第42話:天才少女の都市計画と、王の病床
孤児院の引っ越しから数日後。
エデルシュタイン領は、小さな「革命」の只中にあった。
「……非効率です」
執務室のテーブルに広げられた領内図を指差し、リコが淡々と言い放った。
分厚い眼鏡の奥の瞳は、感情を排した冷徹な計算機のように光っている。
「住宅区から農地への動線が曲がりくねっています。これでは移動だけで1日30分のロス。年間で180時間の損失です」
「い、180時間……」
ミリアが絶句する。
彼女も計算は得意だが、リコのそれは次元が違う。都市全体の人の流れを「数値」として捉え、最適解を導き出しているのだ。
「さらに、水路の勾配も甘い。このまま人口が増えれば、3年以内に下水が溢れます。……今のうちに地下水道を整備し、あわせて道路も拡張すべきです」
「予算はどうするんだ? そんな大規模工事……」
「カッファの増産分で賄えます。……私の計算では、物流ルートを整理するだけで輸送コストを2割削減できますから、その浮いた分を投資に回せばお釣りが来ます」
リコはサラサラと計算式を書き殴った羊皮紙を突きつけた。
完璧だ。ぐうの音も出ない。
【知略:88】【政治:82】。
この12歳の少女の頭脳は、私やミリア、そしてエリスさえも凌駕する「都市設計のスペシャリスト」だった。
「……それじゃあ、私はギルバートさんの所へ行ってきます。資材の配合について確認したいので」
リコは図面を抱えて、ペコリと頭を下げると足早に出て行った。
残された大人たちは、しばらく呆然としていた。
「……末恐ろしいわね。あの子」
エリスが苦笑しながら紅茶をすする。
「私、彼女には勝てないかもしれませんわ。……政治的な駆け引きなら負けませんが、純粋な『統治システム』の構築においては、彼女は天才です」
「ああ。だからこそ、エリス嬢。……貴女に頼みたいことがある」
私はエリスに向き直り、真剣な眼差しを向けた。
「リコに、『淑女としての教育』を施してやってくれないか? マナー、言葉遣い、そして貴族社会での振る舞いを」
「あら?」
エリスは意外そうにカップを置いた。
「てっきり、彼女を『裏方の技術者』として飼うおつもりだと思っていましたけれど? ……あの子を、表舞台に出すおつもり?」
「その通りだ。……領地が大きくなりすぎた」
私は窓の外、広がり続ける街並みを見つめた。
「子爵への昇格、バルトハルト領との合併。……領地の規模は倍増し、王都や他領との付き合いも複雑化している。これからは、私が内政にかかりきりになれば外交が疎かになり、外交に出れば内政が停滞する」
私は指を折って数えた。
「対外的な交渉ができる人間は、現状では私と、レオナルト様に付き従う貴女だけだ。……駒が足りないんだよ。私と同じ視点で判断し、私の代わりに動ける『分身』が必要なんだ」
リコは将来、この領地の宰相になれる器だ。
内政だけでなく、他領との折衝や、王都でのロビー活動……いずれは外交も任せられる万能な人材に育てたい。
「……ちょっと待って」
そこで、書類仕事をしていたミリアが顔を上げた。
少しムッとしたような、拗ねたような顔をしている。
「私もいるじゃない。……数に入れてないの?」
「ん? お前は俺と一緒に内政を回すんだから、外に出る駒としては数えられないだろ」
私は当然のこととして答えた。
ミリアは私の秘書であり、財務の要だ。彼女がいないと私の仕事は回らないし、私がいないと彼女の負担が倍増する。
私たちは二人で一つの「内政ユニット」なのだから、別行動の計算には入れられない。
「……ッ」
ミリアが言葉に詰まり、バサッと書類で顔を隠してしまった。
「……ふーん。あらそう」
書類の向こうから、ぶっきらぼうな声が聞こえる。
だが、その紙を持つ指先は小刻みに震えており、隠しきれない耳がほんのりと赤く染まっているのが見えた。
「ま、それなら仕方ないわね。……私がいないと何もできない上司様のために、残ってあげるわ」
憎まれ口を叩きつつも、その声色はどこか弾んでいた。
機嫌は直ったらしい。
「……あらあら」
エリスが扇子で口元を隠し、楽しそうに目を細めた。
「アレン様も罪な男ですこと。……無自覚な信頼ほど、女性の心に効くものはありませんわよ?」
「は? 何のことです?」
「ふふ、何でもありませんわ。……いいでしょう。リコの教育係、お引き受けします」
エリスは立ち上がり、ウィンクをした。
「あの子を、誰に出しても恥ずかしくない『一流の淑女』に磨き上げて差し上げますわ。……未来の宰相殿のために」
最強の家庭教師陣の結成だ。
内政はミリア、技術はギルバート、そして外交と教養はエリス。
この三人の怪物が英才教育を施せば、リコは全方位に対応できる万能人間に育つだろう。
(そうすれば、私の胃痛も少しはマシになるはずだ……!)
私は切実にそう願った。
「……さて、今のうちに中庭の様子でも見てくるか」
私はリコの様子を見に窓際へ移動した。
そこでは、偏屈職人のギルバートとリコが、地面に図面を広げて何やら熱心に議論している。
「この歯車比率じゃトルクが足りん! 素材の強度計算はしたのか!?」
「しています。ミスリル合金を20%混ぜれば耐えられます。それより、この動力伝達ロスをどうにかしてください」
「……ぬかせ! 面白い、やってやろうじゃねえか!」
まるで孫と祖父のように……いや、対等な技術者同士として火花を散らしている。
あの二人が組めば、この領地の技術レベルは数十年分進化するだろう。
「アレン。学校の設計図もできたよ!」
レオナルト様が嬉しそうに入ってきた。
手には、リコが描いた校舎の完成予想図がある。
ただの学び舎ではない。孤児院と学校、そして職業訓練所が一体となった、機能的かつ美しい複合施設だ。
「すごいね。これなら、子供たちも楽しく勉強できそうだ」
「ええ。……リコは、ただ効率を求めているだけではありません。そこには『人がどうすれば快適か』という視点がある」
私は目を細めた。
彼女の野望は**【75】**まで上がっているが、それは「自分の理想とする完璧な都市を作りたい」という、クリエイターとしての欲求だ。
レオナルト様の「優しさ」と、リコの「効率」。
この二つが噛み合えば、エデルシュタイン領は王国で最も豊かな都市になるだろう。
平和だ。
全てが順調に進んでいる。
――そう、信じていた。
「急報!!」
その日の夕暮れ。
一台の早馬が、泥だらけになって領主館に飛び込んできた。
乗っていたのは、王都に駐在させているロレンツォ商会の密使だ。
「……何事だ?」
ただならぬ雰囲気に、私は執務の手を止めた。
密使は膝をつき、震える声で告げた。
「王都より、緊急の知らせです。……国王ハインリヒ三世陛下が、倒れられました」
「……なっ!?」
私とレオナルト様、そしてエリスが同時に立ち上がった。
あの矍鑠としていた国王が?
「御病状は?」
「……不明です。王宮は完全に封鎖され、面会謝絶。王宮医団が総出で治療にあたっているようですが……情報の漏洩が徹底されており、生死すら定かではありません」
最悪のパターンだ。
死んだと分かれば、次は即位式だ。生きているなら、見舞いだ。
だが、「状況が分からない」という不安は、人々の疑心暗鬼を呼ぶ。
「……まずいですわね」
エリスが青ざめた顔で呟く。
「王の意思が確認できない空白期間。……これが長引けば、抑え込まれていた野心が噴出します」
「王位継承権争い、か」
「ええ。第一王子派と第二王子派……。水面下で争っていた両派閥が、『我こそが正統な後継者』と主張し始めれば、国は二つに割れますわ」
すでに王都では、有力貴族たちがどちらの派閥につくか、腹の探り合いを始めているという。
カッファという莫大な資金源と、子爵へと昇格した勢いを持つエデルシュタイン家は、間違いなくその「台風の目」にされる。
「……アレン」
レオナルト様が私を見た。
その瞳には、不安と、そして覚悟の色が宿っていた。
「行かなくちゃ。……陛下には、たくさん恩がある。ご無事かどうか、確かめに行きたい」
「危険です。王都は今、誰が敵で誰が味方かも分からない状態でしょう。……うかつに近づけば、どちらかの派閥に囲い込まれるか、あるいは消される可能性もあります」
私は忠告した。
だが、止めても無駄だろう。**【義理:100】**の男が、恩人の危機を知って動かないはずがない。
「分かっています。……でも、行きます」
レオナルト様は譲らなかった。
私はため息をつき、そして覚悟を決めた。
「……分かりました。ですが、私はここを離れるわけにはいきません」
私はミリアを一瞥した。
先ほど宣言した通りだ。私とミリアは、領地を守るための「内政ユニット」。二人で一つの心臓だ。
主君がいない間、誰かがこの巨大化した領地を回さなければならない。
「私とミリアは残ります。留守中の政務と、リコたちのバックアップ、そして後方からの支援を行います。……レオナルト様、王都へはエリス嬢と共に向かってください」
「え、エリスさんと?」
「はい。王都の政治状況を読み解くには、彼女の知恵が不可欠です。それに、バルトハルト家のネットワークも使える」
私はエリスに向き直った。
「頼めますか? 貴女の『夫』を守る役目です」
「ええ、勿論ですわ。……私の愛しい方を、古狸たちの餌食になんてさせません」
エリスは不敵に笑み、レオナルト様の腕を取った。
頼もしい限りだ。この二人なら、どんな社交界の荒波も乗り越えられるだろう。
「護衛はヴォルフガング殿、そして情報収集役にクロを連れて行ってください」
「えっ? ガッツは?」
レオナルト様がキョトンとする。
私は壁際で腕組みをしていた大男を見た。
「ガッツ。お前はここに残れ」
「あぁん!? なんで俺が留守番なんだよ! 暴れるなら王都の方が楽しそうじゃねえか!」
ガッツが不満げに吠えるが、私は首を振った。
「逆だ。主力が抜けたこの領地は、今が一番危ない。……お前がいなくなれば、誰がこの街と孤児たちを守るんだ?」
私はガッツの目を真っ直ぐに見据えた。
「お前は『将軍』だろ? 王都へのお使いよりも、本拠地の守護を任せたい。……ヴォルフガング殿と両方が抜ければ、ここは空っぽになる」
「……チッ」
ガッツは舌打ちをし、ポリポリと頭を掻いた。
「守護神ってわけか。……ま、悪くねえ響きだな。分かったよ、アレンが死なねえように見張っといてやる」
「頼んだぞ」
「任されよ。……レオナルト様の御身は、わしの命に代えても守り抜く」
ヴォルフガングが静かに、しかし重々しく頷いた。
最強の老将がついていれば、武力面での不安はない。
「行ってらっしゃいませ、レオナルト様。……帰ってくる場所は、私たちが死守します」
「……うん。ありがとう、アレン!」
レオナルト様は私とミリアの手を握りしめ、そしてエリスと共に馬車へと向かった。
領地経営どころではない。
国の屋台骨が揺らぐ大嵐の中へ、主君たちは旅立っていった。
これが、エデルシュタイン家の「最後の試練」の始まりだった。




