第11話 偽の夫婦 ※ザカリア
『ザカリア様の妻に相応しい女性を見つけました』
これは、王都から届いた報告書の一文である。
『セレーネ様です』
――こいつ、なに寝ぼけたこと言ってるんだ?
それが最初の感想だった。
ジュストは、俺が王宮に送り込んだスパイだ。
表向きは、引きこもり殿下の代役。
実際は、王宮の動きを探るための任務を担当している。
「わかったぞ。ジュストの奴、遠回しに王妃の地位を剥奪され、デルフィーナが王妃になったと、俺に伝えようとしているんだな」
スパイゆえ、直接すぎる表現を避けたに違いない。
いや、しかし、『妻を見つけました』のほうが、面倒なことになる気がする。
元とはいえ、兄の妻だ。
ジュストの報告書は、そんなふうに締められていた。
「危険だから、助けに来いってことか」
わかるが、もっと違う書き方はなかったのだろうか。
これではまるで、妻になる予定の女性を迎えに行く男だ。
「ジュストめ。俺を王宮に呼びつけた挙げ句、助けろとは、どういうことだ」
だが、ジュストを見捨てるわけにもいかない。
ジュストは、俺の乳母の子で、幼い頃からの付き合い。
信頼できる男だ。
そういう理由から、俺が行きたくもない王宮へ出向き、会いたくもない兄と顔を合わせたわけだ。
そして、セレーネを救出し、さっさと領地に戻る予定だったが――
「ご夫婦一組様ですねっ!」
「一泊のお泊りでーす」
王都を出て、立ち寄った町では、こんなやり取りをすること数回。
最初の方こそ、気まずい思いをしていたが、今はもう慣れた。
「すみません。私のせいで、時間がかかってしまって……」
「いや、妊婦を長時間、歩かせるわけにもいかない」
馬車に揺られるのもよくないとか。
そのため、なかなか領地に入れずにいた。
正直、俺は妊婦の気持ちがわからない。
セレーネは吐き気がするのか、青白い顔をして具合が悪そうだ。
「なにか、口当たりのいい食べ物を買ってこよう」
「いえ、平気です。ザカリア様もお疲れでしょう? お休みになられてください」
「駄目だ。朝からなにも食べていない。馬車に乗るから、吐かないよう食べなかったのだろう?」
セレーネは申し訳なさそうにうつむいた。
彼女は、俺が思っていた印象とかけ離れていた。
侯爵令嬢として生まれ、妖精のように美しい姿、お妃候補たちの中でも抜きんでた能力。
周囲に望まれ、王妃になったと聞いていたから、もっと偉そうな態度をとる女性かと思っていた。
セレーネが、スカーフを外すと、短くなった銀髪が現れた。
貧しい古着屋に、自分の髪を切って与えたのだ。
世間知らずではあったが、馬鹿ではなかった。
「古着屋で、宝石を渡さなくて賢明だった」
立ち寄る町では、兵士たちが怪しいものがいないか、セレーネが売ったものがないかと、痕跡を探し回っていた。
宝石などが出回れば、居場所が知れてしまっていただろう。
「私が目覚めた時、ザカリア様がドアの前で、外からやってくる人間を警戒されていたでしょう? それで気づきました」
「ああ。あの時か」
「デルフィーナが、私を探し出そうとしているのだとわかりました。それにお腹の子が、危険を教えてくれたので……」
セレーネの腹の中にいる子は、兄上と同じ遠くを見る力を持っているらしい。
「領地に入るまでは、危険なことに変わりはない。いつでも、身動きがとれるよう休める時に休め」
「はい。ありがとうございます」
セレーネは長椅子に腰かけ、横になろうとしたのを見て止めた。
「寝台で休め」
「でも……」
「俺は旅に慣れている。床でも眠れるし、野宿もできる。だが、セレーネは違う。しっかり眠れ」
「ザカリア様、それではせめて毛布だけでも、お使いください」
セレーネは肌触りのいい毛布を差し出した。
自分は薄い生地のカバーにくるまる。
――夫婦設定だと、寝台がひとつしかない部屋に案内されるのが、一番困る。
兄上が、なぜセレーネを選んだかわかる。
自分よりも相手を優先するからだ。
兄上は気づいていないかもしれないが、セレーネを愛していたはずだ。
もしかしたら、今も。
いや、兄上のことは、この際どうでもいい!
問題は目の前の難題だ。
「妊婦が楽になるには、なにをすればいいんだ……?」
考えたが、独身なため、妊婦に対する知識がまったくない。
部屋のドアを閉め、宿の階下の食堂で、セレーネが食べられそうなものを注文する。
俺ができるのはこれくらいだ。
「すっきりする食べ物を頼む」
「それなら、柑橘系ですね。市場に売っていたと思うので、フルーツの盛り合わせを作ってもらいますね~」
「もしかしてっ! 奥様のお腹には子供が?」
宿屋の娘たちは、明るく元気がいい。
人に慣れしていて、遠慮なしで聞いてくるが、嫌な感じはない。
ただの好奇心だとわかる。
「そうだ」
「きゃー! やっぱり!」
「美男美女の夫婦ねって、言ってたんですよぉ」
「よぉーし! フルーツ大盛りで!」
「おめでたいですからね! 派手に盛り付けちゃってー!」
……だが、こんなもてなしを受けたのは初めてだ。
セレーネと、夫婦という設定だから仕方がないが、一生結婚しないと決めていたから、複雑な気分だった。
疲労感を覚えながら、豪華に盛り付けてくれたフルーツ盛り合わせ、焼き立てパン、匂いが少なめのあっさりしたスープを持って、部屋へ戻る。
「セレーネ、食事を――」
寝台で眠るセレーネがうなされ、額に汗を浮かべている。
「デ……ルフィーナ……」
お腹の子が、セレーネに王宮の様子でも見せているのかもしれない。
人の噂によると、新しい王妃は心を読み、気に入らない者を、牢屋に放り込んだり、罰を与えたりしているらしい。
王都から離れた町でも耳にするくらいだ。
王宮はデルフィーナに支配されてしまっているだろう。
「ジュストを王都から逃がして正解だったな」
残酷な光景を見ているのか、セレーネは苦しそうにもがく。
「おい。いい加減、やめておけ」
セレーネの腹に手をあて、子供に話しかける。
王の子なら、俺の力がなんなのか、わかるだろう。
「母親が心配なのはわかる。だが、もう見せるな。お前も母親も、俺が守ってやる。俺がいる限り必要ない」
うなされていたセレーネの顔が、穏やかなものに変わった。
腹の子に俺の声が届いたのか、おとなしくなった。
――勢いで、守る約束をしてしまった。
そのことに気づいたが、もう遅い。
いや、迎えに行った時点で、巻き込まれるのはわかっていた。
受け入れたのは俺だ。
「俺がいる限り、力を使う必要はない」
そう腹の子に告げた――これ以後、子供の力によって、セレーネがなにかを見ることはなくなった。




