第18話:隻眼の老兵と眠れる獅子
関所の簡易テントの中、私と隻眼の老人は、粗末な机を挟んで対峙していた。
周囲の喧騒が嘘のように、そこだけ空気が張り詰めている――少なくとも、私にとっては。
目の前の老人、ヴォルフガングは、枯れ木のような手で茶をすすりながら、どこか遠くを見るようにぼんやりとしている。
「……それで? 名はヴォルフガング、で間違いないか?」
「はいはい。しがない農夫の名前には過ぎた響きかもしれんがのう」
老人は好々爺のような笑みを浮かべた。
だが、その頭上に浮かぶ数値は、冗談では済まされない。
ヴォルフガング
【統率:95 武勇:88 知略:80 政治:45】
【義理:70 野望:15】
(農夫? こいつが? ……笑えない冗談だ)
【統率:95】。
これは一軍を率いる将軍どころか、歴史に名を残す「軍神」クラスの数値だ。あのガッツですら統率は10しかない。
そして**【武勇:88】**。全盛期の騎士団長ヴァイス(82)をも上回る。
老いてなおこの数値ということは、全盛期は一体どれほどの化け物だったのか想像もつかない。
「……農夫にしては、随分と良い体つきをしているな」
私はカマをかけた。
ボロボロの衣服の下、その体幹は岩のように微動だにしない。
「鍬を振るうのも、剣を振るうのも、体の使い方は似たようなもんじゃよ」
「ほう。では、戦の経験はあるのか?」
「……昔、少しな。徴兵されて槍を持たされたことがある程度じゃ」
嘘だ。
**【知略:80】**の古狸め。表情一つ変えずに嘘をつく。
徴兵された一般兵が、これほどの統率力を身につけるわけがない。間違いなく、数千、数万の兵を動かしてきた指揮官の器だ。
私は深呼吸をし、直球を投げることにした。
このレベルの傑物を、「麦畑の草むしり」に使っていいはずがない。
「……単刀直入に言おう。貴殿を『軍事顧問』として迎えたい」
「ぶふっ」
ヴォルフガングが茶を吹き出しそうになった。
「な、なんじゃと? 軍事顧問? わしが?」
「ああ。我が領地の兵士たちを鍛え、指揮を執る。……農作業よりも、そちらの方が『本職』だろう?」
私は老人の隻眼を真っ直ぐに見据えた。
「私の目は誤魔化せないぞ。貴殿の立ち振る舞い、歩き方、そして纏っている空気。……ただの農夫ではないな?」
スキルや経歴は見えない。だが、数値が示す「事実」を根拠に、あたかも全てを見抜いているかのようにハッタリをかます。
それが、私の最大の武器だ。
ヴォルフガングの目が、一瞬だけ鋭く細められた。
好々爺の仮面が剥がれ、歴戦の猛者の気配が漏れ出す。
テント内の気温が数度下がったような錯覚を覚える。
「……若造。わしを買ってどうするつもりじゃ?」
声色が低い。
それは、私を値踏みする捕食者の声だった。
「わしは負け犬じゃよ。国を追われ、主を失い、ただ静かに土に還る場所を探しているだけのな。……面倒ごとは御免じゃ」
「負け犬結構。うちの領地は『訳あり』の掃き溜めだ」
私は怯まずに言い返した。
「静かに暮らしたいなら、それでもいい。だが、食い扶持は自分で稼いでもらう。……貴殿のその能力、腐らせておくには惜しい」
私は机に身を乗り出した。
「我が軍の師範になってくれ。給金は弾む。住処も用意する。……その代わり、私の背中を守ってくれ」
沈黙が流れた。
ヴォルフガングは私をじっと見つめ、やがてフッと息を吐いた。
「……変わった領主代理じゃな。こんな薄汚い爺を、軍師扱いとは」
彼の頭上の**【義理】**がピクリと動く。
まだ完全に心を許してはいないが、「興味」は持たれたようだ。
「いいじゃろう。……飯と寝床、それに安酒がつくなら、若いのをイビるくらいの真似事はしてやろう」
「感謝する。……歓迎するぞ、ヴォルフガング殿」
交渉成立。
私は安堵の息を漏らした。とんでもない劇薬を手に入れた。
だが、この劇薬が新たな「化学反応(爆発)」を引き起こすことを、私はすぐに思い知ることになる。
テントの外に出ると、そこには不機嫌そうに腕組みをするガッツがいた。
彼は出てきたヴォルフガングを睨みつける。
「おいアレン。なんだその爺さんは」
「新しく入った仲間だ。ヴォルフガング殿。……今日から、兵士たちの指導役をお願いすることになった」
「あぁ!?」
ガッツが素っ頓狂な声を上げた。
「指導役だと? なんでこんなヨボヨボの爺さんが? 俺がいるだろうが!」
「お前は指導が雑すぎるんだよ。『気合で避けろ』とか『ドカンと殴れ』じゃ、普通の兵士は育たん」
「うっせえ! 強くなりてえなら見て盗めってんだ!」
ガッツは唾を飛ばし、ヴォルフガングに詰め寄った。
身長差は歴然。ガッツが見下ろし、ヴォルフガングが見上げる形になる。
「おい爺さん。悪いことは言わねえ、畑仕事でもしてな。ここは戦場だ。腰抜かす前に引っ込んでろ」
明らかな挑発。
だが、ヴォルフガングは涼しい顔で、ガッツの巨体を見上げた。
「……ほほう。見事な体躯じゃ。筋肉の鎧も見事。……じゃが」
ヴォルフガングは、ガッツの胸板を杖でトンと突いた。
「『芯』がブレておるな。力任せの剣では、一流には届かんぞ」
「……あ?」
ガッツの額に青筋が浮かんだ。
彼にとって「強さ」は絶対のアイデンティティだ。それを、ぽっと出の老人に否定された。
空気が爆発寸前まで張り詰める。
「てめぇ……今、何つった?」
「事実を言ったまでじゃ。若いの」
ヴォルフガングは悪びれもせず、飄々と言い放つ。
「力が強いだけの獣は、狩られる運命にある。……お主、本当の『武』を知らぬな?」
ブチッ。
ガッツの中で何かが切れる音が聞こえた気がした。
「上等だコラァァッ!! 表出ろクソ爺! その減らず口、俺の大剣で塞いでやるよ!」
「やれやれ、血の気が多いのう」
ガッツが背中の大剣に手をかける。
ヴォルフガングもまた、ため息をつきながら、道端に落ちていた手頃な木の棒を拾い上げた。
「おい待て! ここでやるな!」
私の制止など聞こえていない。
最悪の出会い。
かつて最強だった武力と、それを凌駕する老兵。
二つの才能が、エデルシュタイン領の片隅で激突しようとしていた。




