第21話:黒い泥水と激怒する商人
「エデル・コーヒー」が王都でセンセーションを巻き起こしてから、三ヶ月が過ぎた。
エデルシュタイン領は、これまでにない活気に満ち溢れていた。
「ほらほら! 次の荷馬車が来るわよ! 箱詰め急いで!」
「焙煎機の火加減はどうだ? 温度を一定に保てよ!」
北の開墾地には加工場が建設され、難民たちが忙しく働いている。
カッファの香ばしい香りが風に乗って漂い、街道には商品を運ぶ馬車が列をなす。
かつて「何もない」と言われた貧乏領地は、今や「黒い宝石の産地」として地図にその名を刻みつつあった。
執務室で帳簿を見ていたミリアが、うっとりとしたため息をつく。
「……信じられないわね。先月の税収、去年の十倍よ。十倍」
「ロレンツォの手腕と、現場の頑張りのおかげだな」
その向かいで、レオナルト様も懸命に慣れない決裁書類に判を押していた。
「すごいね、アレン。僕たちのコーヒーが、王都の人たちを喜ばせているんだね」
「ええ。レオナルト様のご威光のおかげですよ」
私も肩の荷が下りる思いだった。
借金の返済も順調。難民たちの生活も安定してきた。
ガッツはヴォルフガングにしごかれながらも騎士団(仮)をまとめ上げ、ソフィア王女も今のところ大人しくしている。
平和だ。
胃薬がいらない日々が、ようやく訪れたのだ。
――そう思った矢先だった。
バンッ!!
執務室の扉が、蝶番が壊れそうな勢いで叩き開けられた。
「……説明していただきましょうか、家老殿!!」
怒号と共に飛び込んできたのは、いつもの冷静沈着な仮面をかなぐり捨てた、鬼の形相のロレンツォだった。
漆黒のコートは砂埃で汚れ、髪も乱れている。馬を飛ばして駆けつけたことが一目でわかった。
「ロ、ロレンツォ殿!? 一体どうされたのですか、藪から棒に……」
「ロレンツォさん? どうしたんだい、そんなに怖い顔をして」
レオナルト様が不安そうに立ち上がる。
だが、ロレンツォは挨拶もそこそこに、手に持っていた革袋を私のデスクに叩きつけた。
「これが落ち着いていられますか!!」
袋の口が開き、中から黒っぽい粉が飛び散る。
「これは……コーヒーの粉?」
「いいえ。『黒い泥水』の素です」
ロレンツォはギリギリと歯ぎしりをした。
「王都で今、何が起きているかご存知ですか? 『エデル・コーヒーを飲んで、激しい腹痛と吐き気を催した』という苦情が殺到しているのです!」
「なっ……!?」
「えっ……!?」
私は絶句した。ミリアも顔面蒼白になっている。レオナルト様も目を丸くして言葉を失った。
「そんなはずはありません! 品質管理は徹底しています! 腐った豆や異物が混入しないよう、選別工程は二重に……」
「ええ、分かっています。私が検品した商品に間違いはありませんでしたからね」
ロレンツォは少しだけ声を落としたが、その目の奥にある怒りの炎は消えていない。
「問題なのは、市場に出回っている『これ』です。正規のルートではない、闇市や露店で『エデル・コーヒーの廉価版』として売られている代物です」
「偽物、ということか……」
人気商品が出れば、模倣品が出るのは世の常だ。
だが、ここまでロレンツォが取り乱すのはただ事ではない。
「ただの偽物なら、私が裏で潰して終わりです。ですが、こいつは質が悪すぎる。……ミリア嬢、ギルバート殿を呼んでください。今すぐに成分分析を」
急遽呼び出されたギルバートが、不機嫌そうにルーペで粉を覗き込む。
「……なんだこのゴミは」
ギルバートは一瞬で吐き捨てた。
「粒度がバラバラだ。石臼か何かで適当に挽いたんだろう。それに、この黒いの……カッファじゃねえぞ。ただの『焦げた麦』だ」
「麦……かさ増しか」
私は唇を噛んだ。
麦茶のようなものならまだ飲めるが、焦げるまで煎った麦はただの炭だ。苦味を演出するために混ぜたのだろう。
「それだけじゃありません」
横で粉の匂いを嗅いでいたミリアが、ハンカチで鼻を押さえて眉をひそめた。
「変な匂いがするわ。……腐った油のような、鼻を刺す刺激臭」
「貸してみろ」
私は粉を一つまみ手に取り、自身の「目」を発動させた。
前世の知識と鑑定能力が、その粉の正体を暴き出す。
【名称:粗悪な模造コーヒー粉】
【成分:焦げた大麦(70%)、カッファの搾りカス(20%)、その他雑草】
【含有毒物:下し根(微量)、痺れ草の根】
「……ッ!」
背筋が凍りついた。
これは、金儲けのための「安物」ではない。
「毒だ」
私が告げると、室内の空気が凍りついた。
「下し根……強力な下剤作用がある毒草が混ざっている。それに、舌を麻痺させる痺れ草もだ。微量だが、飲めば確実に体を壊す」
「そんな……っ!」
レオナルト様が悲痛な声を上げた。
「僕たちのコーヒーを飲んで、人が苦しんでいるの……? そんなの、あんまりだ……」
「レオナルト様……」
ロレンツォが、氷のような声で言った。
「……やはり、そうですか」
彼は片眼鏡を押し上げた。
「ただの金儲けなら、麦を混ぜるだけでいい。わざわざ毒を入れる理由は一つしかない」
「エデル・コーヒーの評判を地に落とし、我々を破滅させること……」
私が続けると、ロレンツォは無言で頷いた。
これは商売上のトラブルではない。明確な「攻撃」だ。
王都の人々は、本物と偽物の区別などつかない。「エデル・コーヒーを飲んで病気になった」という噂が広がれば、ブランドは一瞬で死ぬ。
「……誰の仕業か、見当はついていますね?」
ロレンツォの問いに、私は北の方角――隣の領地を睨みつけた。
「ああ。これほどの手回しの良さと、悪意の深さ。……バルトハルト伯爵以外に考えられない」
ゴブリンをけしかけ、経済封鎖を行い、それでも潰れなかった私たちに対する、次なる一手。
それも、私たちが一番頼りにしている「コーヒー」という生命線を狙い撃ちにする、陰湿極まりない策謀。
「王都での販売は一時停止しました。ですが、一度ついた悪評を覆すのは容易ではありません」
ロレンツォは私に詰め寄った。
「家老殿。これは戦争ですよ。剣を使わない、経済と信用の殺し合いです」
「……ああ。受けて立つしかないな」
私は拳を握りしめた。
せっかく手に入れた平穏が、音を立てて崩れ去っていく。
そして、敵がこのタイミングで攻撃を仕掛けてきたということは、間違いなく「次の一手」も用意しているはずだ。
その予感は、すぐに的中することになる。
「申し上げます!」
またしても、扉が慌ただしく開かれた。
飛び込んできたのは警備兵だ。そしてその後ろから、不機嫌そうなガッツもドカドカと入ってくる。
「おいアレン! 館の前に、隣の領主の使いってのが来てるぞ! ……なんか、ムカつくツラした野郎だ」
私はロレンツォ、そしてレオナルト様と顔を見合わせた。
マッチポンプ。
自分で火をつけておいて、消防士のフリをしてやってくる。
典型的な、そして一番厄介な手口だ。
「……通せ。話を聞こう」
「僕も出るよ」
レオナルト様が毅然と顔を上げた。
「僕の領地と、僕の大切なお客さんを傷つけた相手だ。……話を聞かなくちゃいけない」
その瞳には、かつてないほどの怒りと、責任感が宿っていた。
私は胃の痛みをこらえ、主君と共に新たな戦場へと向かった。




