第20話:幼き亡命者の野望
領主館の応接室。
重苦しい沈黙の中、ソファーにちょこんと座っているのは、ボロボロの服を着た一人の少女だった。
年齢は10歳ほどだろうか。痩せこけて、顔も泥で汚れている。
どこからどう見ても、ただの難民の子供だ。
だが、彼女の手には、王家の紋章が入ったハンカチが握りしめられている。
「……名を、聞かせてもらえますか?」
レオナルト様が、子供を怖がらせないように膝をつき、目線を合わせて尋ねた。
少女はレオナルト様をじっと見つめ、そして、その小さな唇を開いた。
「……ソフィア。ソフィア・フォン・ローゼンハイム」
凛とした声だった。
ローゼンハイム。先日、隣国の内乱で滅亡した王家の名前だ。
「お父様もお母様も、殺されました。……逃げ延びたのは、私と数名の侍女だけ。でも、ここへ来る途中でみんな……」
少女の声が震える。
だが、彼女は泣かなかった。涙をこらえ、気丈に顔を上げている。
私は慌てて「目」を凝らした。
関所での面接の時、私は彼女を「ただの孤児」として通過させた。その時の数値は、確かにオール10程度の平凡なものだったはずだ。
今、改めて彼女を見る。
ソフィア
【統率:15 武勇:08 知略:18 政治:12】
(……やはり、低い)
子供だということを差し引いても、低い。才能の片鱗すら感じられない。
武術の才もなければ、人を率いるカリスマも、政を行う知恵もない。
厳しい言い方をすれば、王族としての「素質」は皆無だ。
これでは、私が「ただの村娘」と見間違えたのも無理はない。
だが。
たった一つだけ、異常な数値を叩き出している項目があった。
関所では、疲弊しきって数値が下がっていたのか、あるいは私が「子供にそんなものがあるはずがない」という先入観で見落としていたのか。
【野望:98】
(きゅ、98だと……!?)
私は我が目を疑った。
上昇志向の塊のようなガッツですら最高で「75」。あの強欲なロレンツォでさえ「85」だ。
「98」という数値は、それらを遥かに凌駕している。
国を失い、家族を殺され、無力な子供であるにも関わらず、その胸の内に燃える「執念」だけは、怪物クラスだ。
「……エデルシュタイン男爵」
ソフィア王女は、私ではなく、領主であるレオナルト様を見据えて言った。
「私を匿いなさい。そして、いつか兵を貸して。……必ず、私の国を取り戻してみせるわ」
命令口調。
無力な少女が言うには、あまりにも無謀で、滑稽ですらある言葉。
だが、その瞳には狂気にも似た光が宿っていた。
**【野望:98】**が、彼女を突き動かしているのだ。
「おいおい、ガキがデカい口叩くんじゃねえよ」
部屋の隅で腕組みをしていたガッツが、呆れたように鼻を鳴らした。
「兵を貸せだぁ? お前みたいな弱っちいのに率いられる兵隊が不憫だぜ。国を取り戻すなんざ、夢見てねえでママのおっぱいでも吸ってな」
「……無礼者!」
ソフィアが叫んだ。だが、ガッツの威圧感に気圧され、すぐに肩を震わせる。
図星なのだ。彼女自身、自分に何の力もないことは理解している。
それでも「王女である」というプライドと、復讐心だけで立っている。
「……アレン」
レオナルト様が、困ったように私を見た。
私は首を横に振った。
「レオナルト様。……冷たいようですが、関わり合いになるべきではありません」
私は家老として、冷徹な事実を告げた。
「彼女を匿えば、彼女の国を乗っ取った『新政府軍』に目をつけられます。今の我が領地に、他国と戦争をする余力はありません。……金貨数枚を持たせて、王都の修道院へ送るのが最善です」
それが、領民を守るための正しい判断だ。
情に流されて爆弾を抱え込めば、エデルシュタイン領ごと吹き飛ぶ。
「そんな……! 私を見捨てる気!? 私は王女よ!」
「国のない王女は、ただの難民です」
私が突き放すと、ソフィアは唇を噛み締め、絶望に顔を歪めた。
その目から、ついにポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「うぅ……っ……お父様……お母様……」
張り詰めていた糸が切れ、ただの10歳の子供に戻って泣きじゃくるソフィア。
その姿を見て、レオナルト様が動いた。
「……アレン。ごめん」
彼は短く謝ると、泣いているソフィアをそっと抱きしめた。
「レ、レオナルト様!?」
「修道院になんてやれないよ。あんな冷たい石の部屋で、一人ぼっちにさせるなんて……僕にはできない」
レオナルト様は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったソフィアの頭を撫でた。
「大丈夫だよ、ソフィア姫。君はもう安全だ。僕たちが君を守る」
「……え?」
「国を取り戻すとか、難しいことは今は考えなくていい。まずはご飯を食べて、お風呂に入って、ふかふかのベッドで眠ろう。……怖い夢を見なくて済むように」
計算も、損得もない。
ただ目の前の「泣いている子供」を放っておけないという、**【義理:100】**の行動原理。
もしこれで国が滅びるとしても、彼はこの手を離さないだろう。
「……はぁ。やっぱり、そうなるかのう」
部屋の入り口から、深いため息が聞こえた。
ヴォルフガングだ。
彼はいつの間にか部屋に入ってきており、バツが悪そうに頭を掻いている。
その声に、泣いていたソフィアが弾かれたように顔を上げた。
「……その声、まさか」
彼女は涙に濡れた目で老人を凝視し、そして驚愕に目を見開いた。
「ヴォルフガング……将軍? 生きていたの!?」
「姫様におかれましても、ご無事で何よりです」
ヴォルフガングは苦笑しながら、その場に片膝をついた。
かつての臣下としての礼だ。
「じ、爺さん! お前、知り合いだったのかよ!?」
ガッツが驚く。私も呆気にとられた。
「ヴォルフガング殿……まさか、知っていて黙っていたのか?」
「……まあな」
老人は悪びれもせずに答えた。
「難民の列で見かけた時は驚いたわい。じゃが、わしに国を再興する気概などないし、姫様に声をかければ面倒なことになるのは目に見えておったからの」
【野望:15】。
彼は国が滅んだ時点で、すでに武人としての生を終えたつもりだったのだ。だからこそ、幼い主君を見かけても、あえて他人のフリを決め込んでいた。
冷たいようだが、枯れた老人としては合理的な判断だ。
「じゃが……新しい主君が『守る』と言うなら、話は別じゃ」
ヴォルフガングは立ち上がり、レオナルト様を見た。
「あのまま追い返すなら、わしも知らぬ存ぜぬを通すつもりじゃった。だが、あんたは拾った。……火中の栗を、自らの手でな」
「……ヴォルフガング殿」
「甘くて、脆くて、見ていられん。……だが、そういう主君だからこそ、わしのような老いぼれも、もう一度槍を持とうと思えたんじゃろうな」
老人の隻眼が、優しく細められた。
かつて見捨てようとした幼い姫と、今仕えている甘い主君。
その両方を、この地で守り抜く覚悟を決めた顔だ。
「チッ。……めんどくせえ話だが、大将が決めたなら仕方ねえ」
ガッツも頭をガシガシと掻きながら、前へ出た。
「おいガキ……いや、姫様よ。俺の背中に隠れてりゃ、どんな敵でも追っ払ってやるよ。……師匠もいるしな」
「……ええ。頼りにしているわ、筋肉だるま」
「あぁ!? なんだその生意気な口は!」
ソフィアが涙を拭い、精一杯の強がりを見せる。
最強の老人と、最強の暴れ馬が、レオナルト様の「甘さ」を肯定したのだ。
こうなれば、家老である私に拒否権はない。
「……はぁ。承知いたしました」
私は深々とため息をついた。
胃薬の残量はあとどれくらいだったか。
「ソフィア様。貴女を『遠縁の親戚の娘』として、この屋敷で保護します。……ただし!」
私は釘を刺した。
「勝手な行動は慎んでいただきます。貴女のその『野望』が、この領地を燃やす火種にならないよう……私がしっかりと教育させていただきますからね」
「……う、うん……ありがとう……」
ソフィアはレオナルト様の腕の中で、小さく頷いた。
その瞳の奥にある**【野望:98】**の炎は、まだ消えていない。今は弱々しい種火だが、いつか業火となって世界を焼くかもしれない。
凡庸な主君、計算高い家老、元囚人の秘書、戦闘狂の傭兵、亡国の老将軍。
そして新たに加わった、野心家の幼き王女。
エデルシュタイン領の役者は揃った。
この歪で危険な家族が、これからどんな「覇道」を歩むのか。
それはまだ、神のみぞ知る物語である。




