第40話:聖職者の裏帳簿と、小さな祈り
公開討論会での劇的な和解から数日後。
私たちエデルシュタイン一行は、グレゴリオ枢機卿の招待を受け、王都近郊にある教会直轄の孤児院を訪れていた。
「……ここが、彼が守りたかった場所か」
馬車を降りた私は、目の前の光景に少し驚いた。
王都の華やかさとは無縁の、質素だが手入れの行き届いた石造りの建物。
庭では大勢の子供たちが走り回り、シスターたちが洗濯物を干している。
貧しいが、悲壮感はない。どこか温かい空気が流れていた。
「ようこそおいでくださいました、子爵」
出迎えたのは、法衣を脱ぎ、簡素な平服に着替えたグレゴリオだった。
あの威圧的な枢機卿オーラは消え、どこにでもいる厳格なおじいちゃん、といった風情だ。
「昨日は手厳しい『尋問』をありがとうございましたよ。……おかげで、この老骨には随分と堪えました」
「お互い様ですよ、猊下。……私の胃こそ、キリキリと痛み通しでした」
私が苦笑しながら返すと、グレゴリオはふんと鼻を鳴らした。
「さあ、中へ。……貴方がたの寄付金が、ドブに捨てられていないことを証明せねばなりませんからな」
案内された院内は、清潔に保たれていた。
だが、私の「目」には、別のものが見えていた。
壁のひび割れ、継ぎ接ぎだらけのカーテン、そして子供たちの服のサイズが合っていないこと。
運営がギリギリの状態であることは明白だった。
「……ミリア、どうだ?」
私が小声で尋ねると、帳簿(見せてもらった)を確認していたミリアが唸った。
「完璧よ。……無駄な支出が一切ないわ。聖茶の売上も、国からの補助金も、一銅貨残らず子供たちの食費と医療費に回されている」
「着服はなしか」
「ええ。むしろ……」
ミリアはグレゴリオの背中を見た。
「枢機卿自身の私財も、かなり突っ込まれてるわね。……あの人、自分の服を買う金すら削ってるわよ」
グレゴリオ
【政治:95】
【野望:90】
権力欲の塊だと思っていた男が、裏では清貧を貫き、弱者のために金を注ぎ込んでいた。
彼の「野望」とは、自分が贅沢をすることではなく、教会という組織を強くし、より多くの救済を行うことだったのかもしれない。
「おじちゃーん!」
「グレゴリオ様だー! お菓子持ってきた?」
中庭に出ると、子供たちが一斉に駆け寄ってきた。
恐れ多い枢機卿に対して、まるで親戚のおじさんに群がるような無邪気さだ。
「これ、こら。押すな。……今日は菓子はないぞ」
「えーっ!」
「その代わり、今日は『特別なお客様』をお連れした」
グレゴリオが横に退くと、子供たちの視線がレオナルト様に集まった。
「……こんにちは」
レオナルト様が、少し照れくさそうに手を振る。
すると、一人の小さな女の子が、おずおずと近づいてきた。
「お兄ちゃん、だあれ?」
「僕はレオナルト。……君たちのために、美味しい飲み物を持ってきたんだ」
レオナルト様は、屋敷から持参したミルク缶と、濃いめに抽出したコーヒー液を取り出した。
そして、たっぷりのミルクと砂糖を混ぜ合わせ、特製の「カフェ・オ・レ」を作って見せた。
「はい、どうぞ。……苦くないよ」
女の子が恐る恐る一口飲む。
次の瞬間、彼女の顔がパァッと輝いた。
「おいしーい! 甘くて、いい匂い!」
「本当!? 僕も!」
「私にもちょうだい!」
あっという間に大騒ぎになった。
子供たちはカフェ・オ・レに夢中になり、レオナルト様は「順番だよー!」と嬉しそうに配っている。
その光景を見て、グレゴリオがポツリと漏らした。
「……子供は正直だ。美味いものは美味いと言う」
彼は目を細め、遠くを見るような顔をした。
「私はな、家老殿。……神の教えが全てだと思って生きてきた。だが、腹を空かせた子供に説教をしたところで、腹は膨れんのだ」
「……ええ」
「だから私は、金を集めた。権力を求めた。……綺麗事だけでは救えぬ命があるとな」
彼は自嘲気味に笑った。
「その結果が、昨日の『悪魔の実』騒動だ。……焦りすぎて、本質を見失っていたのかもしれん」
「間違いではありませんよ。貴方の行動で、救われた子供たちがここにいるのですから」
私が言うと、グレゴリオは驚いたように私を見つめ、そして小さく頷いた。
「……貴家と組めたことは、神の導きかもしれんな」
その時、一人の少年が私の袖を引っ張った。
「ねえ、お兄ちゃん。あのでっかい人、本当に強いの?」
指差す先には、退屈そうに欠伸をしているガッツがいる。
「ああ、世界一強いぞ」
「じゃあ、僕たちの『先生』になってくれるかな?」
「先生?」
「うん。……最近、怖い人たちが来るんだ。ここを立ち退けって」
少年の言葉に、私の胃が反応した。
グレゴリオの表情が一瞬で険しくなる。
「……やはり、来ておったか」
「猊下? どういうことですか?」
私が問いただすと、グレゴリオは苦々しげに口を開いた。
「……この土地はな、王都の拡張計画の予定地に入っておるのだ。孤児院を取り壊し、貴族のための別荘地にするとな」
「なっ……!?」
「国からの立ち退き命令が出ている。それを私が政治力で抑え込んでいたのだが……最近、強引な地上げ屋が出入りしているようでな」
グレゴリオは声を潜めた。
「背後にいるのは、第一王子派の貴族たちだ。……どうやら、教会の力を削ぐために、孤児院を潰そうと画策しているらしい」
王位継承問題。
派閥争いの余波が、こんな末端の、罪のない子供たちの場所にまで及んでいる。
「おいコラァ! ジジイ! 立ち退きの期限は過ぎてるぞ!」
タイミングを計ったように、門の外から野太い怒声が響いた。
見れば、柄の悪そうな男たちが数十人、武器を手に集まっている。
地上げ屋――いや、貴族に雇われたゴロツキどもだ。
「……ちっ。また来おったか」
「猊下、ここは僕たちに任せてください」
レオナルト様が前に出た。その瞳には、子供たちの日常を脅かす者への静かな怒りが宿っている。
「ガッツ! 出番だよ! 子供たちをいじめる悪い大人を追い払ってくれるかい?」
「へっ! 願ったり叶ったりだぜ! 退屈してたところだ!」
ガッツがニカッと笑い、ポキポキと指を鳴らして門へと向かう。
ヴォルフガングも「運動の時間かのう」と杖を持って続く。
数分後。
門の外からは「ひいいっ!」「化け物だあぁ!」「覚えてろよ!」という悲鳴だけが聞こえてきた。
圧倒的な暴力による、平和的(?)解決。
「……ふぅ。一先ずは追い払えたか」
グレゴリオが安堵の息をつく。だが、その顔色は優れない。
「だが、これは一時しのぎに過ぎん。奴らはまた来るじゃろう。次は、正規の手続きを踏んで衛兵を連れてくるかもしれん」
「……そうなれば、我々も手出しはできませんね」
私が言うと、グレゴリオは苦渋の表情で頷いた。
「子供たちを守るためには、ここを出て行くしかない。……だが、王都の近くにこれだけの人数を受け入れられる場所など、そうそうないのだ」
詰みだ。
政治力で負けている以上、この場所を守り抜くことは不可能に近い。
その時だった。
「あの……それなら、僕の領地に来ませんか?」
レオナルト様が、ふと思いついたように言った。
「え?」
「みんなで、エデルシュタイン領へ引っ越してくるんです。……あそこなら、土地はいっぱい余ってますから」
「……はあ!?」
私とグレゴリオ、そして戻ってきたガッツたちの声が重なった。
「れ、レオナルト様!? 孤児院ごと引っ越しですか!? 百人以上いますよ!?」
「うん。でも、難民の人たちを受け入れた時みたいに、みんなで暮らせばなんとかなるよ。空気も綺麗だし、ご飯も美味しいし……子供たちにとっても、王都の狭い庭よりずっといいと思うんだ」
レオナルト様は、目を輝かせて語る。
「それに、子供たちが来てくれたら賑やかになるよ。学校を作って、みんなで勉強したり、遊んだり……」
無邪気な提案。
だが、私の脳内で電卓が弾かれた瞬間、それが「妙案」に変わった。
(……待てよ。これは、アリか?)
孤児院を受け入れるコスト。それは確かにかかる。
だが、エデルシュタイン領には今、カッファの利益という莫大な資金がある。
そして何より、教会との太いパイプができる。
「枢機卿が直々に運営する孤児院」が領内にあるとなれば、教会の権威を借りて、他の貴族からの干渉を防ぐ盾にもなる。
さらに、子供たちは将来の領地を担う人材だ。
「……ミリア、どう思う?」
「……悪くないわね」
ミリアも同じ計算をしていたらしい。ニヤリと笑った。
「慈善事業への投資は、節税対策にもなるわ。それに、子供たちの世話係として難民の中から雇用を生み出せる。……枢機卿にとっても、政敵が多い王都より、私たちが守る領地の方が安全でしょ?」
私はグレゴリオに向き直った。
「猊下。……どうでしょう? エデルシュタイン領への移転。費用は全額、我が家が持ちます」
「……本気か?」
グレゴリオが呆気に取られている。
「教会の施設を、地方の、しかも新興貴族の領地に移すなど前代未聞だぞ」
「ですが、ここよりはずっと安全で、豊かです。……それに、子供たちも喜ぶと思いますよ」
レオナルト様が子供たちを振り返る。
「えーっ! お兄ちゃんの家に行けるの!?」
「でっかいお兄ちゃん(ガッツ)とも遊べる!?」
子供たちはすでに大賛成のようだ。
グレゴリオはしばらく子供たちの笑顔を見つめ、そして空を見上げた。
「……ふっ。完敗だ」
彼は肩の力を抜き、穏やかに笑った。
「よかろう。……神も、子供たちが笑顔でいられる場所を望んでおられるはずだ。エデルシュタイン子爵、貴殿の提案に乗ろう」
こうして、孤児院の「集団移住計画」が決まった。
宗教戦争の次は、引っ越し大作戦だ。
私の胃痛は収まる気配がないが、子供たちの歓声を聞いていると、不思議と悪くない気分だった。
「ミリア、輸送用の馬車の手配だ。……あと、特大の胃薬もな」




