第22話:毒と蜜の提案
「失礼するよ。……ふん、相変わらずカビ臭い館だ」
応接室に入ってくるなり、ゲオルグ・フォン・バルトハルトは鼻に手を当てて顔をしかめた。
以前、王都のパーティーでレオナルト様に恥をかかされたことを根に持っているのか、その視線には隠しきれない敵意と侮蔑が混じっている。
彼はソファーに深々と腰掛け、従者に持たせた書類の束をテーブルに放り投げた。
「単刀直入に言おう、エデルシュタイン男爵。……君たちは今、大変な窮地にあるそうだね?」
ゲオルグは口元を歪めて笑った。
「王都で出回っている『毒入りコーヒー』の件だ。被害者は数百人に上ると聞く。王宮からも問い合わせが来ているそうじゃないか。『王が認めた品に毒が混入していたとは何事か』とね」
「……耳が早いですね」
私が皮肉を言うと、ゲオルグは鼻を鳴らした。
「隣人として心配しているのだよ。……このままでは、エデルシュタイン家は『王家を謀った逆賊』として取り潰しになるかもしれん。実に嘆かわしいことだ」
白々しい。
火をつけた張本人が、よくもぬけぬけと。
横に座るロレンツォの目が、片眼鏡の奥で冷たく光っている。
「そこでだ。見かねた父上――バルトハルト伯爵が、救済の手を差し伸べることにした」
ゲオルグはテーブルの書類を指先でトントンと叩いた。
「この契約書にサインをしたまえ。そうすれば、我々が今回の騒動の火消しを行ってやろう」
「……内容は?」
「単純だ。今後、カッファの生産および販売の管理権を、全てバルトハルト家に委譲する。君たちは我々の『指導』の下で、ただ豆を作っていればいい」
私は書類を手に取り、ざっと目を通した。
内容は「指導」などという生易しいものではない。
生産量の決定権、価格決定権、そして利益の8割をバルトハルト家が徴収するという、実質的な「事業の乗っ取り」契約だった。
「……ふざけた内容ですね」
私が書類を机に戻すと、ゲオルグは目を吊り上げた。
「ふざけているのは君たちだ! 毒物をばら撒くような管理能力のない田舎貴族が、これ以上商売を続けるなど許されると思っているのか!?」
「毒物をばら撒いたのが『誰』なのか、本当にご存知ないのですか?」
ロレンツォが静かに口を挟んだ。
「黙れ、商人風情が。……いいか、これは慈悲だ。このまま信用を失って路頭に迷うか、我々の傘下に入って生き延びるか。選ばせてやっているのだぞ」
ゲオルグはレオナルト様の方へ身を乗り出した。
「さあ、サインをしたまえ、レオナルト。君のような無能には、荷が重すぎたのだよ。父上の庇護下に入れば、君の大好きな『平和な暮らし』は守られる」
レオナルト様は、ずっと俯いていた。
膝の上で、拳が白くなるほど強く握りしめられている。
「……ゲオルグ殿」
レオナルト様が顔を上げた。
その瞳には、私が今まで見たこともないほど強く、そして静かな光が宿っていた。
「……お断りします」
「……あ?」
「その提案は受けられません。お引き取りください」
はっきりとした拒絶。
ゲオルグは一瞬呆気にとられ、すぐに顔を真っ赤にして激昂した。
「き、貴様……! 立場が分かっているのか!? このままでは領地が潰れるぞ!?」
「潰れません。偽物の件は、必ず自分たちの手で解決してみせます」
レオナルト様は立ち上がり、ゲオルグを真っ直ぐに見据えた。
「それに……僕は、許せないんだ」
「何だと?」
「とぼけないでください。僕たちのコーヒーに毒を盛ったのは、あなたたちだ」
「な、なにを……!?」
ゲオルグが狼狽する。
まさか、気弱なレオナルトの口から、そこまで断定的な言葉が出るとは思わなかったのだろう。
「僕の大切なお客さんと、一生懸命働いてくれている領民たちを傷つけた罪は、償ってもらいます。……たとえ相手が誰であろうと」
レオナルト様は一歩も引かなかった。
その視線は鋭くゲオルグを射抜いている。
「楽しみにしてくれていた人たちを傷つけるなんて……そんな卑劣なことをする人たちと、手は組めない!」
宣戦布告だった。
あの温厚で、気弱で、争いを好まないレオナルト様が、初めて明確に「敵」を断罪し、戦う意志を示したのだ。
【義理:100】。
それは「優しさ」であると同時に、「不義理に対する絶対的な怒り」でもあったのだ。
「……よ、よくも言ったな、落ちぶれ貴族が!」
ゲオルグは立ち上がり、椅子を蹴り倒した。
「証拠でもあるのか!? 無礼打ちにしてもいいんだぞ!?」
「やってみろよ」
背後から低い声がした。
控えていたガッツが、大剣の柄に手をかけ、殺気を放ちながら一歩前に出る。
ゲオルグは「ひっ」と悲鳴を上げ、後ずさった。
「後悔するぞ! 父上が本気になれば、こんな弱小領地など一瞬で干上がる! 街道を封鎖し、物資を止め、王都での信用を完全に破壊してやる!」
「お、覚えていろ! 近いうちに泣きついてきても知らんぞ!!」
捨て台詞を残し、ゲオルグは逃げるように応接室を出て行った。
嵐が去った後のような静寂が戻る。
「……言ってしまわれましたね、レオナルト様」
私が苦笑混じりに声をかけると、レオナルト様はへなへとソファーに座り込んだ。
「あ、足が震えてるよ……。怖かったぁ……」
「立派でしたよ。最高の啖呵でした」
ロレンツォがパチパチと手を叩く。
だが、その横から冷ややかな声が飛んだ。
「ちょっと、煽てないでちょうだいロレンツォ」
ミリアだ。彼女は腕組みをして、ため息交じりにレオナルト様を見下ろした。
「レオナルト様もです。あんな軽率に宣戦布告みたいなこと言わないでください。相手は大貴族ですよ? 全面的に潰しに来られたら、私たちの首なんて明日には飛んでるかもしれないんですよ」
「うっ……ご、ごめん、ミリア……」
「……はぁ。まあでも」
ミリアは呆れ顔を崩し、ふっと小さく笑った。
「スカッとしたのは事実だわ。……あんな卑怯な連中に尻尾を振る領主様よりは、よっぽどマシよ」
それは、彼女なりの精一杯の賛辞だった。
レオナルト様が、少しだけ嬉しそうにはにかむ。
「さて、そうと決まれば準備です」
ロレンツォが表情を引き締めた。
「交渉決裂。これで、あちらはなりふり構わず潰しにかかってくるでしょう。経済封鎖、風評被害の拡大、あるいは……物理的な妨害も」
「ああ。戦争だ」
私は窓の外、北の空を睨んだ。
相手は大貴族。こちらは新興の弱小領地。
真っ向勝負では勝ち目はない。
「だが、勝機はある。……敵が『卑劣な手』を使ってくるなら、尻尾を掴んで引きずり出してやる」
私は扉の向こうに控えている人物に声をかけた。
「ヴォルフガング殿。……例の『彼』の準備は?」
「いつでもいけるぞい」
老将軍の声が響く。
数値には現れない才能。
私たちの反撃の鍵を握る、新たな「異物」が動き出そうとしていた。




