第25話:薔薇の刺客と純白の悪女
工作員の一件から一週間。
エデルシュタイン領は、嵐の前の静けさに包まれていた。
ゲオルグがあれほどの捨て台詞を吐いて逃げ帰った以上、バルトハルト家が黙っているはずがない。
私はいつ来るか分からない「報復(物理的な軍事侵攻か、さらなる経済制裁か)」に備え、ヴォルフガングと共に防衛計画を練っていた。
だが、敵が放ってきた矢は、予想の斜め上を行くものだった。
「……縁談、ですか?」
執務室。レオナルト様がキョトンとした顔で、豪奢な封筒を見つめている。
王都から届いたその手紙の差出人は、なんとバルトハルト伯爵本人だった。
「ええ。読んでみてください」
私が促すと、レオナルト様は読み上げた。
「『先日は愚息ゲオルグが大変な無礼を働いたこと、深くお詫び申し上げる。つきましては、両家の長きにわたる確執を解き、強固な友好関係を築くため……我が娘、エリスを貴殿の妻として迎え入れていただきたい』」
「ええええっ!?」
部屋にいた三人――レオナルト様、ミリア、そしてソフィアが同時に素っ頓狂な声を上げた。
ソフィアに至っては飲んでいたお茶を吹き出し、むせ返っている。
私はその反応を予想していた通り、こめかみを押さえて深いため息をついた。
「な、何言ってるのよこのタヌキ親父!」
ソフィアがハンカチで口を拭いながら叫んだ。
「散々嫌がらせをしておいて、今さら結婚? 頭おかしいんじゃないの!?」
「同感です。……ですが、内容はもっともらしい理屈で固められています」
私は眉間に皺を寄せた。
手紙には、コーヒー偽装事件の責任を全て「一部の暴走した部下(と息子の管理不足)」に押し付け、その謝罪と賠償の代わりとして、持参金たっぷりの娘を嫁がせると書いてある。
「断れば、『バルトハルト家の顔に泥を塗った』ことになります。それを口実に、今度こそ大義名分を持って攻め込んでくるでしょう」
「受け入れれば、懐に毒蛇を入れることになる……か」
ヴォルフガングが腕組みをして唸る。
典型的な政略結婚。それも、乗っ取りを目的としたトロイの木馬だ。
「ど、どうしようアレン……。僕、結婚なんてまだ……」
レオナルト様が顔を赤くしてオロオロしている。
恋愛経験ゼロの彼にとって、これは政治問題以前にキャパシティオーバーな事態だ。
その時だった。
窓の外から、けたたましい馬のいななきと、車輪の音が聞こえてきた。
クロが音もなく天井から降りてくる。
「アレン様。……来ました」
「何がだ?」
「バルトハルト家の紋章が入った馬車です。……女性が一人、乗っています」
早すぎる。
返事も出していないのに、もう送り込んできたのか。
断る隙すら与えない、強引きわまりない手口。
「……迎え撃ちましょう。全員、配置につけ」
私は覚悟を決め、玄関ホールへと向かった。
馬車から降りてきたのは、一人の令嬢だった。
透き通るような銀髪に、雪のように白い肌。華奢な体躯を包むのは、清楚な白のドレス。
誰もが振り返るような、深窓の美少女だ。
彼女は出迎えた私たちを見回し、レオナルト様の前で優雅にカーテシー(膝を折る礼)をした。
「初めまして、レオナルト様。エリス・フォン・バルトハルトと申します」
鈴を転がすような声。
伏し目がちに上目遣いで見つめる仕草は、男の庇護欲をこれでもかと刺激する。
「こ、こんにちは……エリス嬢」
レオナルト様がドギマギして挨拶を返す。
その様子を見て、エリスは恥ずかしそうに頬を染めた。
「突然の訪問、お許しください。父からは『返事を待て』と言われたのですが……どうしても、早くお会いしたくて」
「えっ? 僕に?」
「はい。……王都のパーティーでの貴方様のお噂、かねがね伺っておりました。泥にまみれて民を思う、その高潔なお姿に……私、心を奪われてしまいまして」
完璧だ。
声のトーン、表情、間の取り方。全てが「恋する乙女」のそれだ。
だが、私の「目」は誤魔化せない。
彼女の頭上に浮かぶ、毒々しいまでの数値が、その本性を雄弁に語っていた。
エリス
【統率:10 武勇:05 知略:92 政治:96】
【義理:02 野望:99】
(……化け物か)
私は戦慄した。
【政治:96】。内政や交渉、根回しにおいて、一国の宰相すら手玉に取るレベル。
そして**【知略:92】。ロレンツォ(88)をも上回る策士。
極めつけは【野望:99】と【義理:02】**。
自分以外の人間は全て道具。国を乗っ取り、あるいは国そのものを滅ぼしてでも、自分の欲望を満たそうとする最悪の悪女。
以前、ソフィアの野望98に驚いたが、この女はさらにその上を行く。しかもソフィアと違って、それを実行に移すだけの圧倒的な「能力」を持っている。
「レオナルト様。私、世間知らずで至らぬ身ですが……精一杯、貴方様のお役に立ちたいと思います」
エリスはレオナルト様の手を取り、ウルウルとした瞳で見つめる。
「しばらくの間、こちらに滞在させていただけますか? 父からの許しは得ております」
「い、いや! 邪魔だなんてとんでもない! 部屋はたくさんあるし……」
レオナルト様が陥落しかけている。
無理もない。**【義理:100】**の彼は、「好意を持って来てくれた相手」を無下に扱うことができないのだ。それが演技だと見抜けない限り。
「お断りします!」
鋭い声が響いた。
ソフィアだ。彼女はレオナルト様の前に立ちはだかり、エリスを睨みつけた。
「この屋敷に、貴女の部屋なんてありません! 帰りなさい、バルトハルトの女!」
「……あら? 可愛らしいお嬢さんですね。……でも、どうしてそんなに怒っているのかしら?」
エリスは困ったように眉を下げた。
「兄がご迷惑をおかけしたことは、本当に申し訳なく思っています。だからこそ、私がこうして償いを……。私、多少の計算や書類仕事なら心得ております。そちらの秘書様もお忙しそうですし……少しでも負担を減らせればと」
彼女は、ミリアの方を見て微笑んだ。
それは「お前の仕事を奪って、領地の中枢(経理情報)に入り込んでやる」という宣戦布告に他ならない。
「ソフィアちゃん、ダメだよ。せっかく手伝ってくれると言っているのに」
レオナルト様がソフィアを窘める。
敵の懐柔策に、完全にペースを持っていかれている。
「レオナルト様」
私は静かに、しかし有無を言わせぬ声で呼びかけた。
「……お断りしましょう。今すぐにお帰りいただくべきです」
「えっ? でもアレン、彼女はわざわざ謝罪に来てくれたんだよ?」
「謝罪? いいえ、これは『侵略』です」
私はエリスの前に立ち塞がった。
「エリス嬢。……貴女の滞在も、支援の申し出もお断りします。お引き取りください」
「まあ……。家老様は、随分と心が狭いのですね。父は和解を望んでいるのですよ?」
「毒を盛っておいて和解も何もありませんよ」
私は冷徹に告げた。
「貴女の父上は、我が領地の信用を地に落とそうとしました。それが『愚息の暴走』で済むはずがない。……ましてや、そんな相手の娘を屋敷に入れ、経理や内政に関わらせるなど、正気の沙汰ではありません」
「アレン! 言い過ぎだ!」
レオナルト様が慌てて止めに入った。
「彼女には関係ないじゃないか! 彼女は、家のために心を痛めて……」
「関係大ありです! 彼女はバルトハルト家の人間だ!」
私は主君に向かって、初めて声を荒らげた。
「いいですかレオナルト様。これは『企業秘密』と『安全保障』の問題なのです。敵対企業の人間を、自社の金庫番にする経営者がどこにいますか? それは優しさではありません。ただの自殺行為です!」
前世の記憶が叫んでいる。
コンプライアンス。セキュリティリスク。産業スパイ。
どんな綺麗事を並べようと、敵を中枢に入れるリスクは許容できない。
「……そ、それは……」
私の剣幕に、レオナルト様が言葉を詰まらせる。
「……あらあら。随分と警戒心が強いのですね」
エリスがため息をついた。
その表情から、一瞬だけ「可憐な少女」の仮面が剥がれ落ち、冷酷な策士の顔が覗いた。
「ですが、父への返答はどうなさるおつもり? この縁談を蹴れば、貴家は孤立しますわよ?」
「脅しですか? 結構。……我々は毒入りの蜜を舐めるつもりはありません」
私は扉を開け放ち、外を指差した。
「お帰りください。二度と、この敷居を跨がないでいただきたい」
強烈な拒絶。
エリスはしばらく私を無表情で見つめていたが、やがてふっと笑い、優雅にスカートを摘んだ。
「……分かりました。本日は出直しますわ」
彼女はレオナルト様にウインクを一つ投げ、踵を返した。
「でも、諦めませんわよ。……私、欲しいものは必ず手に入れる主義ですので」
エリスが馬車に乗り込み、去っていく。
その後ろ姿には、明確な「次」への布石が感じられた。
「……アレン。本当にこれでよかったのかしら」
ミリアが不安そうに私を見た。
「相手は大貴族よ。面子を潰されたと激昂して、軍を差し向けてくるかもしれないわ」
「その時は戦うまでだ。……だがミリア、考えてもみろ」
私は額の汗を拭いながら言った。
「あの女を屋敷に入れて、お前が築き上げた帳簿や、ギルバートの技術を盗まれるリスクと……全面戦争のリスク。どちらがマシだ?」
「……っ。それは……」
ミリアは顔をしかめ、そして小さく頷いた。
「……あんたの言う通りね。あいつ、私と同じ匂いがしたわ。……絶対に、中に入れちゃダメなタイプよ」
「アレン……ごめんね」
レオナルト様がしょんぼりと肩を落とす。
「僕、また騙されそうになってた……?」
「いいえ。レオナルト様の優しさは美徳です。ですが、時としてその優しさが、領民を危険に晒すこともあるのです」
私は主君の肩に手を置いた。
「汚れ役は私がやります。……貴方はただ、その心のままにいてください」
最悪の刺客は追い返した。
だが、**【野望:99】**の怪物が、これだけで引き下がるはずがない。
私の胃痛は、治るどころか悪化の一途を辿っていた。




