表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/32

30.慟哭

 数年前。それはとある春の午後だった。

 ガレオン邸に突如やってきた女。桃色の長いストレートヘア。青い瞳。


「レイアと申します。どうぞよろしく」


 部屋に入ってきたレイアは、どこか虚空をみるような目をしていた。

 ガレオンはセリオンを呼びつける。


「彼女は研究に協力してくれる、貴重な協力者だ。身篭っていてね。世話を頼む。できるね、セリオン?」


 セリオンは頷きかけて一瞬止まった。


「俺は妊婦の世話の仕方なんて──」

 分からない。そう言いかけた時、レイアが遮った。

「心配はありません。自分の事は自分でできますわ」

 レイアの真顔には、なんの感情もなかった。セリオンは不思議に思った。レイアの纏う雰囲気は独特で、まるで人形のようにも思われた。


 宣言通り、レイアは自分の事は自分でした。むしろセリオン達の方が世話になっている有様である。

 レイアは魔法道具でゴチャゴチャの部屋を片付けたし、様々な料理を作ってくれた。



「君は本当に器用だよ。俺ときたら……はあ……」

 オレンジの皮を包丁で剥きながら、セリオンは呟く。

「ありがとう。あなたは随分……いえ、少し下手ね」

 レイアはセリオンの手元をチラッと見た。危なっかしい手つきと、ボロボロのオレンジ。


「前にウィンドリパイを焼いた時は、皮だらけのオレンジとベチョベチョのパイ生地ができたよ」

「焼いたの? あなたがひとりで?」

 正気か、というレイアの表情にセリオンは苦く笑う。

「正確には、焼けなかった、かな。アレはパイではなかった」

「……ふふふ」

 レイアが口元を抑えて笑った。初めて聞いたレイアの笑い声は、鈴のように響いた。

 レイアはセリオンの手からオレンジを取って、スルスルと剥き始める。

「今日はちゃんとしたパイが焼けるわ。私がいるもの」

 セリオンは、レイアの手元を静かに見つめていた。素晴らしい手際だった。

 その日は見事なウィンドリパイが焼けた。


 季節は移り変わっていく。

 夏の日、白い街と青い空を見つめながらレイアは風に吹かれていた。お腹がだいぶ出てきている。


「子供を時の魔法の依代にするらしいね」

 それでいいのか、という意味合いを含めて、セリオンは尋ねた。レイアは何でもないように肯定した。


「ええ、それで皆が理想郷にいけます。この子は尊い使命を背負っているのです」


 腹を撫でたレイアの白い手。セリオンは水平線を見つめる。

「名前はどうするんだい?」

 レイアは何も言わなかった。セリオンが続ける。

「ほら、あるだろ。色々と……そうだな、例えば……リリー、ララ、ルリット、メアリー……」


 レイアは目を見開いてセリオンを見つめる。

「あなたが一生懸命考えるのね」

 それを言われて、セリオンはきょとんとした表情になった。

「それもそうだな」

 レイアは微笑んだ。腹に置かれたその手が微かに震えた事に、セリオンは気づかなかった。


 秋の夕暮れ。白い壁が夕日に赤く染まる。重そうなお腹を抱えてレイアは歩く。その隣には、荷物持ちをするセリオン。


 大きな石橋。その真ん中でレイアは立ち止まった。青い目が夕日をじっと見つめている。

「そんなに見つめると目に悪い」

 セリオンが言う。レイアは夕日から目をそらし、海鳥を見上げた。


「最近、少し怖いの」

 怖い、と言う割にはどこか平坦な声だった。

「怖い? 何が?」

 セリオンの問に、レイアはおずおず答える。

「自分と……」

 レイアは腹を擦る。

「この子……あとは、分からない。何が怖いか分からない」

 セリオンは何を言えばいいか分からず、レイアが見つめるのと同じ海鳥を目で追った。

 夕日が沈むまで、二人は橋にいた。



 そして、その日はやって来た。少し寒い日だった。

 ガレオン邸に赤子の鳴き声が響く。


 セリオンはレイアのいる部屋に入った。

 静かな陽の光が窓から部屋に落ちている。


 レイアは赤子を抱いていた。生まれたばかりのその子の声だけが、部屋を満たしていた。


 ポタ、ポタ……と雨のような粒が赤子のおくるみを濡らす。


「どうしよう……私……どうすれば……」


 それはレイアの涙だった。セリオンは何か声をかけたかったが、どんな言葉も喉の途中で止まってしまう。


「私は……この子を……」


 レイアが震えている。歯を食いしばって涙をこらえている。


「ごめんなさい……!」


 それはセリオンへの言葉ではなかった。赤子への言葉だった。


 ──慟哭。涙にくれるひとりの母を、セリオンは見つめることしかできなかった。


 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
産んだ瞬間に思ったんか!レイア!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ