第13話:頑固職人と未知の図面
「……手が痛いわ。もう限界よ」
領主館の厨房で、ミリアがすり鉢を放り出した。
中には、黒く焙煎されたカッファの豆が半分ほど砕かれた状態で入っている。
「アレン、あんたねえ。これを商品にするって言うけど、こんな硬い豆を手作業で粉にするなんて無理よ。一杯分ならともかく、何百杯分も売るつもりなんでしょ?」
「……おっしゃる通りです、秘書様」
私は素直に頭を下げた。
カッファの商品化における最大の壁。それは「製粉」だ。
石臼で挽くには油分が邪魔だし、すり鉢では効率が悪すぎる。均一に挽けなければ味も安定しない。
前世の記憶にある「コーヒーミル」があれば解決するのだが、この世界の一般的な道具屋にはそんなものは売っていない。
「だからこそ、プロの力が必要なんだ」
私は懐から、夜なべして描いた「設計図」を取り出した。
前世の記憶を頼りに描いた、手回し式のミルの構造図だ。
「これを作れる人間を探しに行くぞ。隣町のリベルへ」
エデルシュタイン領の隣にある商業都市、リベル。
活気ある大通りには多くの店が立ち並んでいるが、私たちが目指したのはそこではない。
薄暗い路地裏。腐った木材と鉄錆の匂いが漂う一角に、その工房はあった。
『ギルバート細工店』
看板は傾き、文字は半分消えかかっている。
店の前には「素人お断り」「注文は聞かん」「帰れ」と書かれた木札が無造作に立てかけられていた。
「……随分とファンキーな店ね。潰れてるんじゃないの?」
ミリアが顔をしかめる。
護衛のガッツは「ケッ、湿気てやがる。酒場はどこだ?」と早くも興味を失っている。
「まあ待て。腕は確かだと聞いている」
私は意を決して、軋む木製のドアを押し開けた。
カラン、コロン……。
寂れたベルの音が響く。店内は雑然としており、大小様々な歯車や金属片が散らばっていた。
その奥の作業台で、一人の男が背中を丸めて何かを削っている。
「……休みだ。帰れ」
振り返りもせずに、しゃがれた声が飛んできた。
ギルバート。五十代半ばくらいの、白髪混じりのボサボサ頭をした男だ。
私は彼の頭上の数値を確認した。
ギルバート
【統率:10 武勇:35 知略:78 政治:05】
【義理:50 野望:15】
極端だ。
【知略:78】。
これは、技術者や研究者としてはトップクラスの数値だ。ミリアの65を大きく上回る「専門分野の鬼」であることを示している。
しかし、**【政治:05】**が全てを物語っている。対人スキル皆無。商売っ気ゼロ。
自分の作りたいものしか作らず、客と喧嘩して店を潰しかけているという噂は本当だったらしい。
「ギルバート殿とお見受けする。私は隣のエデルシュタイン領で家老をしているアレンという者だ。今日は仕事の依頼で……」
「貴族か」
ギルバートは鼻を鳴らし、ようやくこちらを向いた。その目は死んだ魚のように濁っている。
「貴族の道楽に付き合う暇はないんでな。どうせ『宝石を散りばめたオルゴールを作れ』だの『黄金の置時計を作れ』だの、くだらん注文だろう。他を当たれ」
「宝石も黄金も使いません。作って欲しいのは、実用的な道具です」
「ああん? 金にならん仕事なら尚更お断りだ」
取り付く島もない。
ミリアが「ちょっと、失礼じゃない!?」と噛みつきそうになるのを手で制し、私はガッツから荷物を受け取った。
「金なら払います。……ですが、貴方が欲しているのは金よりも『刺激』ではありませんか?」
私は、彼の手元にある作りかけの細工――複雑な歯車を組み合わせた玩具のようなもの――を一瞥して言った。
「見たところ、貴方は既存の技術に飽きている。簡単な仕事ばかりで退屈しているのでは?」
「……何が言いたい」
「これを見ていただきたい」
私はテーブルの上に、書き上げたばかりの「コーヒーミル」の設計図を広げた。
二つの歯車が噛み合い、豆を上から入れてハンドルを回すことで、臼のようにすり潰す機構。
この世界にはまだない、「ギア(歯車)による力の伝達」を応用した調理器具だ。
ギルバートの濁った目が、図面に吸い寄せられた。
「……なんだこれは。この歯車の噛み合わせ……臼の溝の角度……」
彼はブツブツと呟きながら、図面に顔を近づけた。
職人の目に光が宿る。**【知略:78】**の脳が、図面上の構造を立体的にシミュレーションし始めているのだ。
「ただ物を潰すだけならハンマーでいい。だが、これは『均一な粒度』で『連続して』粉砕するための機構か? ……無駄に複雑だが、理には適っている」
「理解が早くて助かります。これを作れますか?」
私が挑発気味に尋ねると、ギルバートは顔を上げ、ニヤリと笑った。
「……俺を誰だと思っている。この程度のガラクタ、三日あれば作ってやるよ」
「では依頼を受けていただけますか?」
「ああ。ただし!」
ギルバートは図面を指で弾いた。
「金はいらん。その代わり、この図面の『考案者』に会わせろ。どこのドワーフの技師だ? この歯車比率は、ただの素人が思いつくもんじゃない」
……困った。
考案者は私(正確には前世の記憶)だ。だが、素直にそう言っても信じないだろうし、変に怪しまれるのも面倒だ。
「それは……我が領地に伝わる古い文献にあったものです。作者は不明ですが」
「文献だと? ふん、まあいい。完成したら持って行ってやる。さっさと消えな」
ギルバートはすでに私たちのことなど眼中にない様子で、鉄板を取り出してハンマーを振るい始めた。
職人モードに入った彼は、もう誰の声も届かないだろう。
「……交渉成立、ってことでいいのよね?」
店を出てから、ミリアが狐につままれたような顔で言った。
「ああ。金もかからず、最高の職人を確保できた」
「変なジジイだったな。あんな細っこい腕で鉄が打てるのかよ」
ガッツも不思議そうに首を傾げている。
だが私は知っている。あの**【知略:78】**が生み出す道具は、間違いなくこちらの期待を超えてくるはずだ。
三日後。
予告通り、ギルバートがエデルシュタイン領へやってきた。
荷馬車から下ろされたのは、無骨だが美しい光沢を放つ、真鍮製の機械。
「……できたぞ。注文通りの『豆砕き機』だ」
目のクマがすごいことになっているが、その表情は晴れやかだ。
私は早速、焙煎したカッファ豆を投入し、ハンドルを回してみた。
ゴリゴリゴリ……。
小気味よい音と共に、受け皿にサラサラとした黒い粉が積もっていく。
均一で、美しい挽き具合だ。手作業とは雲泥の差である。
「素晴らしい……! 完璧です、ギルバート殿!」
「ふん。中の刃の角度を調整するのに苦労したわ。……で、それをどうするんだ? まさか食うわけじゃあるまい」
ギルバートが怪訝な顔をする。
私はニヤリと笑い、お湯を沸かすようミリアに指示した。
「ええ、食べません。『飲む』のです」
数分後。
挽きたての豆で淹れたコーヒーの香りが、執務室に満ちた。
私はギルバートにカップを差し出した。
「報酬代わりです。貴方が作った機械が、どんな魔法を生み出したか……味わってみてください」
ギルバートは疑わしげに黒い液体を睨んでいたが、意を決して口をつけた。
「……ッ!」
目が見開かれる。
苦味の奥にあるコク、そして鼻に抜ける香ばしさ。
徹夜続きの疲れた脳に、カフェインが染み渡っていく。
「……なんだこれは。泥水かと思ったが……目が覚めるようだ」
「『エデル・コーヒー』です。貴方のミルのおかげで、最高の味が引き出せました」
私が言うと、ギルバートはカップを置き、ミルを愛おしそうに撫でた。
「なるほどな……。俺が作ったのは、ただの粉砕機じゃなかったってわけか」
彼の頭上の数値が変化する。
ギルバート
【野望:15 → 30】
低いままだった野望が上がった。
「もっと面白いものが作れるかもしれない」「自分の技術が新しい文化を作るかもしれない」という、職人としての欲求に火がついたのだ。
「……おい、若造」
ギルバートが私を睨んだ。
「この豆、まだあるのか?」
「ええ、売るほどに」
「なら、もっと効率よく大量に挽ける『大型機』も必要だろう。……それと、この液体を濾すための器具も、もっと改良の余地がある」
彼は懐から手帳を取り出し、サラサラとスケッチを始めた。
「俺を雇え。金はいらん。素材と場所、そしてあの『豆』を飲み放題にしてくれればそれでいい」
釣れた。
最高の技術者が、コーヒー一杯で陥落した。
「歓迎しますよ、ギルバート殿。……これからは寝る間も惜しんで働いていただきますが」
「望むところだ。退屈な仕事よりよほどマシだわ」
こうして、私たちの領地に「開発室」が誕生した。
内政のミリア、武力のガッツ、そして技術のギルバート。
三人の天才(問題児)が揃い、エデルシュタイン領の歯車が、音を立てて回り始めた。




