第2話:地下牢に眠る計算機
決意を固めた私が最初に向かったのは、人材派遣ギルドでも、酒場でもない。
領主館の地下にある、薄暗い牢獄だった。
湿ったカビの匂いと、鉄錆の匂いが混じり合う。
かつて先代様が領地を治めていた頃、ここはほとんど空だった。だが今は、数名の罪人が収容されている。
私は衛兵に頼んで、一番奥の独房の鍵を開けさせた。
「……あら。今日はやけに上等なお客さんね」
鉄格子の向こうから、気怠げな声が響いた。
狭い独房のベッドに寝転がり、天井を見上げていた女が、ゆっくりと起き上がる。
ボサボサの銀髪に、少し汚れの目立つ囚人服。だが、その瞳だけは不気味なほど理知的に輝いていた。
ミリア・フェルスター。22歳。
かつては領内の役所で経理を担当していたが、公金横領の罪で投獄された女だ。
そして、今の私が喉から手が出るほど欲しい人材でもある。
私は、彼女の頭上に浮かぶ数値を見上げた。
ミリア
【統率:25 武勇:15 知略:65 政治:72】
【義理:15 野望:40】
政治72。
この数値は、単なる事務処理能力にとどまらない。限られた予算をやり繰りし、税収を最大化し、時には法をすり抜けて利益を生み出す「実務の才能」だ。
先代様の下で働いていた真面目な税務官(政治75)と比べても遜色ない。
……ただし、致命的な欠点がある。
【義理:15】
低すぎる。
これは「隙あらば裏切る」「恩義を感じない」というレベルだ。横領で捕まったのも納得の数字である。
「ミリア。取引をしに来た」
「取引?」
彼女は鉄格子越しに私を値踏みするように見つめた。その視線だけで、私の懐事情を探られているような気分になる。
「ここから出してやる。その代わり、私の下で働け」
私は単刀直入に切り出した。
ミリアは目を丸くし、それから喉の奥でクツクツと笑った。
「へえ、面白い冗談。あの堅物だった先代様が死んで、気が触れた? それとも、人がいなさすぎて犯罪者に頼るしかないほど落ちぶれたのかしら」
「……後者だ」
私が認めると、ミリアは愉快そうに口笛を吹いた。
「正直でよろしい。でも、私を使うなんて正気? 私が何をしたか知ってるでしょ? 国の金をちょろまかして、自分の懐に入れてたのよ」
「ああ。その計算能力と、帳簿をごまかす手腕を買っている」
私は冷徹に告げた。
今のエデルシュタイン領は、正直な計算では破綻している。清濁併せ呑んででも、数字を合わせられる人間が必要なのだ。
「条件は?」
ミリアの目が、獲物を狙う商人のそれに変わった。
「身元の保証と、刑の免除。そして衣食住の提供。ただし給金は一般の文官並みだ。……今は、それしか出せない」
「安いわね」
ミリアは鼻を鳴らした。
「今の私の価値、分かってる? 牢屋に入れられてるけど、外に出ればどこの商会だって欲しがるわよ。それを一般文官並み?」
「だが、ここなら『自由』がある」
「自由?」
「お前のその手癖の悪さも、私の監視下であれば多少は目をつぶる。……もちろん、領地を傾けるような横領は許さんがな」
その言葉に、ミリアの眉がピクリと動いた。
彼女の頭上の**【野望】**の数値が、40のまま揺れている。彼女にとって、金銭的な利益よりも「自分の才能を試せる場」あるいは「退屈しのぎ」の方が重要なのかもしれない。
そして何より、この薄暗い牢獄での生活には飽き飽きしているはずだ。
「……分かったわ」
しばらくの沈黙の後、ミリアは立ち上がって鉄格子に近づいてきた。
「乗ってあげる。どうせこのままじゃカビが生えるだけだしね。ただし」
彼女は鉄格子の隙間から細い指を伸ばし、私の胸元をトンと突いた。
「つまらなくなったら、すぐに辞めるわよ。私、我慢強い方じゃないの」
知っている。**【義理:15】**だものな。
私は心の中で苦笑しながら、衛兵に鍵を開けさせた。
「契約成立だ。……ようこそ、泥船へ」
牢から出たミリアは、久しぶりのシャバの空気を大げさに吸い込んだ。
そして、私に向けて不敵な笑みを浮かべた。
「泥船結構。沈む前に金目のものを持って逃げるのは得意よ」
頼もしいのか恐ろしいのか分からない言葉と共に、最初の人材確保は完了した。
私は彼女を連れて、レオナルト様の待つ執務室へと向かった。
執務室の扉を開けると、レオナルト様はまだ書類の山と格闘していた。
私がミリアを連れて入ると、彼はパッと顔を輝かせて立ち上がった。
「アレン! その人は……?」
「新しい文官候補です。ミリア・フェルスター。……少々訳ありですが、腕は確かです」
私は言葉を濁して紹介した。
ミリアはレオナルト様を一瞥し、値踏みするように目を細めた。
【統率:35 武勇:30……】
彼女にも、彼のお人好しオーラと頼りなさが伝わったのだろう。
「うわ、弱そう」という心の声が聞こえてきそうな表情だ。
「初めまして、ミリアです。しがない元囚人ですが、精一杯働かせていただきますわ」
慇懃無礼な態度で、わざとらしくカーテシーをするミリア。
普通なら不敬だと怒る場面だ。しかし、レオナルト様は違った。
彼は机を回り込んでミリアの前に歩み寄ると、その両手をガシッと握りしめたのだ。
「!」
「ありがとう……! 本当にありがとう、ミリアさん!」
レオナルト様の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「みんな逃げ出してしまって、どうしようかと思っていたんだ。こんな今にも潰れそうな家に来てくれるなんて……君はなんて優しい人なんだ!」
「は……?」
予想外の反応に、ミリアが素っ頓狂な声を上げた。
計算高い彼女にとって、初対面の相手から――しかも領主から、いきなり涙ながらに感謝されるなど想定外だったに違いない。
「ち、違いますよ領主様。私はただ、牢屋から出たくて……」
「それでもだ! 君が来てくれたおかげで、この領地はまだ戦える。君は僕たちの希望だ!」
レオナルト様は混じりけのない純粋な瞳で、ミリアを見つめ続けた。
そこに打算や演技は一切ない。**【義理:100】**の男が放つ、直球の感謝と信頼。
それは、裏社会や数字の裏側ばかりを見てきたミリアにとって、最も縁遠い、そして防ぎようのない「毒」だった。
「……あー、もう! 分かりました、分かりましたから!」
ミリアは顔を赤くして、乱暴に手を振りほどいた。
そして、バツが悪そうにそっぽを向く。
「……あんなカビ臭い牢屋よりは、ここの方がマシってだけです。勘違いしないでください」
憎まれ口を叩く彼女の頭上で、数値がチクリと動いたのを私は見逃さなかった。
【義理:15 → 18】
たったの「3」。
誤差のような上昇だ。それでも、彼女の中で何かが少しだけ動いた証拠だった。
「チョロい領主」と思われただけかもしれない。だが、今はその「3」さえも愛おしい。
「……ふう」
私は小さく息を吐いた。
とりあえず、内政の頭脳は確保した。だが、まだ足りない。
数字合わせをする人間がいても、迫りくる「暴力」に対抗する手段がないのだ。
「レオナルト様、ミリア。私はもう一人、心当たりを当たってきます」
「え? まだ行くのかい?」
「はい。……次は、もっと荒っぽい場所になります。ですが、その前に」
私は、まだ部屋の隅でふてくされているミリアに向き直った。
「ミリア。早速だが初仕事だ。……今すぐ金を作れ」
「はあ?」
ミリアは呆れたように目を丸くした。
「あんたねえ、自分の口で言ったじゃない。金庫は空だって。ない袖は振れないわよ」
「まともな計算ならな。だが、お前なら分かるはずだ。帳簿上の未決算処理、回収されていない微々たる債権、あるいは屋敷の倉庫に眠るガラクタの現金化……。『埃』を叩けば、金が出る場所が」
私は彼女の知略65と政治72に賭けた。
正規の税務官なら見落とすような、あるいは潔癖すぎて手を付けないような「金の種」を、彼女なら見つけられるはずだ。
「どんな手を使ってもいい。1時間以内だ。腕利きの傭兵を一人、ふんだくるのに十分な現金を捻り出せ」
私の無茶振りに、ミリアは一瞬ポカンとし、それから口元をニヤリと歪めた。
「……人使いが荒いこと。いいわ、やってあげる。その代わり、手数料はきっちり頂くわよ?」
「成果次第だ」
交渉成立。ミリアは「金庫室の鍵、貸して!」と叫びながら、水を得た魚のように部屋を飛び出していった。
あの様子なら、本当に埃から金を生み出しかねない。
「アレン……大丈夫なのかい? あんな子に鍵を預けて」
「毒を食らわば皿まで、です。……さて」
私は窓の外、街の場末にある酒場の方角を睨んだ。
軍資金の目処は立った(と信じる)。
そこにいるはずだ。
腕は立つが、頭が悪く、金でしか動かない厄介な男が。
私の胃痛は、まだ始まったばかりだ。




