第19話:木の棒の重さと、大剣の軽さ
「オラァッ!!」
ガッツの咆哮と共に、身の丈ほどある大剣が唸りを上げて振り下ろされた。
それは岩をも砕く必殺の一撃。まともに食らえば、人間など肉塊に変わる。
誰もが、老人の死を確信して目を背けた――私を除いて。
ヒュンッ。
風を切る音が響く。
だが、肉が裂ける音も、骨が砕ける音もしなかった。
「……遅い」
ヴォルフガングは、半歩。
たった半歩、左足を引いただけで、ガッツの大剣を避けていた。
鼻先数センチを凶器が通過しても、その隻眼は瞬きひとつしていない。
「なっ!?」
勢い余ったガッツが体勢を崩す。
ヴォルフガングは、手にした木の棒――ただの枯れ枝だ――を、ガッツの脇腹に軽く突き入れた。
トン。
「ぐっ!?」
軽い音とは裏腹に、ガッツが苦悶の声を上げて膝をついた。
肋骨の隙間、呼吸を司る急所を正確に突かれたのだ。
「力任せに振るうだけの剣など、止まった的と同じじゃよ」
老人は呆れたように溜息をついた。
「く、そったれがァ……! マグレだ!」
ガッツは顔を真っ赤にして立ち上がり、再び大剣を構えた。
彼の頭上の数値が赤く点滅している。
ガッツ
【武勇:75】
【状態:激昂、混乱】
対する老人は、静かな湖面のように静止している。
ヴォルフガング
【武勇:88】
【状態:冷静、指導モード】
数値にして「13」の差。
だが、その差は数字以上の絶望的な「壁」となって現れていた。
「死ねェェェッ!」
ガッツが横薙ぎに剣を振るう。
ヴォルフガングは棒でそれを受け止める――わけがない。棒が折れるからだ。
彼は棒を剣の側面に滑らせ、その軌道をわずかに上に逸らした。
ガッツの剣は空を切り、がら空きになった胴体に、再び木の棒が走る。
バシンッ!
「がはっ!」
今度は鳩尾。
ガッツが泡を吹いてうずくまる。
「お主の剣は『軽い』」
ヴォルフガングが見下ろして言った。
「重い鉄塊を振り回しているつもりかもしれんが、そこに『芯』がない。怒りに任せて振り回されているだけじゃ。……そんなものでは、わしの老体ひとつ斬れんぞ」
「うる、せえ……! 俺は、最強だ……!」
ガッツは震える足で立ち上がる。
その執念だけは凄まじい。普通の人間ならとっくに心が折れている。
だが、ヴォルフガングは悲しげに首を振った。
「そうか。ならば、見せてやろう。『重い』剣というものを」
ヴォルフガングは、無造作に木の棒を構えた。
ただ構えただけ。
それなのに、私を含めた周囲の空気が、ズンと重くなった気がした。
「来るがいい、若造」
「ウオオオオオオッ!!」
ガッツが突進する。
今までで一番速く、一番重い、捨て身の突き。
それに対し、ヴォルフガングは一歩踏み込んだ。
回避ではない。迎撃だ。
大剣の切っ先が老人の喉元に迫るその瞬間、老人の木の棒が、大剣の「腹」を叩いた。
カァンッ!!
硬質な音が響き、ガッツの手から大剣が弾き飛ばされた。
宙を舞った大剣が地面に突き刺さる。
そして、ヴォルフガングの木の棒の切っ先が、ガッツの喉元でピタリと止まっていた。
「……っ」
ガッツが息を飲む。
あと数センチ踏み込んでいれば、喉を貫かれていた。
棒が鉄剣のように感じられるほどの、圧倒的な「気」の密度。
「これが『重さ』じゃよ」
ヴォルフガングは棒を下ろし、静かに言った。
「剣の重さではない。命を奪い、命を守ってきた、覚悟の重さじゃ。……お主にはまだ、それが足りん」
勝負あり。
誰の目にも明らかだった。
力自慢のガッツが、手も足も出ずに完敗したのだ。
ガッツは地面に膝をつき、呆然と自分の手を見つめていた。
プライドが粉々に砕かれた顔だ。
だが、その目からは「敵意」が消え、代わりに「畏怖」と、そして強烈な「渇望」が浮かんでいた。
(……勝てるわけがない)
ガッツの心の声が聞こえるようだ。
**【武勇:75】の世界で天狗になっていた彼が、初めて見上げた【武勇:88】**という遥か高み。
「……おい、爺さん」
ガッツが掠れた声で言った。
「あんた……何者だ」
「言ったじゃろう。ただの老いぼれじゃよ」
ヴォルフガングは好々爺の顔に戻り、ボロボロの腰を叩いた。
「ああ、腰が痛い。……家老殿、約束通り、飯と酒を用意してくれるんじゃろうな? 運動したら腹が減ったわい」
老人の言葉に、私は我に返った。
そして、へたり込むガッツと、涼しい顔のヴォルフガングを交互に見る。
今しかない。この最強の老兵と、才能の塊である暴れ馬を、同時に手懐ける好機は。
「あ、ああ……もちろんだ。最高の酒を用意しよう」
私は頷き、そしてガッツの前に歩み寄った。
「ガッツ」
「……あ?」
ガッツは力なく顔を上げた。その目には、まだ敗北のショックが色濃く残っている。
「私はお前を、ただの用心棒で終わらせるつもりはない。以前言ったな、『伝説にしてやる』と」
私は彼の目を真っ直ぐに見据え、宣言した。
「ガッツ。お前を、将来このエデルシュタイン領の『将軍』にする」
「しょ、将軍……?」
ガッツの目が大きく見開かれた。
傭兵風情が、正規軍のトップである将軍になる。それは通常ならあり得ない出世だ。だが、彼の**【野望:72】**が求めていたのは、まさにその「地位」と「名誉」だったはずだ。
「だが、今のままでは無理だ。力だけの将軍になど、誰もついていかない」
私はヴォルフガングに向き直った。
「ヴォルフガング殿。……貴殿に問う」
私はガッツを指差した。
「この未熟な大男を、一軍を率いる将軍に……最強の武人に育て上げることはできるか?」
ヴォルフガングは、興味深そうにガッツを見下ろした。
その隻眼が、筋肉の質、骨格、そして内にある闘志を見定める。
「……ふむ」
老人は顎髭を撫で、ニヤリと笑った。
「素材は悪くない。粗削りだが、光るものはある。……わしが教えれば、あるいは化けるかもしれんのう」
「……ッ!」
ガッツが息を飲んだ。
完敗した相手からの、肯定の言葉。
そして、アレンが示した「将軍」という具体的な未来図。
それらが混ざり合い、彼の中で燻っていた「何か」に火をつけた。
(俺が……将軍……。こいつに教われば、なれるのか……?)
ガッツの瞳に、再び光が戻る。
それは以前のような慢心の光ではない。遥か高みを目指す、強烈な渇望の光だ。
「……やってやらァ」
ガッツは震える足で立ち上がり、ヴォルフガングを睨みつけた。
「おい爺さん! ……いや、師匠! 俺を強くしろ! あんたより強くなって、いつか絶対に見返してやる!」
「カカッ! 威勢だけは一人前じゃな。……覚悟しておけよ? わしの稽古は死ぬほどキツいぞ」
ヴォルフガングは楽しげに笑い、ガッツの背中をバシッと叩いた。
「さあ、飯じゃ飯! 腹が減っては戦はできん!」
二人は並んで歩き出した。
その背中を見送りながら、私は深く息を吐き出した。
(……うまくいった)
最強の矛と、最強の盾。
二人の歯車が、今、ガッチリと噛み合った。
その夜。
歓迎の宴の席で、ガッツの姿が見えなかった。
心配して探すと、彼は一人、昼間の稽古場で大剣を振っていた。
「……ちくしょう。……ちくしょうッ!」
涙を流しながら、何度も何度も。
だが、その剣筋は昼間のような力任せのものではなく、ヴォルフガングの動きを反芻し、何かを掴もうとする「探求者」のものに変わっていた。
ガッツの頭上の数値を見る。
ガッツ
【武勇:75 → 76】
【野望:72 → 68】
武勇が上がった。そして、野望が下がった。
「俺が最強」という慢心が消え、「もっと強くなりたい」という純粋な向上心が芽生えたのだ。
いや、下がった数値は、彼の中で「不満」が「目標」へと昇華された証かもしれない。
(……いい師弟になれそうだな)
私は胃の痛みが少しだけ和らぐのを感じながら、そっとその場を離れた。
これで軍事面は盤石だ。
そう思った矢先だった。
背後からミリアが血相を変えて走ってきた。
「アレン! 大変よ!」
「なんだ、今度は何が起きた?」
「難民の中に……とんでもないのが混ざってたわ!」
ミリアは一枚の汚れた布切れを差し出した。
それは、ある高貴な紋章が刺繍されたハンカチだった。
「これを持っていた少女が、レオナルト様に謁見を求めてるの。……『亡国の王女』だと名乗ってね」
「王女だと!?」
私は素っ頓狂な声を上げた。
「待て、私は難民全員を面接したぞ。ヴォルフガング殿の正体も見抜いたこの目が、王族を見落とすはずがない!」
私の「目」は節穴ではないはずだ。
もしそんな大物がいたなら、私の能力が反応しないはずがない。
だが、ミリアは困惑したように首を振った。
「それが……あの子、あなたが『ただの孤児』として通過させた子よ。本当に、どこにでもいる普通の女の子にしか見えなかったけど……」
「……なんだと?」
私は絶句した。
確かにあの子は……ステータスはオール10くらいの、ただの村娘だったはずだ。
私の目が……欺かれたのか?
ステータス偽装か。それとも、私の目が届かない「何か」を持っているのか。
どちらにせよ、私の胃が今日一番の悲鳴を上げた。
将軍の次は、王女様だと?
私の領地は、いつから世界の火薬庫になったんだ。




