4.森の中で
(あの悲鳴、ルリット殿は無事か──!?)
焦りで更に機能が落ち、探索がうまくいかない。大雑把な方角しか分からない。
「ええい、ままよ!」
とにかく早くルリットを見つけ出すしかない。悲鳴が聞こえた方角に、シノブは駆け出した。
ふかふかとした腐葉土に足を取られる。シノブは思い切り地面を蹴って、木の枝に飛び乗った。
木々の隙間を縫うように、枝から枝へと飛び移る。赤いマフラーがヒラヒラと靡く。
時々低い唸り声が森に重たく響いている事に、シノブは気づいていない。
ふと、地面にどんぐりの塊が落ちているのが目に入った。
「あれは、ルリット殿が拾っていたものか……!?」
地面に降り立つ。どんぐりのいくつかが踏みつぶされている。あたりを見回すが、ルリットの姿はない。
が、どんぐりの側には何かが引き摺られたような跡が残っていた。
パキ、と音がする。木の枝が折れたのだ。跡の向こう側からである。しばしの静粛、そして。
「ギュアーーーッ!」
何かが藪から飛び出してきた。鋭い爪がシノブ頬を掠った。
(これが魔物……!?)
現れたのは、シノブを覆うくらいの大きさの狼である。普通の狼ではない。黒い毛並み、鋭い牙。その目は怪しく、爛々と光っている。
魔物は口に何かを咥えている。そして、それをぶんぶんと左右に振り回す。
桃色の髪が激しく揺れた。間違いない。
「ルリット殿!?」
「苦し、い……シノブお兄ちゃん……!」
ルリットの青い瞳に涙が溢れている。ルリットは必死に手を伸ばす。届かない。
宙ぶらりんになっており、苦しそうだ。
魔物が更にルリットを振り回そうとする。シノブは咄嗟に動いた。
「させぬぞ!」
魔物の頭に思い切り蹴りを入れる。
ゴン、と重い金属音。その衝撃に、獣はぐらついた。
シノブはナイフを構える。本物のナイフなど扱ったことはない。シノブがしてきたのは演技だけ。人を楽しませる軽業だけ。
しかし、今戦わなければ、ルリットは──。
シノブは高く飛び上がった。くるりと数回転。
(これは舞台ではない……! 本気でやらねば……!)
魔物はシノブの動きに撹乱され、隙を見せる。
「お覚悟!」
シノブのは魔物の背に飛び乗った。そして、勢い良くナイフを突き立てる。
「浅いか……!」
刃はほんの少し皮膚を裂いただけ。
(やらなければ──今!)
覚悟を決め、全ての力を集中させてもう一度振り下ろす。今度は深くナイフが突き刺さった。
黒い血が噴き出し、シノブの頬を染める。
嗅ぎなれない鉄の匂い。何かを傷付けるなんて初めての経験だった。シノブの中で何かが揺らいだ気がした。
「グギャアアア!」
咆哮。魔物が暴れ、ルリットを投げ出す。ルリットの体がフワリと宙を舞った。
(まずい! ルリット殿が地面にぶつかる!)
「シノブお兄ちゃん!」
「ルリット殿!」
ルリットが伸ばした手をシノブは掴む。そして、自身がクッションになるように、地面に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
「ごめん……ごめんなさい……! ルリットのせいだ……」
ルリットの謝罪に、シノブは首を横に振った。
「安心めされい。誰のせいでもござらぬ」
魔物はグルグルと低く唸っている。
シノブは立ち上がろうとした。が、できなかった。
叩きつけられた衝撃で右足首のパーツが180度回ってしまった。うまく動けない。
「か、関節パーツが!」
「ギュアーーー!」
魔物は吼え、二人に覆い被さらんとする。シノブは震えるルリットを強く抱き締めた。
ルリットは強く目をつむった。その目の端から、ひと粒の涙がこぼれ落ちた。
「助けて……お母さん……っ!」
小さな祈りの声。
その時、ルリットの右手の甲が強く発光した。
温かな、けれども眩し過ぎる程の光。シノブは思わず目を逸らした。
光を浴びた魔物は動きをピタリと止めた。まるで石になったかのようだ。
「これは……いったい……?」
数秒の後、獣は再び動き出した。が、もう襲ってくる気配はない。
「クウゥンン……」
怯えたような声を出し、走って森の奥へ消えてしまった。
光は収まり、ルリットの手の甲には紋章のような痣が残っていた。
「今のはルリット殿が……?」
「分かんない……」
ルリットはしきりに自身の手の甲を見ている。シノブは危険が去ったことを確認して、素早く足首の関節パーツをはめ直した。
「ルリット殿、怪我はないでござるか?」
「うん、大丈夫!」
「それは僥倖」
ルリットは小さな手で涙を拭いた。
「ありがとうね、シノブお兄ちゃん」
安心した様子でシノブに寄り添ってきたルリットに、シノブは微笑みかける。
「無事で何よりでござる。しかし……いや、考えても仕方がないか」
シノブは先程の現象について解析するが、ヒットするデータはない。これ以上の詮索は無意味と結論付けた。
今はルミエールへ行くことが先決だ。
「ルリット殿、立てるでござるか?」
「うん!」
二人は手をつなぎ、先へと進む。その背中を見つめる人影に気付くことなく。
「見つけた……紋章の子……!」
人影は低く呟き、森の闇の中へ消えていった。




