第37話:波乱の見合いと、街角の説法
結局、私は逃げ切れなかった。
レオナルト様の「一生のお願い(今月三回目)」と、エリスの「断れば領主命令として強制しますわよ」という脅しに屈し、私は隣町の高級レストランに座っていた。
目の前には、緊張した面持ちの可愛らしい女性がいる。
隣町で手広く商いをしている大商家の娘、リリナ嬢だ。
「は、初めまして、アレン様。……お噂はかねがね」
「初めまして。……あの、噂というのは?」
「『領地を影から操る黒幕』とか、『笑いながら毒を盛る冷血漢』とか……」
(……ロレンツォ、後で覚えてろよ)
私は引きつった笑みを浮かべつつ、彼女の頭上を見る。
リリナ
【統率:15 武勇:05 知略:40 政治:35】
【義理:80 野望:10】
【特技:料理、裁縫、癒やし】
平凡だ。だが、圧倒的に「善良」だ。
野心が低く、義理が高い。家庭に入れば、夫を支え、温かい家庭を築く良き妻になるだろう。
戦場のような私の日常とは対極にある、平和の象徴のような女性だ。
「……アレン様は、お仕事がお忙しいと伺っております」
「ええ、まあ。……年中無休のブラック職場ですよ」
「ふふ。でも、素敵です。……誰かのために一生懸命になれる方は」
リリナ嬢が恥ずかしそうに微笑む。
心が洗われるようだ。
ああ、こういう人と結婚すれば、私の胃痛も治るのかもしれない。穏やかな老後が待っているのかもしれない。
――ガシャーン!!
突然、隣のテーブルで派手な音がした。
見ると、巨大なサングラスをかけた大男が、ウェイターにぶつかって水を被っていた。
「ああん!? どこ見て歩いてやがる!」
「も、申し訳ありません!」
……ガッツだ。
変装のつもりかサングラスをしているが、あの筋肉と大剣(テーブルの下に隠しきれていない)を見間違えるはずがない。
その向かいには、これまた不自然に新聞で顔を隠した小柄な影――クロがいる。
(……尾行かよ)
私は天を仰いだ。
レオナルト様あたりが「心配だから見てきて」と頼んだのだろう。だが、ガッツに隠密行動などできるはずがない。
「……お知り合いですか?」
「いえ、他人の空似です(断言)」
私が冷や汗を拭った時、今度はレストランの入り口がカランと開いた。
入ってきたのは、ビジネスライクなパンツスーツに身を包んだ女性――ミリアだ。
彼女は店内を見回し、私を見つけると、真っ直ぐに歩み寄ってきた。
「失礼します、家老様」
「ミ、ミリア? なぜここに……」
「緊急の決裁が必要な案件が発生しまして。……お見合い中とは存じておりますが、領地の利益には代えられませんので」
彼女は無表情で、分厚い書類の束をテーブルにドンと置いた。
嘘だ。
緊急案件なら早馬を飛ばせばいい。わざわざ隣町まで来る必要などない。
これは明白な「嫌がらせ」だ。
「……あ、あの……?」
リリナ嬢が困惑している。
ミリアは彼女を一瞥し、冷ややかに言った。
「申し遅れました。私はアレン様の秘書兼財務管理官を務めております、ミリアと申します。……アレン様は現在、領地の命運を左右するプロジェクトの真っ最中でして。今日も徹夜明けでここに来ておりますの」
「て、徹夜明けで……?」
「ええ。顔色も悪いですし、胃薬も手放せません。……そんなボロボロの体で、よくもまあ『結婚』などという余裕がおありだと感心しております」
棘しかない。
だが、その言葉の裏にある「あんたがいなくなったら困るのよ」という、不器用な感情も透けて見える。
私はため息をつき、リリナ嬢に向き直った。
「……申し訳ありません、リリナ嬢」
「え?」
「貴女は素晴らしい方です。私にはもったいないくらいだ。……ですが」
私はミリアの方をちらりと見た。
ふてくされた顔で書類を整理している、性格のきつい秘書。
単純ですぐ暴れる筋肉だるま。影の薄い少年。
そして、お人好しすぎる主君。
「私は、どうやらこの『戦場』が性に合っているようなのです」
私は苦笑した。
「背中を預けられる仕事仲間と、胃を痛めながら走る日々。……今はまだ、そこから降りるつもりになれません」
それは、遠回しだが明確な、求婚への断りだった。
リリナ嬢は少しだけ寂しそうに目を伏せたが、すぐに気丈に顔を上げた。
「……そうですか。入り込む隙間はなさそうですね」
彼女は席を立った。
「残念です。……でも、少しだけ安心しました。噂通りの『冷血漢』ではなく、熱い方だと分かりましたから」
リリナ嬢が去っていく。
私は深い罪悪感と、それ以上の安堵感を覚えた。
「……ふん。振っちゃっていいの? あんな良物件」
ミリアが書類を抱えたまま、ジト目で見てくる。
「うるさい。……それに、お前以上に息の合う相手なんて、そうそういないからな」
私は書類を受け取りながら、事も無げに言った。
「……あら」
ミリアは驚いたように目を瞬かせ、それから口元をふわりと綻ばせた。
いつもの皮肉めいた笑みではない。心からの喜びが滲み出るような、少女のような微笑みだ。
「ふふっ、当然よ。私以上のパートナーなんて、世界中探しても見つからないんだから」
ミリアは満足げに胸を張り、上機嫌な足取りで歩き出した。
「光栄に思いなさいよね。……ま、これからもせいぜいこき使ってあげるわ」
その声は、隠しきれないほど弾んでいた。
「おうアレン! 終わったか? 飯食おうぜ飯!」
空気を読まずにガッツが乱入してくる。クロもひょっこりと顔を出した。
結局、ロマンチックな見合いは、いつものメンバーによるただの食事会と化した。
騒がしく、慌ただしく、そして何よりも落ち着く時間。
だが。
レストランを出て、帰路につこうとした時だった。
街の広場に、黒山の人だかりができているのが見えた。
「……なんだ、あの騒ぎは? 大道芸か?」
ガッツが首を伸ばす。
人垣の中心には、真っ白な法衣を纏った男が立っていた。
聖職者だ。だが、その顔には慈愛ではなく、狂信的な熱が浮かんでいる。
「聞け! 迷える子羊たちよ!」
男は叫び、手に持っていた麻袋を掲げた。
見覚えがある。『エデル・コーヒー』の袋だ。
「この黒い豆……カッファと呼ばれる異端の植物! これこそが、人々を堕落させ、魂を汚す『悪魔の実』である!」
「……は?」
私は耳を疑った。
男は袋を逆さにし、中身を地面にぶちまけた。そして、それを足で踏みにじり始めたのだ。
「この液体を飲んだ者は、夜も眠れず、興奮し、理性を失うという! それは神が定めた『休息』への冒涜! 悪魔の誘惑そのものである!」
「な、何を言ってるんだあいつは!?」
ガッツが激昂して飛び出そうとするのを、私が慌てて止める。
「待て! 相手は聖職者だ! 手を出せば問題になる!」
周囲の民衆たちがざわめき始める。
「確かに、飲むと眠れなくなるな」「悪魔の仕業なのか?」「神父様が言うなら……」
不安が伝染していく。
コーヒーの効能(覚醒作用)を、「悪魔の誘惑」と言い換える詭弁。だが、信心深い民衆にとっては、科学的根拠よりも「教会の言葉」の方が重い。
「……あれは、ただの演説じゃないわ」
ミリアが青ざめた顔で呟いた。
「周りにサクラがいる。……組織的なネガティブキャンペーンよ」
男は踏み潰した豆を指差して叫んだ。
「浄化せよ! 悪魔の飲み物を捨て、神の与えし『聖茶』を飲め! さもなくば、災いがこの地に降り注ぐであろう!」
不吉な予言。
それは、これから始まる「宗教」という名の巨大な敵との戦いの、開戦の合図だった。
私の胃に、今までとは違う、冷たく重い痛みが走った。
今回の敵は、金でも武力でも解決できない。
人々の「心(信仰)」を人質に取った、最悪の相手だ。




