第38話:白き来訪者、あるいは異端審問官
街の広場での騒動から数日後。
不吉な予言は、最悪の形で現実となった。
「家老様! 大変です! 王都の『中央聖教会』から、使節団が……!」
警備兵が転がるようにして報告に来たのとほぼ同時に、領主館の窓から白い行列が見えた。
白銀の甲冑を纏った「聖騎士団」を護衛に従え、豪奢な馬車が列をなして進んでくる。
その数は百以上。使節団というよりは、一種の軍事パレードだ。
「……来たわね。思ったより早かったわ」
ミリアが窓の外を睨みつけ、忌々しげに舌打ちした。
「彼ら、街中で『悪魔の豆を捨てよ』と触れ回りながらここまで来たそうよ。おかげで領民たちはパニック寸前。……営業妨害もいいところだわ」
「暴力で解決できる相手なら、俺が叩き出してやるんだがな……」
ガッツも大剣を撫でながら苛立っているが、さすがに聖職者を斬るわけにはいかないと分かっているようだ。
「行こう。……逃げても始まらない」
私は胃の痛みをこらえ、レオナルト様と共に玄関ホールへと向かった。
応接室に通されたのは、一人の初老の男だった。
真紅の法衣に身を包み、胸元には巨大な黄金の聖印。
深く刻まれた皺と、感情を読み取らせない能面のような表情。
中央聖教会において、異端審問と教義の管理を司る大物――グレゴリオ枢機卿だ。
「……お初にお目にかかる、エデルシュタイン子爵。主の祝福があらんことを」
グレゴリオは恭しく十字を切ったが、その目は笑っていなかった。
私は反射的に、彼の頭上の数値を確認した。
グレゴリオ
【統率:85 武勇:10 知略:88 政治:95】
【義理:10 野望:90】
(……ッ!?)
私は戦慄した。
【政治:95】。あのエリス(96)に匹敵する怪物だ。
そして**【野望:90】に対し、【義理:10】**という極端な低さ。
これは「敬虔な聖職者」のステータスではない。神の威光を利用して権力を貪る、冷徹な「政治家」の数字だ。
「遠路はるばるようこそ、枢機卿猊下」
レオナルト様が緊張した面持ちで挨拶をする。
「本日は、どのようなご用件でしょうか?」
「単刀直入に申し上げましょう」
グレゴリオは、従者に持たせた布袋をテーブルに置いた。
中から転がり出たのは、黒く焙煎されたカッファの豆だ。
「貴領で生産されているこの『カッファ』なる植物。……教会はこれを、**『禁制品』**と認定いたしました」
「は……?」
レオナルト様が目を丸くする。
「禁制品? つまり、売ってはいけないということですか?」
「売るどころか、所持することも、栽培することもまかりならぬ。……これは人の魂を汚す『悪魔の実』です」
グレゴリオは厳かに告げた。
「報告によれば、この黒い水を飲んだ者は、夜も眠れぬほどの興奮状態に陥り、理性を失って働き続けるという。……これは神が定めた『安息』への冒涜。人間の精神を薬物で支配する、黒魔術の所業に他なりません」
「そ、そんな馬鹿な!」
私が反論する前に、レオナルト様が身を乗り出した。
「誤解です! これはただの飲み物です! 確かに眠気は覚めますが、それは元気が湧いてくるだけで……魔術なんかじゃありません!」
「では、なぜ眠気が消えるのです?」
グレゴリオは冷ややかに切り返した。
「自然の摂理に逆らい、眠りを奪う力。……それが魔術でなくて何だと言うのですか?」
「そ、それは……」
科学的な「カフェイン」の概念がないこの世界で、覚醒作用を論理的に説明するのは不可能に近い。
グレゴリオはそこを突いているのだ。
「子爵。貴方は知らずに悪魔に利用されていたのでしょう。……今ならまだ間に合います」
グレゴリオは慈悲深い(フリをした)声で言った。
「即刻、カッファの生産を中止し、全ての在庫を焼却しなさい。そして北の畑も全て焼き払うのです。……そうすれば、教会は貴方を『無知ゆえの過ち』として赦しましょう」
「ふざけるなッ!!」
怒鳴ったのは、私でもレオナルト様でもなく、ガッツだった。
彼は枢機卿の護衛騎士たちが剣に手をかけるのも構わず、一歩前に出た。
「焼き払えだぁ? 俺たちが汗水垂らして切り拓いた畑だぞ! 農民たちが必死こいて育てた木だぞ! それを、テメェの勝手な理屈で燃やせってのか!」
「……野蛮な」
グレゴリオはガッツを一瞥もしなかった。
「汗水垂らした労力など関係ありません。……汚れたものは浄化せねばならぬ。それが教会の、神の意志です」
問答無用。
議論の余地などないという、絶対的な権威の壁。
「……もし、断ったら?」
エリスが静かに口を開いた。
彼女の目は、同類の政治家を見る冷たい光を宿している。
「もし私たちが、その不当な要求を拒否した場合は?」
「……残念ですが」
グレゴリオは目を細めた。
「エデルシュタイン子爵領を、**『異端の地』**として認定せざるを得ませんね」
その言葉に、室内の空気が凍りついた。
異端認定。
それは、王国社会からの完全な追放を意味する。
商取引は停止され、他領との交流は断絶し、最悪の場合は「聖戦」の名の下に討伐軍が差し向けられる。
「……脅しですか?」
「忠告ですよ、奥方様」
グレゴリオは立ち上がった。
「回答の期限は三日後。……賢明な判断を期待しておりますよ。神の怒りを買いたくなければね」
枢機卿は従者たちを連れて、悠々と部屋を出て行った。
残された私たちは、重苦しい沈黙に包まれた。
「……クソッ! なんだあいつは!」
ガッツが椅子を蹴り飛ばす。
「神だの悪魔だの、言いがかりもいいとこだぜ! ……なぁアレン、やっぱ斬っちゃダメか?」
「ダメに決まってるだろう。相手は教会の最高幹部だぞ。手を出せば、それこそ国中を敵に回すことになる」
私は頭を抱えた。
武力は通じない。金も(相手が清貧を装っている以上)表立っては使えない。
最強の敵だ。
「……でも、変ですわね」
エリスが顎に手を当てて呟いた。
「ただの異端審問にしては、手回しが良すぎますわ。……まるで、カッファが流行るのを待ち構えていたかのような」
「ああ。それに、彼らは代案を用意しているはずだ」
ミリアが口を開いた。
「街での演説、聞いていた? 『悪魔の飲み物を捨て、聖茶を飲め』って言ってたわ」
「聖茶?」
「教会が独占販売している、高価なハーブティーよ。……要するに、カッファが売れすぎて、自分たちの商売の邪魔になったから潰しに来たのよ」
【政治:95】【野望:90】。
グレゴリオの数値が脳裏をよぎる。
やはり、これは宗教論争ではない。
「利権争い」だ。神の教えを盾にした、醜い市場の奪い合い。
「……許せない」
レオナルト様が、震える声で呟いた。
「自分たちの利益のために、神様を利用して……一生懸命働いた人たちの努力を踏みにじるなんて」
彼は顔を上げた。
その瞳には、かつてバルトハルト家に立ち向かった時と同じ、静かだが激しい怒りの炎が灯っていた。
「アレン。エリスさん。……僕は、畑を焼くなんて絶対に嫌だ。みんなを守りたい」
「……ええ。同感ですわ、あなた」
「ああ。売り言葉に買い言葉だ」
私は腹を括った。
相手が権威で殴ってくるなら、こちらは「知恵」と「事実」で殴り返すしかない。
「……三日後か。十分だ」
私はニヤリと笑った。
「科学と信仰の全面戦争だ。……あの生臭坊主の化けの皮、公衆の面前で剥ぎ取ってやろうじゃないか」
エデルシュタイン領vs中央聖教会。
仁義なき宗教戦争の火蓋が、切って落とされた。




