第24話:見えざる追跡劇
作戦は、その日の夕刻に開始された。
標的は、最近領内に出入りしている「行商人風の男」。
ガッツの鼻と、私の「目」による検分(数値の揺らぎ)で、限りなくクロだと断定した人物だ。だが、尾行しようとすると、人混みや路地裏を使って煙のように消えてしまう手練れでもある。
「……いいかい、クロ君。無理はしなくていい。奴がどこへ帰るのか、それだけ突き止めてくれればいいんだ」
私が街外れの辻で言い聞かせると、クロは緊張した面持ちでコクコクと頷いた。
「は、はい。……行ってきます」
クロはそう言うと、人混みの中へと歩き出した。
そして、数秒後。
(……消えた?)
私は目をこすった。
魔法を使ったわけではない。ただ歩いているだけなのに、周囲の風景――通行人の背中や建物の影――に溶け込み、私の視界からフッと認識が外れたのだ。
意識して探そうとしても、脳が彼を「背景の一部」として処理してしまうような感覚。
「……恐ろしいな。これが天性の『隠密』か」
私は背筋が寒くなるのを感じながら、吉報を待つことにした。
【Side:クロ】
僕は、必死に心臓の音を抑えながら、男の背中を追っていた。
相手は、油断なく周囲を警戒している。時折、不意に振り返ったり、ガラスに映る背後を確認したりしている。
でも、僕とは目が合わない。
いや、視界には入っているはずなのに、男の意識が僕を「無視」して通り過ぎていく。
昔からそうだった。
配給の列に並んでいても、先生に指名されるのを待っていても、僕だけが飛ばされる。
「影が薄い」「トロい」「役に立たない」。そう言われ続けてきた。
でも、あの片目のお爺さんと、優しそうな家老様は言った。
『それが才能だ』と。
(……役に立ちたい。僕にご飯をくれた、あの人たちのために)
男が路地裏に入り、人気のない廃墟エリアへと進んでいく。
そこは、隣領との境界に近い、森の中の古小屋だった。
男は周囲を鋭い眼光で一巡し、誰もいないことを確認してから、小屋の中へと消えていった。
僕は息を殺し、場所を記憶に焼き付けてから、音もなくその場を離れた。
【Side:アレン】
「……戻りました」
執務室のドアがノックもなく開き、私の目の前にクロが現れた時は、心臓が止まるかと思った。
「うおっ!? ……い、いつの間に!」
「たった今です。……場所、分かりました」
クロが地図を指差す。
それは、バルトハルト領へと抜ける獣道の途中にある、放棄された樵小屋だった。
「誰にも見つからなかったか?」
「はい。男の人は、何度も後ろを確認していましたが……僕のことは『石ころ』みたいに見ていました」
私は唸った。
プロの工作員であればあるほど、「殺気」や「魔力」、あるいは「強い存在感」に対して敏感になる。
だが、クロにはその全てがない。
数値が低すぎるがゆえに、警戒の網をすり抜けたのだ。
「……お手柄だ、クロ君」
私は立ち上がり、控えていた二人の武人に合図を送った。
「場所は割れた。……ガッツ、ヴォルフガング殿。出番だ」
「へっ、待ちくたびれたぜェ!」
「夜の散歩にはちょうどいい距離じゃな」
凶悪な笑みを浮かべるガッツと、好々爺の仮面を外した老将軍。
反撃の狼煙を上げる時が来た。
深夜。森の古小屋。
中では数人の男たちが、車座になって酒を飲んでいた。
「へへっ、チョロいもんだぜ。あの若造領主、今頃顔を青くして震えてるだろうよ」
「毒入りの噂も十分広まった。あとはバルトハルト様が『救済』の名目で乗り込めば、この領地は終わりだ」
下卑た笑い声が響く。
彼らは油断していた。自分たちの隠れ家がバレるはずがないと、高をくくっていた。
ドゴォォォォン!!
轟音と共に、小屋の入り口が壁ごと粉砕された。
「な、なんだ!?」
男たちが飛び起きるより早く、粉塵の中から巨大な影が躍り込んだ。
「お届け物だァッ!! 筋肉のなァッ!!」
ガッツだ。
大剣の腹で先頭の男を叩き飛ばし、そのままテーブルを蹴り上げる。
室内は一瞬でパニックに陥った。
「て、敵襲! 殺せ!」
男たちが短剣を抜き、ガッツに殺到する。
だが、その背後から音もなく滑り込んだ影があった。
「……遅いのう」
ヴォルフガングが、ただの木の棒を一閃させる。
逃げ出そうと窓に向かった男の膝が、あり得ない角度で折れ曲がり、悲鳴を上げて崩れ落ちた。
「なっ、このジジイ!?」
「隙だらけじゃ。戦場なら三回は死んでおるぞ」
老将軍は舞うように棒を振るう。
急所を突く、足を払う、関節を極める。
殺しはしない。だが、二度と戦えないように的確に無力化していく。
「くそっ、化け物かこいつら!」
リーダー格の男が、隠し通路へ向かおうとした。
だが、その行く手に、いつの間にか私が立っていた。
「逃がさんよ」
「っ! 文官風情が!」
男が私にナイフを向ける。
私の**【武勇:42】**では、まともにやり合えば負けるかもしれない。
だが、私には最強の護衛がいる。
「よそ見してんじゃねえよ!」
横から伸びてきたガッツの拳が、男の顔面にめり込んだ。
男は回転しながら吹き飛び、壁に激突して白目を剥いた。
「……ふぅ。一丁上がりだな」
ガッツが拳を鳴らす。
室内には、呻き声を上げる工作員たちが転がっていた。
そして、テーブルの上には「指令書」と書かれた羊皮紙の束。バルトハルト家の紋章が入った、動かぬ証拠だ。
「……見事な手際だ」
私は二人の武人と、そして小屋の外で見張りをしているはずの少年に向かって心の中で礼を言った。
翌日。
縛り上げた実行犯と証拠の品を突きつけられたゲオルグ・フォン・バルトハルトは、顔を真っ青にして逃げ帰ったという。
王都での風評被害も、「犯人捕縛」のニュースと共に、逆に「被害者であるエデルシュタイン家」への同情票へと変わった。
執務室。
私はクロを呼び出し、新しい服と、温かいスープを与えた。
「クロ君。君のおかげで領地は救われた」
「いえ、僕はただ……見てきただけですから」
クロは照れくさそうに縮こまる。
私は彼に、一枚の辞令を渡した。
「今日から、君は領地直属の『情報方(情報収集係)』だ。ヴォルフガング殿の下で、その才能をさらに磨いてくれ」
「情報方……僕が?」
「ああ。君の『数値の低さ』は、誰にも真似できない最強の武器だ。……頼りにしているぞ」
クロの目から、大粒の涙がこぼれた。
生まれて初めて、自分の存在を肯定された涙だった。
こうして、私たちの領地に、まだ誰もその存在を知らない「見えざる目」が誕生した。
内政、軍事、そして諜報。
盤石の体制が整いつつある。
だが、急激な成長は、より大きな敵を引き寄せる。
王都から届いた一通の手紙が、ついにレオナルト様の「結婚問題」という時限爆弾を作動させるのだった。




