第31話:王城の審問会(後編)~愚直な王の問い~
「……兄様?」
エリスの声が震えた。
それは計算された演技ではなく、想定外の事態に対する本物の動揺だった。
足を引きずりながら進み出たゲオルグは、憔悴しきってはいたが、その瞳には奇妙な力が宿っていた。
妹への恐怖よりも、もっと恐ろしいもの――「全てを失う覚悟」を決めた男の目だ。
「陛下……。毒物混入の件、全て真実でございます」
ゲオルグは玉座の前で跪いた。
「私が、エデル・コーヒーの評判を落とすために、毒を混ぜた偽物を流通させました。……そして、それは全て、父バルトハルト伯爵と、妹エリスの計画によるものです」
会場がどよめきに包まれる。
当事者の口から語られる、決定的な証言。
「う、嘘よ!」
エリスが叫んだ。
「兄様は脅されているのです! 彼らに監禁され、拷問を受けて……!」
「拷問など受けていない」
ゲオルグは静かに首を横に振った。
「彼らは私を『客』として扱ってくれた。食事を与え、傷の手当てもしてくれた。……お前たちが私を『捨て駒』として切り捨てようとしている間も、な」
ゲオルグの視線がエリスを射抜く。
「エリス。俺は聞いたぞ。お前が俺を見捨てて、自分だけ『人質』という名目でエデルシュタイン家に入り込もうとしたことを。……俺の死体の上を歩いて、家を乗っ取るつもりだったんだろう?」
「……ッ」
エリスが言葉に詰まる。
図星なのだ。彼女にとって兄は、使い潰すための道具でしかなかった。
「証拠ならあります」
私は畳み掛けるように、昨日押収した『作業日誌』を掲げた。
「ここには工場の稼働記録と、エリス嬢の筆跡による『増産指示』が記されています。……筆跡鑑定をすれば、言い逃れはできませんよ」
「……あ、あぁ……」
エリスがよろめく。
論理の壁が崩れ、退路が断たれた。
周囲の貴族たちの目は、すでに「哀れな被害者」を見る目ではなく、「恐るべき毒婦」を見る目に変わっている。
「……勝負あり、だな」
玉座から、国王ハインリヒ三世の重々しい声が響いた。
「バルトハルト家よ。……王都の民を危険に晒し、王家を欺こうとした罪、万死に値するぞ」
王の放つ覇気に、エリスはその場に崩れ落ちた。
彼女の頭上の**【野望:99】**の数値が、初めて激しく明滅し、ヒビが入ったように見えた。
「……申し開きもございません」
エリスは震える声で、それでも気丈に顔を上げた。
「全ては……家の繁栄のためでした。弱肉強食こそが貴族の理。……敗れた以上、どのような断罪も、謹んでお受けいたします」
潔い態度だ。最後まで「悪役」としての誇りを捨てないその姿勢は、敵ながら見事としか言いようがない。
「よかろう。……衛兵! こやつらを地下牢へ連行せよ! バルトハルト家は取り潰し、領地は没収とする!」
王が裁定を下そうとした、その時。
「――お待ちください、陛下!」
よく通る声が、広間の空気を切り裂いた。
レオナルト様だ。
彼は私の制止も聞かず、玉座の前に飛び出していた。
「な、なんだエデルシュタイン男爵。……被害者である其方の無念は晴らしてやる。奴らには極刑を……」
「極刑など、望んでいません!」
レオナルト様は叫んだ。
「家を潰し、彼らを殺して……それで誰が喜ぶのですか? 毒を飲まされた人たちの腹痛が治るわけじゃない! 死んだ人が生き返るわけでもない!」
「……では、どうせよと言うのだ?」
「働かせてください!」
レオナルト様は、エリスとゲオルグを指差した。
「彼らには能力があります。エリス嬢の知恵、ゲオルグ殿の物流の知識……。それを、償いのために使わせてください!」
会場中が静まり返った。
被害者が、加害者の助命嘆願をしている。それも、「能力があるから使え」という、あまりに実利的な、しかし人間味に溢れた理由で。
「バルトハルト家の領地を没収すれば、そこの民はどうなります? 混乱し、路頭に迷うでしょう。……ならば、彼らに責任を取らせて、領地の立て直しと、被害者への賠償をさせ続けるべきです」
レオナルト様は王を見上げ、真っ直ぐな瞳で訴えた。
「僕は、誰も不幸にしたくありません。……敵だった人たちも含めて、みんなで美味しいコーヒーを飲めるような、そんな領地にしたいんです」
【義理:100】。
それは甘さではない。
憎しみすら飲み込み、未来の糧に変えてしまおうとする、底なしの度量。
「王の器」とは、こういうことを言うのかもしれない。
国王ハインリヒは、しばらくレオナルト様を凝視していたが、やがて「ふっ」と小さく笑った。
「……面白い男だ。毒を盛った相手を許すどころか、こき使おうとはな」
王は視線をエリスに向けた。
「聞いたか、娘。……このお人好しの男爵は、お前の首よりも、お前の『働き』が欲しいそうだ」
「……屈辱ですわ」
エリスは唇を噛み締め、涙を流していた。
それは悔し涙か、それとも初めて触れた「赦し」への戸惑いか。
「死んでお詫びするよりも、一生かけて罪を償う方が……よほど残酷で、合理的ですもの」
彼女はレオナルト様に向き直り、深々と頭を下げた。
「……負けました、レオナルト様。私の身柄、貴方様に預けます。……骨の髄まで、使い潰してくださりませ」
「……裁定を下す!」
王の声が響き渡る。
「バルトハルト家は減封の上、男爵位へ降格! その領地の管理権は、エデルシュタイン家に委譲する! ゲオルグ、エリスの両名は、エデルシュタイン男爵の『監視下』にて、生涯をかけて罪を償うべし!」
「「「ははーーっ!!」」」
万雷の拍手の中、審問会は幕を閉じた――はずだった。
「……あの、陛下。一つだけよろしいでしょうか」
レオナルト様が、恐る恐る手を挙げた。
会場がざわめく。まだ何かあるのか?
「監視下、というのは……僕が彼女たちの扱いを決めてもいい、ということですよね?」
「うむ。生かすも殺すも其方の自由だ」
「ありがとうございます」
レオナルト様はニッコリと笑い、そして呆然としているエリスの前に立った。
そして、その泥だらけの手を、彼女に差し出したのだ。
「エリスさん。……僕たちと、『同盟』を結ぼう」
「……は?」
エリスが目を丸くした。私も目を丸くした。ロレンツォは口を開けて固まっている。
実質的な吸収合併だ。完全な主従関係だ。
それを「同盟」とは、何を言っているんだこの人は。
「監視なんて堅苦しいことは言わないよ。罪を償うのも、命令されてやるんじゃ意味がない」
レオナルト様は、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「君のその凄い知恵と、僕たちの力を合わせて……一緒に、最高の領地を作ろう。君の家も、僕の家も、みんなが笑って暮らせるような場所を。……対等なパートナーとして、力を貸してほしい」
【義理:100】。
それは、敗者から「敗北の屈辱」すらも奪い去る、究極の救済。
プライドの高い彼女を「罪人」や「奴隷」ではなく、「同志」として迎え入れる。それが彼女にとって一番の救いになると、彼は本能で理解しているのだ。
「……っ、うぅ……!」
エリスの瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
それは計算でも演技でもない、彼女の心の鎧が粉々に砕け散った証だった。
「……馬鹿な人。……本当にお人好しな、愛すべき馬鹿な盟友ですこと……」
彼女は震える手で、レオナルト様の手を握り返した。
「……謹んで、お受けいたします。……私の全てを懸けて、貴方様を支えさせていただきますわ」
その瞬間。
彼女の頭上の数値が、カチリと音を立てて変化した。
エリス
【野望:99 → 00(凍結)】
【忠誠:00 → ??(測定不能)】
野望が消えたのではない。
あまりに巨大な器に取り込まれ、その方向性を見失ったのだ。
いや、「この人を王にする」という新たな野望へと書き換わったのかもしれない。
私たちは勝ったのだ。
法廷で、そして「人としての在り方」において。
帰り道。
ロレンツォが呆れたように私に話しかけてきた。
「……家老殿。貴方の主君は、本当に底が知れませんね」
「ええ。……私の自慢の主君ですから」
私は誇らしげに答えた。
だが、同時に胃の痛みも感じていた。
エリス・フォン・バルトハルト。
あの怪物を、今度は本当に「身内」として飼わなければならないのだ。
「……アレン。これから忙しくなるわよ」
ミリアが遠い目をする。
「隣の領地も事実上の吸収合併。……事務処理が倍増するわ」
「ガッツとヴォルフガング殿には、警備の範囲を広げてもらわんとな」
仕事は山積みだ。
だが、今の私たちなら、どんな困難も乗り越えられる気がした。
泥だらけの手を持つ聖人と、彼を支える「劇薬」たち。
エデルシュタイン領の覇道は、ここから加速していく。




