第34話:愚者の行進と、老将の壁
翌日の昼下がり。
エデルシュタイン領とバルトハルト領の境界にある平原に、土煙が上がっていた。
「来たな」
小高い丘の上で、私は眼下に広がる光景を見下ろした。
バルトハルト家の紋章を掲げた軍勢。その数、およそ五百。
対する我々エデルシュタイン軍(およびエリス派の兵士)は三百ほど。
数だけ見れば劣勢だ。だが、私の隣に立つ「軍師」の顔には、微塵の焦りもない。
「……綺麗な陣形じゃな。教科書通りすぎて欠伸が出るわ」
ヴォルフガングがつまらなそうに呟いた。
その横で、エリスが冷ややかな笑みを浮かべる。
「ランドルフの指揮ですね。彼は『古き良き伝統』を重んじるあまり、柔軟性に欠けるところがありますから」
「カカッ。伝統結構。だが、戦場は生き物じゃよ」
ヴォルフガングが杖を振り上げた。
それが合図だった。
「全軍、構え!」
エデルシュタイン軍が動く。
といっても、突撃するわけではない。盾を構え、じっと動かずに「待つ」体勢だ。
敵軍の先頭には、派手な鎧を着込んだゲオルグの姿があった。
「見ろ! 敵は怖気づいて動けんぞ! 今こそ正義の鉄槌を下す時だ! 突撃ィィッ!!」
ゲオルグが剣を振り上げ、号令をかける。
五百の兵が一斉に鬨の声を上げ、斜面を駆け上がってくる。
勢いは凄まじい。普通の指揮官なら動揺する場面だ。
だが、ヴォルフガングはあくびを噛み殺しながら、敵との距離を目測していた。
「……300、250……今じゃ。合図を上げろ」
ヒュオオオッ!
信号弾が打ち上がる。
その瞬間、敵軍の足元――平原の中腹あたりで、地面が陥没した。
「うわぁぁっ!?」
「な、なんだ!?」
先頭集団の馬や兵士が、次々とバランスを崩して転倒する。
落とし穴ではない。ガッツが開墾のついでに掘っておいた、浅いが広範囲にわたる「ぬかるみ」だ。
上に薄く土を被せて隠蔽してあったのだ。
「ひるむな! 進め! 敵は目の前だ!」
後方のランドルフが叱咤するが、一度崩れた勢いは戻らない。
前がつっかえ、後ろが押し合い、敵軍は団子状態になって混乱する。
「……さて。仕上げと行くか」
ヴォルフガングが、私の後ろに控えていた巨漢を振り返った。
「行け、馬鹿弟子。……教えた通りにな」
「へっ! 任せな、師匠!」
ガッツが飛び出した。
以前のような、一人で敵陣に突っ込む特攻ではない。
彼の後ろには、彼が鍛え上げた精鋭部隊(村の若者や警備兵)が続いている。
「錐行の陣! 俺の背中についてこい! 遅れた奴は置いてくぞ!」
ガッツを頂点とした三角形の陣形が、混乱する敵軍の横腹に突き刺さる。
「らぁぁぁっ!!」
ガッツの大剣が一閃するたびに、敵兵が吹き飛ぶ。
だが、今の彼はただ暴れているだけではない。
敵の槍衾が厚い場所は避け、指揮系統が混乱している脆い部分を的確に食い破っているのだ。
**【武勇:76】**の破壊力に、ヴォルフガングから叩き込まれた戦術眼が加わった、まさに「戦場の重機」。
「な、なんだあの強さは!?」
「止めろ! 囲んで殺せ!」
ランドルフが叫ぶが、ガッツの部隊は敵陣を食い荒らすだけ食い荒らして、囲まれる前にサッと後退する。
ヒット・アンド・アウェイ。
怒り狂った敵が追いかけようとすれば、今度は丘の上からミリア率いる弓隊が矢の雨を降らせる。
「ぐぬぬ……! おのれ、小賢しい真似を!」
ランドルフ軍は完全に翻弄されていた。
数では勝っているのに、どこを攻めても暖簾に腕押し。逆に、こちらの被害ばかりが増えていく。
私は戦場を見渡しながら、ヴォルフガングのステータスを確認した。
ヴォルフガング
【統率:95】
(……これが、本物の『将軍』か)
私は戦慄した。
彼が杖を一本振るだけで、数百の兵が手足のように動く。
個人の武勇に頼りきりだった以前の戦いとは、次元が違う。これは「暴力」ではなく「芸術」だ。
戦場のすべてを掌握し、盤面を完全に支配している――そんな気配すら感じる。
「……終わりじゃな」
ヴォルフガングが呟いた。
敵軍の士気は崩壊寸前。兵士たちは逃げ腰になり、ゲオルグは馬上で喚き散らすだけのお飾りになっている。
唯一、ランドルフの周りだけが、古参兵の意地で踏みとどまっている状態だ。
「……アレン殿。降伏勧告の準備を」
「了解した」
私は前に進み出ようとした。
だが、その時。
敵陣の中から、一騎の老騎士が飛び出してきた。
ランドルフだ。
「ええい、軟弱者どもめ! 儂が出る!」
彼は兜を脱ぎ捨て、白髪を振り乱しながら、ヴォルフガングのいる本陣へ向かって直走ってきた。
「バルトハルト家の誇りは死せず! 敵将、尋常に勝負せよ!」
悲痛な叫び。
すでに勝敗は決している。これは戦術ではない。死に場所を求めての特攻だ。
ガッツが迎撃しようと動くが、ヴォルフガングがそれを手で制した。
「……下がっておれ」
老将軍は、ゆっくりと丘を降りていった。
武器は持っていない。ただの杖一本だ。
「貴様が指揮官か! その首、貰い受ける!」
ランドルフが槍を構え、突進してくる。
ヴォルフガングは動かない。
槍の切っ先が喉元に迫った瞬間、彼は最小限の動きで体を捻り、杖で槍の柄を叩いた。
パァン!
乾いた音が響き、ランドルフの手から槍が弾き飛ばされた。
勢い余って落馬するランドルフ。
ヴォルフガングは、その首元に静かに杖を突きつけた。
「……見事な忠義じゃ。だが、虚しいのう」
ヴォルフガングが見下ろす。
「お主の守りたい『誇り』とは何じゃ? 過去の栄光か? それとも、あの愚かな神輿か?」
「だ、黙れ……! 貴様に何が分かる!」
「分かるさ。わしも昔、同じ過ちをしたからの」
ヴォルフガングの隻眼に、哀愁の色が浮かぶ。
「主家を守るために戦い、結果として国を滅ぼした。……お主も、同じ道を歩むつもりか?」
ランドルフが息を飲む。
「今、バルトハルト家を守ろうとしているのは誰じゃ? 泥を被り、頭を下げ、それでも民を食わせようとしているのは……あの娘ではないのか?」
ヴォルフガングは視線を丘の上――エリスの方へ向けた。
エリスは無表情で、しかし真っ直ぐにランドルフを見つめ返していた。
「……忠義を向ける相手を間違えるな。それは誇りではない。ただの『老害の意地』じゃ」
ランドルフの目から、涙が溢れた。
彼は地面に拳を叩きつけ、慟哭した。
「……うおおおおぉぉッ!!」
戦場に、敗北の音が響き渡る。
ランドルフの降伏と共に、ゲオルグ軍は完全に瓦解した。
「……行きますわよ」
エリスがドレスの裾を翻し、歩き出した。
その背中は、かつてないほど大きく、そして孤独に見えた。
「最後の『掃除』ですわ」
愚者の行進は終わった。
あとは、愚かな神輿を下ろし、新たな当主の座を確定させるだけだ。




