峡谷で持久戦に持ち込む!」
「無茶よ! あの戦闘狂が素直に戻るわけないじゃない!」
「餌をぶら下げろ! 『戻れば極上の肉がある』と言えば……」
私が指示を飛ばそうとした、その時だった。
「……む?」
最前線で暴れていたガッツが、不意に動きを止めた。
彼だけではない。帝国軍の動きも止まった。
敵陣の後方から、けたたましい銅鑼の音が鳴り響いたのだ。
それは、突撃の合図ではない。
撤退の合図だ。
「……退くのか?」
私は目を疑った。
あと一押しすれば、こちらの防衛線は崩壊する。それなのに、なぜ?
帝国軍は潮が引くように、整然と隊列を組み直し、国境の向こうへと去っていく。
「おいコラ! 待ちやがれ! 勝負はついてねえぞ!」
ガッツが追いかけようとするが、敵は無視して去っていく。
その背中には、焦りが見えた。
戦況不利による撤退ではない。本国からの急な命令による、戦略的撤退だ。
「……そういうことか」
私はへなへなと地面に座り込んだ。
全身から力が抜けていく。
「アレン? どういうこと?」
「王都だ、ミリア。……王都で決着がついたんだ」
私は確信を持って言った。
「帝国軍の狙いは、王都での政変に合わせてこの国に侵入し、傀儡政権を樹立することだったはずだ。……だが、今ここで退いたということは、その前提が崩れた」
「つまり……レオナルト様たちが、勝ったのね?」
「ああ。そうでなければ、奴らがこんな好機を逃すはずがない」
ミリアが「……はぁーっ」と大きなため息をつき、私の隣に座り込んだ。
「本当、心臓に悪いわ。……あのお人好し、また何か無茶やったんでしょうね」
「違いない。……だが、信じていた通りだ」
私は懐から、小さな金属の箱を取り出した。
ギルバートがくれた、試作型の通信機。
こちらからの声を届けることしかできない、一方通行の道具だ。
だが、今はそれで十分だった。
スイッチを入れると、微かな魔力の脈動を感じる。
「……あー、テステス。……レオナルト様、聞こえますか? アレンです」
ノイズの向こうに、主君の顔を思い浮かべる。
きっと今頃、ボロボロになりながらも、誰かの手を取って笑っているはずだ。
「国境の帝国軍、撤退を確認しました。……この不可解なタイミングでの撤退、そちらで何か大きな動きがあったのだと判断しました」
私は、自分でも驚くほど穏やかな声で報告を続けた。
「奴らの企みが潰えたのなら、これ以上戦う意味はありませんからね。……レオナルト様たちが勝ったのだと、信じています」
少し間を置いて、私は続けた。
「ガッツが暴れ足りないと文句を言っていますが……ミリアも、みんな無事です。……とりあえず、一件落着です」
返事はない。
だが、伝わっているという確信があった。
「……ふぅ。終わったな」
「ええ。終わったわね」
東の空が白み始めていた。
長い夜が明ける。
泥だらけの戦場に、朝日が差し込んでくる。
「おいアレン! 腹減った! 飯だ飯!」
戻ってきたガッツが、大声でわめきながらこちらへ歩いてくる。
その顔には「やりきった」という満足感が溢れていた。
「……ったく。あいつは本当に元気ね」
「ああ。……だが、あいつのおかげで助かった」
私は立ち上がり、泥を払った。
胃の痛みは……不思議と消えていた。
「帰ろう、ミリア。……凯旋の準備をしなきゃな」
「そうね。……レオナルト様が帰ってきたら、山ほどの決裁書類にサインさせなきゃ」
ミリアが悪戯っぽく笑う。
最強の仲間たち。
そして、最高の主君。
凡人だった私が、異世界で手に入れたもの。
それは「数値」では測れない、かけがえのない宝物だった。
エデルシュタイン領の物語は、まだ続く。
だが、とりあえず今は……美味しいコーヒーを飲んで、ゆっくり眠りたい気分だった。




