2.少女ルリット
シノブが目を覚ますと、そこは穏やかな春の庭だった。花々は自由に咲き誇り、木々が若枝を伸ばしている。そよそよとぬくい風が吹いていた。
クラクションの音も、溶けたタイヤの嫌な匂いも、嘘のように消え去っていた。
(まるで天国のような場所でござるな……。否、ロボットに天国も地獄もないか)
シノブは井戸にもたれて眠っていたのだった。
あたりをキョロキョロと見回す。いくつかの家が見えた。石造りの、西洋風の建物。空を見上げるが、ビルは一つもない。
明らかに東京ではない。どこか別の場所だった。
ふと、歌声が聞こえた。
「はるのお庭に水まけば♪ きれいなお花が風に揺れ♪」
シノブは耳を澄ます。聞いたことのない歌だった。子供の声である。
ガサガサと藪が揺れ、現れたのは小さな女の子だった。5、6歳くらいに見える。身の丈に合わない大きなバケツを抱えていた。
桃色のボサボサ髪。青い瞳が煌めいている。服はボロボロだ。
「きゃっ!」
女の子はシノブの姿を見て驚き、尻餅をついた。
(危ない!)
シノブはすぐに思わず立ち上がって、女の子の側に駆け寄る。
「大丈夫でござるか!? 怪我は!?」
「大丈夫だよ」
女の子はにこりと微笑んだ。
「お兄ちゃん、だあれ?」
「拙者はシノブでござる。弱きを助け強きを挫く、忍者ヒーローシノブ!」
シノブは力強く笑った。それは何千回も口にしてきた口上だ。シノブにつられて、女の子も微笑んだ。
「ヒーローなの? すごいすごい! 私はね、ルリットっていうの。よろしくね、シノブお兄ちゃん!」
ルリットの笑顔に、シノブの電子頭脳は喜びでいっぱいになった。
「もっとお話したいけど……ルリット、お水を汲まなくちゃいけないから……」
「水を?」
シノブは大きなバケツに目をやった。これをルリットひとりで運ぶのは大変そうだ。
「ルリット殿。よければ拙者が水を運んでも良いでござるか?」
「え、どうかなあ。これはルリットのおしごとだし……。ちゃんとしないと、ルリット追い出されちゃうから……」
「追い出される?」
シノブは首を傾げた。心配だ。
(放ってはおけぬな……)
ルリットは何かを閃いたらしい。空のバケツを掲げてこう言った、
「じゃあ、はんぶんこで持とうよ!」
シノブは頷いた。二人は水を汲み、小道を歩き始めた。ルリットは楽しそうに歌う。
「この歌はね、ママが教えてくれたんだよ!」
ルリットは満面の笑顔を浮かべる。しかし、どこか寂しげな表情だとシノブは思った。
◆◆◆
さて、数分も歩くと、看板が掲げられた建物に辿り着いた。
「マリーの宿屋?」
「マリーはおかみさんのお名前だよ」
こっちだよ、とルリットが入口の扉を指差す。扉を開けたその時だった。
「遅いよルリット! ほっつき歩いてたんだい!?」
鋭い声が飛んできて、ルリットが飛び上がった。声の主は小肥りの女であった。目を吊り上げてルリットを威嚇する。
「ごめんなさい、おかみさん……」
シノブはルリットの前に立ち塞がった。
マリーはシノブを見て、上機嫌になる。
「なんだい、お客さんを連れてきたのかい? あんたもたまには役に立つねぇ」
マリーの猫なで声にルリットは困り顔だ。
「お客様じゃないよ、おかみさん。この人は水くみを手伝ってくれたの」
すると、マリーは途端に不機嫌顔に戻った。そしてシノブをキッと睨んで、
「客じゃないならさっさと行きな!」
と追い払おうとした。
その時である。扉が開き、壮年の男が入ってきた。小奇麗な格好をしている。
「まあ町長さん! どうなすったの?」
マリーは再び猫なで声で手を擦り合わせる。町長、と呼ばれた男は、帽子を取って軽く礼をした。
ルリットがシノブの足元にぎゅっと寄り添った。シノブはルリットの肩に手をやる。
町長は少し興奮気味に口を開いた。
「いやなに、ルリットのことだよ、マリーさん! ルミエールの街から知らせが来てね」
「知らせ?」
マリーが首を傾げた。町長が続ける。
「ルリットの母親がいたらしいんだ!」
「あの女が!」
マリーはわざとらしい程に驚いた。
ルリットは町長とマリーの間に割って入り、口を開いた。
「ママ!? ママがいたの!?」
「うるさいよルリット! 町長さんのお話の邪魔をするんじゃないよ!」
ルリットはマリーに嗜められ、肩を落とした。町長はシノブをちらっとみた。
「おや、お客さんかい。私はここの町長だ。よろしく」
「拙者はシノブ。遊園地のロボットでござる。こちらこそ、よろしくお頼み申す」
「ろぼっと? 種族名かい? まあ細かい事はいいか」
町長は勝手に納得した様子である。シノブは町長の言葉に驚いた。
(ロボットを知らない人間? まさかここは、東京どころか異世界……?)
シノブの世界にはロボットが当たり前のように溢れかえっていた。ここは違う。シノブにとって明らかにおかしな世界だった。
さて、マリーは怒り心頭といった様子だ。
「あの女! ルリットをうちに置いてけぼりにして、金も送ってきやしない! もう半年だ!」
「まあまあマリーさん」
怒鳴るマリーを町長が宥める。だが、マリーの怒りは収まらない。
「なんと……半年も……」
シノブは驚いた。
ルリットはぐずくずと泣きはじめた。泣き止む気配はない。シノブはルリットの肩を抱き寄せる。
「町長殿。そのルミエールという街に、ルリット殿の母君は居るのだな?」
ルリットが顔を上げた。目を見開いて、縋るようにシノブを見つめる。
町長は少し考え込んだ。そして、決意した。
「シノブさん、ルリットをルミエールに連れて行ってやってくれないか。これ以上マリーさんのところに置いておけない」
町長の申し出に、シノブは力強く頷いた。
「勿論! 拙者、ルリット殿が母君と再会できるよう、死力を尽くそう」
ルリットの頬が赤く染まる。涙でぐしゃぐしゃになった顔に、ようやく笑みが戻った。シノブはホッと胸をなでおろす。
「ママにまた会える……?」
「うむ、必ず!」
町長はマリーに声をかけた。
「マリーさんもそれでいいかな?」
町長の問いをマリーは二つ返事で了承した。
「ええ、ええ! 早いとこ連れてっちゃって下さいな!」
ルリットは飛び上がって喜んだ。
「ルリット殿、拙者が必ず……!」
シノブはルリットと目線を合わせるよう、膝をつく。
「ありがとう、シノブお兄ちゃん!」
ルリットが思い切りシノブに抱きついた。子供のぬくい体温がシノブの人工皮膚に伝わる。
シノブは優しくルリットを抱き返した。
(拙者を求めてくれる者がいる。拙者はまだ、役に立てる──)
シノブは自身のコアが熱くなるのを静かに感じていた。




