第1話:嵐の去ったあとに残るもの
人の価値は、どこで決まるのだろうか。
高貴な生まれか、磨き上げた剣の腕か、あるいは万巻の書を読み解く知識か。
以前の私なら、答えに窮していただろう。だが、今の私には残酷なほどはっきりと「正解」が見えている。
人の価値は、頭の上に浮かぶ6つの数字。それが全てだ。
私は喪服の裾を握りしめながら、目の前で頭を下げる男を見つめていた。
「……申し訳ございません、アレン殿。自分はこれ以上、エデルシュタイン家にはお仕えできません」
そう告げたのは、騎士団長のヴァイスだった。
父の代から仕えてきた、我が領地における武の要。その頭上には、私にしか見えない文字列が浮かんでいる。
【統率:78 武勇:82 知略:45 政治:30】
辺境の小領主が抱えるには過ぎた、立派な武人だ。昨日までは、彼の**【義理】**は「80」を超えていた。先代様への忠誠心の表れだ。
だが、今の数字はどうだ。
【義理:12 野望:65】
見るも無惨な急落ぶりだった。
先代領主ヴィルヘルム様の葬儀が終わって、まだ半日しか経っていない。埋葬された土も乾いていないというのに、彼の心はすでにここにはなかった。
「ヴァイス殿。先代様のご恩を忘れたかとは言いません。ですが、レオナルト様はまだ家督を継いだばかり。今、貴方のような猛将に抜けられては……」
「アレン殿」
ヴァイスは冷ややかな目で私を遮った。
「レオナルト様は……いい子だ。優しい方だというのは知っている。だがな、優しさで魔物は殺せんのだ。ましてや、隣の領主はあの好戦的なバルトハルト伯爵だぞ」
彼はチラリと、奥の部屋にいるはずの新しい主君の方を見た。その目には侮蔑こそないが、残酷なまでの「見切り」があった。
「泥舟には乗れんよ。……達者でな」
ヴァイスはそれきり、二度と振り返らずに執務室を出て行った。
彼だけではない。
内政を取り仕切っていた政治75の税務官も、外交を一手に担っていた知略70の交渉官もだ。
先代様がそのカリスマ性で繋ぎ止めていた「70台」の優秀な人材たちは、雪崩を打つように辞表を叩きつけて去っていった。
残されたのは、静まり返った執務室と、山積みの書類。
そして、私だ。
私はふらつく足で、部屋の隅にある鏡の前に立った。
そこに映るのは、疲れ切った顔をした25歳の青年。そして、その頭上に浮かぶ情けない数字。
アレン
【統率:45 武勇:42 知略:50 政治:55】
【義理:100 野望:05】
「……はは。ひどいもんだ」
思わず乾いた笑いが漏れた。
これが、現在のエデルシュタイン領に残った家臣の中で、最も高いステータスなのだ。
騎士団長も、内政官もいない。私が一番「マシ」という地獄。
凡人である私が、この領地の最高戦力になってしまった瞬間だった。
「アレン……」
背後から、怯えたような声がした。
振り返ると、少し大きめの喪服に着られた、華奢な少年が立っていた。
私の主君、レオナルト・フォン・エデルシュタイン。18歳。
泣き腫らした目は赤く、顔色は青白い。父である先代様の面影はあるが、覇気は欠片も感じられなかった。
彼の頭上の数値が、私の絶望を加速させる。
レオナルト
【統率:35 武勇:30 知略:28 政治:32】
低い。あまりにも低い。
戦場に出れば兵を混乱させ、一騎打ちでは即死し、外交では騙され、計算もできない。
これがあと乱世でなければ、ただの「人の良いお坊ちゃん」で済んだだろう。だが、ここは魔物が跋扈し、貴族同士が隙あらば領地を奪い合う世界だ。
ヴァイスたちが逃げ出すのも無理はない。彼らにとって、レオナルト様に仕えることは緩やかな自殺と同じなのだから。
「……みんな、行ってしまったね」
レオナルト様は、力なく微笑んだ。
「仕方ないよ。僕には父上のような強さはない。ヴァイスも、他のみんなも、家族を養わなきゃいけないんだ。こんな頼りない領主のために、死ねとは言えない」
その言葉に、嘘はなかった。
彼の頭上に浮かぶ**【野望】**は「20」。
自分を大きく見せようとか、誰かを見返してやろうという気概すらない。ただただ、己の無力さを噛み締めている数字だ。
「アレン。……君も、行っていいよ」
レオナルト様は震える声で言った。
「君は、父上から『目利き』の才能を買われていたね。君の目があれば、王都の大きな商会や、他の貴族の家でもきっと重宝される。僕に付き合って、才能を腐らせることはない」
解雇通告ではなかった。
それは、私の未来を案じるがゆえの、心からの提案だった。
自分は今、家臣はおろか領地すら失うかもしれない瀬戸際にいる。それなのに、この若君は私の再就職先の心配をしているのだ。
ふと、彼の頭上の最後の数値に目が止まる。
【義理:100】
義理。それは忠義の厚さであり、約束を守る誠実さであり、一度信じた相手を裏切らない心の強さだ。
先代様も高かったが、それでも「95」だった。
「100」という数字は、異常だ。これはもう、損得勘定が壊れていると言っていい。
彼が私に向けている信頼、領民に向けている愛情は、計算できない「バカ正直」の域に達している。
――脳裏に、亡き先代様の言葉が蘇る。
『アレンよ。レオナルトは弱い。優しすぎる。あいつはきっと、王にはなれん』
『だがな。あいつの優しさは、この冷たい世界で一番の宝だとも思うのだ』
『頼む。あいつを……俺の息子を、支えてやってくれないか』
病床での、最期の言葉。
私は拳を握りしめた。爪が食い込み、痛みで思考がクリアになる。
私は凡人だ。剣も振れず、魔法も使えず、大軍を指揮する才覚もない。
だが、私にはこの「目」がある。
そして何より、私にはこれがある。
自分の頭上の数値を、心の中で睨みつける。
【義理:100】。
これだけは、私も若殿と同じなのだ。
「……お断りします」
私は膝をつき、レオナルト様を見上げた。
「え?」
「私は先代様に拾われ、貴方様と共に育ちました。私の能力は大したことありません。先ほど出ていったヴァイス殿に比べれば、ゴミのようなものです」
「そ、そんなことない! アレンはすごいよ! いろんなことが分かるし……」
「いいえ、凡人です。ですが」
私は顔を上げ、彼の潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめた。
「貴方様をお守りすることにかけては、誰にも負けるつもりはありません。……出ていった者たちを後悔させてやりましょう、レオナルト様」
「アレン……」
「人がいないなら、探せばいいのです。金がないなら、稼げばいいのです。まともな方法が通じないなら、搦め手を使えばいい。私が貴方様の『目』になり、手足となります」
ハッタリだ。
勝算なんて欠片もない。
隣国が攻めてくればひとたまりもないし、来月の資金繰りのあてもない。
それでも、主君の涙を見過ごして逃げるくらいなら、この泥船で足掻いて死ぬ方がマシだ。
「……あ、ありがとう……アレン……!」
レオナルト様は私の肩に縋り付き、子供のように泣きじゃくった。
私はその背中をさすりながら、冷徹に現状を分析し始めていた。
現在、我が軍の最高戦力、統率45(私)。
内政官、不在。
金庫の残高、ほぼゼロ。
(さて……まずは、この絶望的な状況を打破できる『劇薬』を探さなければ)
凡人と、優しすぎる主君。
私たちの、胃の痛くなるような覇道がここから始まる。




