第27話:冷徹なる保護と、白き猛毒の『降伏』
ゲオルグを「保護」してから、わずか半日。
事態は、こちらの描いたシナリオ通り――いや、それ以上のスピードで動いた。
「……チョロかったわね」
執務室で、ソフィアが優雅に紅茶をすすりながらつまらなそうに呟いた。
「『貴方が毒を盛ったことを自白しないと、エリスお姉様は貴方を口封じのために暗殺しますわよ?』って囁いたら、顔面蒼白でサインしたわ。『助けてくれ! ここに置いてくれ!』って泣きついてきて……見苦しいったらありゃしない」
地下の「特別賓客室(と名付けた牢屋)」には、自ら進んで檻に入ったゲオルグがいる。
彼は今や、妹の刺客に怯え、私たちに守られることを唯一の生存戦略とする「協力者」に成り下がっていた。
「おかげで、大義名分は立ちました」
ロレンツォが満足げに書類を弾く。
そこには、ゲオルグ直筆の『毒物混入指示の自白書』と、『命の危険があるためエデルシュタイン領への保護を求める嘆願書』があった。
「我々は即座に王都へ報告しました。『重要参考人の身柄を保護した』と。……これでバルトハルト家は、うかつに手を出せません」
完璧な盾だ。
さらに、現場指揮官であるゲオルグが「保護(逃亡)」したことで、街道の封鎖部隊は指揮系統を失い、大混乱に陥った。
その隙にガッツ率いる部隊が強行突破し、物資の搬入路を確保することに成功している。
「……勝ったな!」
ガッツが拳を突き上げた。ソフィアも「当然の結果ね」と胸を張る。
これ以上ない完全勝利に見えた。
だが、私は素直に喜べなかった。
むしろ、得体の知れない不安が胃の底で渦巻いていた。
「……静かすぎる」
ヴォルフガングが、私の不安を代弁するように呟いた。
「嫡男が敵地に落ち、家の汚点となる自白までしたのじゃ。バルトハルト伯爵……いや、裏で糸を引く『あの娘』が、黙って指をくわえているはずがない」
その予感を裏書きするように、レオナルト様が手紙を持って飛び込んできた。
顔色は真っ青だ。
「バルトハルト家から、公式な書状が届いたよ! ……エリス嬢からだ」
「来たか……!」
私は書状をひったくり、目を通した。
美しい、流れるような筆跡。だが、その内容は私たちの予想を根底から覆す、狂気じみた一手だった。
『兄ゲオルグの不始末、深くお詫び申し上げます。
毒物混入、街道封鎖……すべては当家の監督不行き届き。もはや弁解の余地もございません』
冒頭は完全な謝罪。
ここまではいい。だが、続く文章が異常だった。
『この責任を取り、父は隠居、兄ゲオルグは廃嫡といたしました。
つきましては……当主代行となった私エリス・フォン・バルトハルトより、貴家へ【全面降伏】と【臣従】を申し入れます』
「……は?」
思考が停止した。
降伏? 臣従?
あのバルトハルト家が、弱小のエデルシュタイン家の下につくと言っているのか?
『バルトハルト家の全領土、全財産、そして私兵団の指揮権……その全てを、賠償としてエデルシュタイン家に献上いたします。
我々は貴家の傘下に入り、その繁栄のために尽くす所存です』
「なっ……!?」
私は手紙を持つ手が震えた。
正気か?
これは「負けを認める」というレベルではない。家そのものを差し出すと言っているのだ。
あまりに巨大すぎる賠償。
「……なるほど。そう来ましたか」
ロレンツォが、今まで見たこともないほど険しい顔で呟いた。
「『肉を切らせて骨を断つ』どころじゃない。自分の首を差し出して、こちらの腹の中に潜り込む気だ」
「どういうことだ?」
「考えてもみてください。隣の巨大な領地と、莫大な資産がいきなり転がり込んでくるのです。……我々の今の体制で、それを管理しきれますか?」
ハッとした。
無理だ。今のエデルシュタイン領は、急成長したとはいえ、人材も組織もギリギリで回している。
そこに、自分たちの数倍の規模を持つバルトハルト領が「合併」されたらどうなる?
事務処理はパンクし、統統は取れず、組織は内側から崩壊する。
「それに、これは『罠』です」
ロレンツォが鋭く指摘した。
「バルトハルト家は伯爵、対してこちらは男爵。上位の貴族が下位の貴族に臣従するなど、王国の法と秩序が許しません。もし我々がこれを勝手に受け入れれば……」
「……王家への反逆、あるいは国法を無視した『領土の簒奪』とみなされる」
私は青ざめた。
これが狙いか。
「全部あげます」と言って相手に受け取らせ、その重みと違法性で自滅させる。
毒入り饅頭どころではない。国ごと吹き飛ばす爆弾だ。
その時。
館の外から、優雅なファンファーレが聞こえてきた。
「……仕事が早いな」
私は窓から外を見た。
門の前に、白塗りの豪華な馬車が到着していた。
その後ろには、山のような書類と資材を積んだ荷馬車の列。
まるで引っ越しだ。
「行くぞ。……丁重にお帰り願うために」
私たちは覚悟を決め、玄関ホールへと向かった。
馬車の扉が開く。
降りてきたのは、純白のドレスに身を包んだ絶世の美少女――エリスだった。
以前会った時よりもさらに美しく、そして冷ややかなオーラを纏っている。
彼女は出迎えた私たちを見回し、最後にレオナルト様の前で、地面に膝をつくほどの深い礼をした。
「お久しぶりです、主君」
エリスは顔を上げ、可憐に微笑んだ。
「本日より、バルトハルト家は貴方様のものです。……円滑な領地移行のため、私が【行政官】として参りました。どうぞ、私をこき使ってくださいませ」
その言葉に、レオナルト様が息を飲む。
一見、忠誠を誓う美しい乙女。だが、その背後には**【野望:99】**という怪物が鎌を研いで待っている。
「……お断りします」
私は一歩前に出て、エリスを見下ろした。
「歓迎はできませんね、エリス嬢。……貴女の申し出は、あまりに非常識だ」
「あら? 賠償として全てを差し出すと言っているのですよ? 何が不満なのです?」
「不満ではありません。不可能です」
私は冷静に告げた。
「貴家は伯爵、我が家は男爵。爵位の逆転した臣従など、王国の秩序を乱す行為です。それに、領地の併合や譲渡は、国王陛下の勅許が必要なはず。……それを無視して勝手に進めれば、我々は共倒れだ」
「……ふふ」
エリスは小さく笑った。
「その通りです。ですから、まずは『事実上の統合』を進め、事後承諾という形で王家に認めさせれば良いのです。……今のエデルシュタイン家の勢いと、我が家の資産があれば、王家も無視はできませんわ」
「その『既成事実』を作ること自体が、リスクだと言っているのです」
私は譲らなかった。
「我々は、法を犯してまで貴家の泥舟に乗るつもりはありません。……今回の件、まずは王家に報告し、正式な『仲裁』を仰ぐことにします」
「仲裁、ですか」
エリスの目が細められた。
「ええ。毒事件の件も含め、王家の法廷ですべてを明らかにしましょう。領地の処分も、爵位の扱いも、すべて王の裁定に従います。……それまでは、貴女がここに留まる理由はありません」
私は門の外を指差した。
「お引き取りください。……これ以上居座るなら、領地侵犯として実力で排除します」
背後でガッツが大剣の柄に手をかけ、ヴォルフガングが静かに殺気を放つ。
武力行使も辞さない構え。
エリスはしばらく私を無表情で見つめていたが、やがてふっと笑い、優雅にスカートを摘んだ。
「……素晴らしい。情に流されず、欲にも目が眩まない。……やはり、貴方たちは手強いですね」
彼女はあっさりと踵を返した。
「分かりました。今日は引き上げましょう。……ですが、アレン様」
エリスは馬車のステップに足をかけ、振り返った。
「王家に仲裁を仰ぐということは……舞台は『王都』に移るということですわよ? 狐と狸の化かし合い。……田舎貴族の皆様に、務まるかしら?」
挑発的な笑み。
それは、敗走の言葉ではない。「次の戦場でお前たちを料理してやる」という予告だった。
「望むところだ。……首を洗って待っていろ」
私が呟くと、エリスは満足げに頷き、馬車の中へと消えた。
白塗りの馬車が、砂埃を上げて去っていく。
「……ふぅ。なんとか追い返せたか」
私は膝から崩れ落ちそうになった。
胃が痛い。限界だ。
「アレン、大丈夫?」
レオナルト様が心配そうに覗き込む。
「……なんとか。ですが、これで終わりではありません」
私は北の空――その先にある王都の方角を見つめた。
「次は王都での法廷闘争、そして政治戦です。……向こうはホームグラウンド。厳しい戦いになりますよ」
内政、軍事、諜報。
それらを乗り越えた先に待つのは、最も厄介でドロドロとした「政治」の世界。
私たちの「覇道」は、まだ始まったばかりだ。




