第14話:悪徳商人の抜き打ち検査
ロレンツォとの契約から、三ヶ月が経過しようとしていた。
季節は巡り、エデルシュタイン領にも初夏の日差しが降り注いでいる。
そんなある日、予告もなく一台の黒塗りの馬車が領主館の前に停まった。
降りてきたのは、相変わらず隙のない漆黒のコートを纏った男――ロレンツォだ。
「やあ、家老殿。お元気そうで何よりです」
ロレンツォは片眼鏡をキラリと光らせ、優雅に微笑んだ。
「今日は近くまで商談に来ましてね。ついでに投資の進捗状況でも拝見しようかと」
「……随分と早い『ついで』だな。期限まではまだ三ヶ月あるはずだが?」
私が嫌味を言うと、彼は悪びれもせずに肩をすくめた。
「金貨300枚は大金ですから。もし進捗が芳しくないようなら、早めに損切りをして、担保(ミリアとガッツ、そして領地)を回収する準備を始めねばなりませんので」
本気だ。
この男は、今日この場で成果が見られなければ、容赦なく債権回収(乗っ取り)に動くつもりだ。
だが、今の私に焦りはない。
「いいだろう。ちょうど見せたいものがあったところだ。……こちらへ」
私はロレンツォを、館の離れに新設した「開発室」へと案内した。
「……ほほう。これはまた、珍妙な機械ですね」
開発室に入ったロレンツォは、部屋の中央に鎮座する黒鉄の塊を見て目を細めた。
ギルバートが心血を注いで完成させた、業務用の大型焙煎機だ。
巨大なドラムが横たわり、下部には火炉が備え付けられている。
「ただの鉄塊ではありません。……ミリア、頼む」
「はいはい。見てなさいよ、悪徳商人さん」
ミリアが手慣れた手つきで火炉の調整をし、ドラムの中に薄緑色の生豆を投入してハンドルを回し始めた。
ドラムが回転し、豆が均一に熱されていく。
やがてパチパチという爆ぜる音と共に、芳ばしい香りが室内に爆発的に広がった。
「ッ……!?」
ロレンツォの表情が動いた。
彼は鼻をひくつかせ、その香りを確かめるように吸い込む。
「焦げ臭い……いや、何とも言えない香ばしさだ。これは?」
「『エデル・コーヒー』です。以前、貴方がガラクタと呼んだ山の中にあった、未来の特産品ですよ」
焙煎が終わった豆が、ザラザラと受け皿に出される。艶やかな黒褐色に輝くその豆を、私は小さな箱に詰めた。
「この『豆の状態』で出荷します」
「豆で? しかし、これでは硬くて食べられないでしょう」
「ええ。砕いて粉にし、湯で抽出して飲むのです。……ですが、粉にしてから運ぶと、すぐに香りが飛んで泥のようになってしまう。だから、飲む直前に挽くのが鉄則なのです」
「なるほど。理屈は分かりますが……」
ロレンツォは片眼鏡の位置を直しながら、痛いところを突いてきた。
「客に『自分で砕け』と言うのですか? 王都の貴族たちが、わざわざすり鉢で豆を潰す手間をかけるとは思えませんが」
「おっしゃる通り。……だからこそ、我々は『これ』もセットで売るのです」
私はテーブルの上に置いてあった、真鍮製の小さな器具を指差した。
ギルバートが最初に作った試作機、手回し式のコーヒーミルだ。
「これは……?」
「豆を挽くためだけの専用器具です。……やってみてください」
促されたロレンツォは、半信半疑でハンドルを握った。
軽い力で回すと、ゴリゴリという小気味よい感触が手に伝わり、下の引き出しに粉が溜まっていく。その作業自体が、どこか楽しく、心地よい。
「……面白い。力を入れずとも、均一に挽ける」
「この『ゴリゴリする時間』すらも、優雅な儀式として売り出すのです。香り高い豆と、それを挽く美しい道具。……これがセットで流行れば、貴族たちはこぞってこれを欲しがると思いませんか?」
「……ククッ」
ロレンツォが低く笑った。
「恐れ入りました。商品だけでなく、それを楽しむ『文化』ごと作ろうというわけですか」
その後、挽きたての粉で淹れたコーヒーを味わったロレンツォは、完全に毒気を抜かれた顔でカップを置いた。
「味は文句なし。戦略も見事です。……ですが、家老殿」
彼は冷徹な視線を私に向けた。
「商売にするには『量』が必要です。あの大型焙煎機を動かし続けるだけの豆が、確保できているのですか?」
「それについても、抜かりはない」
私はニヤリと笑い、窓の外を指差した。
「次は北の畑をご案内しましょう」
北の開墾地。
かつて岩と巨木に覆われていた荒れ地は、ガッツの破壊的開墾と、ゴル爺さん率いる農民たちの努力によって、見渡す限りの段々畑に生まれ変わっていた。
そこには、青々とした葉を茂らせるカッファの若木が整然と植えられている。
「……これは」
ロレンツォが絶句した。
「森から元気な若木を移植し、土壌を改良しました。ミリアの計算では、今年の秋には最初の収穫が見込めます。来年には、この三倍の収穫量になるでしょう」
畑の向こうでは、ガッツが農民たちに混じって巨大な岩を運んでいるのが見える。
「師匠! すげえ!」と子供たちに囲まれ、満更でもなさそうな顔をしている。
「あの暴れ馬まで手懐けて、土木作業員にしているとは……」
ロレンツォは呆れたように首を振り、そして深々とため息をついた。
「……参りました。私の負けです、アレン殿」
彼は私に向き直り、恭しく一礼した。
「金貨300枚の投資、継続させていただきます。いや、追加融資が必要ならおっしゃってください。……この事業、間違いなく『化け』ます」
ロレンツォの頭上のステータスを見る。
ロレンツォ
【野望:82 → 85】
野望がさらに上がっている。
だが、それは「乗っ取り」ではなく、「この領地と組めば、自分もさらに上に行ける」という、ビジネスパートナーとしての野心だ。
「感謝する。……だが、まだ終わりではないだろう?」
私が釘を刺すと、ロレンツォは片眼鏡を押し上げ、悪魔的な笑みを浮かべた。
「ええ、もちろんです。商品は揃いました。次は『売り込み』です」
彼は懐から、豪奢な封筒を取り出した。
「来月、王都で『建国記念パーティー』が開かれます。国内の有力貴族が一堂に会する最大の社交場です」
「……まさか」
「そのまさかです。当主であるレオナルト様に、ご出席いただきたい」
ロレンツォは封筒を私に押し付けた。
「そこで、この『エデル・コーヒー』をお披露目するのです。……ただし、分かっていますね? 田舎貴族が王都の夜会に出るということは、猛獣の檻に生肉を放り込むようなものです」
彼はレオナルト様の方を一瞥した。
畑の隅で、泥だらけになって農民と笑い合っている我が主君。
人の良さは天下一品だが、貴族としての威厳や狡猾さは皆無だ。
「彼が舐められれば、コーヒーの価値も下がります。……家老殿、あのお優しい主君を、一ヶ月で『王都の貴族』として恥ずかしくないレベルに仕上げてください」
ロレンツォはニッコリと笑い、馬車へと戻っていった。
「では、王都でお待ちしております。……失敗すれば、商品価値ごと全てがパーですよ?」
残された私は、手の中の招待状を見つめ、胃のあたりを押さえた。
内政、軍事の次は、外交(社交界)。
しかも、主役はあの「純朴すぎる」レオナルト様だ。
「……ミリア、胃薬をくれ。強いやつを」
私の受難は、新たなステージへと突入しようとしていた。




