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◇◇美月◇◇
私は目の前で痴話喧嘩、といってもラフレさんが一方的に攻めている状態を止めようとしていた。
約三十分前、私は公園のベンチに一人で座っていた。ラフレさんの勢いに押されて結局、浮気幽霊の舞香さんの捕獲を手伝う事にしたからだ。作戦はこうだ。私が一人で座っていれば、舞香さんが話し掛けてくる。そこにお札を貼って捕まえる。最後にラフレさんに連絡して合流。色々と雑過ぎる作戦で上手く行くのかとか、相手の顔知らないとか色々あったけれど結局押されてしまった。
「いいか、あいつの拠点に行くにはこの狭魔が近道になる。狭魔同士は繋がっている事も有ってな。舞香は面倒くさがりだから私がいなければ、間違いなくここを通る。舞香は感覚が鋭くてな、私がいればすぐ気づく。私が気がつく前にな。だから、私は一度狭魔の外に出ている。そして、美月さんあんたの出番だ。美月さんは元々一般人でこちらの世界には初めて来た。だから、舞香にとっては初めて会う奴だ。舞香は私と付き合っているのに、浮気しまくっている事で有名だ。その上友好関係がやたら広くて知り合いが多い。この辺の奴は大体知り合いだ。それは私も同じで次に舞香に誘われたら連絡をくれと言ってある。だから、ここ最近は誘っても誰も相手してもらえていない。そこに初めて見る女がいれば間違いなく声を掛けてくる。なにせ無類の女好きだからな。やることは簡単だ。ベンチに座っているだけでいい。そして声を掛けられたらこのお札を貼ってくれ。このお札は幽霊を一時的に拘束する効力がある。近づければそれでいい。勝手に浮いて相手に張り付く。後はこの木の札に声を掛けてくれ。通信木という。妖力という誰でも持っているエネルギーを使って通信するものだ。狭魔を超えて電話みたいな事が出来る。やってくれるな!」
もう私には頷く事しか出来なかった。通信木を貰い、使い方を教わった。そしてラフレさんが奢ってくれたホットコーヒー片手にベンチに座る事十分。スマホもいじれず、この状況何なんだろうと冷静になりかけた時だった。
「ねえ、貴女一人なの?」
という声が後から聞こえた。振り向くと真っ白な顔をした女性が立っていた。いや浮いていた。幽霊なのだから、足が無いのかと思っていたけれど、そんな事は無かった。代わりに身体全体が透けていた。死装束は来ておらず。天冠もない、普通の洋服を着ている。透けていなければ幽霊とはわからなかっただろう。
「ええそうです」
「この辺じゃ見ない顔だね」
「はい、今日こっちに来たばかりなんです。妲己さんに会いに来たんですけど、迷ってしまって」
「そーなんだ。私が案内してあげようか?」
「良いんですか?」
「勿論。貴女みたいな子放っておけないよ。ただ、もう夜遅いからね。朝に行こうよ」
「そうですね。ありがとうございます」
「良いっていいって。それより泊る所あるの?」
「いえ、これからです。迷わなければ妲己さんの所に止めてもらう予定だったので。これからホテルでも探します」
「それなら私の所に来なよ。あー大丈夫怪しくないから。私は恨死舞香。この辺では有名な幽霊だから。不安なら知り合いがやっているホテル紹介するし。一緒に泊まれば安くなるよ」
舞香さんはいつの間にか隣に座って、私の手を握っていた。幽霊なのに人に触れるんだ。ついでに何故か一緒に泊まる事になりかけている。女性好きと言うのは本当のようだ。まあ、自分で自己紹介もしてくれた事だし、さっさと依頼を済ませてしまおう。
「ありがとうございます。そしてごめんなさい」
「え?」
お札を出すと、空に浮いて舞香さんの方へ飛んで行った。
「え?ちょ、待って」
舞香さんが慌てて逃げ出したけれど、お札の方が早く張り付いてしまった。すると動きが止まる。そのまま全く動かなくなってしまった。多分成功したのだろう。ラフレさんに連絡するとすぐに入って来た。
「いや本当にありがとう」
そう言いながら舞香さんの目の前に立つ。すると目がピンクに光った。
「これで良し、かなり強めの魅了を掛けたからな。暫くは身体の自由が利かない」
そう言ってお札を剥がしラフレさんの説教が始まった。
◇◇雪◇◇
「恋バナかー。私あんまり話せる事ないんだよね」
「そうなのですか」
私たちは藍良が持ち込んだというテーブルと椅子に腰かけながら恋バナを始めました。恋バナには甘い物はつきものだろうという事でこれまた持ち込んであったクッキーとペットボトルの紅茶を飲みながらです。今更毒とか考えてもどうしようもないので割り切って口を付けます。
「まあね。やっぱり人と違うから。少し親密になっても結局相手の方から引いていくの。まあ、仕方がないよ。それと私自身の弱さかな。中学の頃は親密になった男の子もいたんだけどね。もし自分が他人と違うと知られたらって思うとどうしてもね」
「…すみません。失礼かもしれないですけど、好きになった方は男性ですか?」
「そうだけど」
「えっと、盈虚の事が好きなんじゃ」
「あー違うよ。もしかして嫉妬していた?私の恋愛対象は異性だから。盈虚に対する感情は恋慕じゃない。畏怖、敬意、恐怖、感謝、嫉妬、憧憬とか色々混ざった物。自分でも何言っているのかよくわからないけどね。言葉じゃ言い表せない物ってあるでしょ」
「そうですか。正直ほっとしています」
「いやー素直で可愛いね」
ほっとしたと言うのは紛れもない本心。盈虚と同じ経験をしている大人の女性から想いを寄せられていれば心が動いてもおかしくない。そう思いました。だから、不謹慎かもしれないけれど、藍良と私達の恋愛対象が違う事を知り喜んでしまいました。そして、この人に死んで欲しくないそう思いました。彼女の事を気に入ってしまったのです。
恋敵ならともかく違うとわかりました。それに元より盈虚に殺させるつもりはありませんでした。盈虚は自分の仇ですら殺さなかった人ですから。
「盈虚の事は少し羨ましいよ。雪さんみたいな子に好かれているんだから」
「ありがとうございます。まあ、まだお互いの想いを伝えたばかりなのでこれからです。もっとお互いの事を知りあわないと」
「…これから聞くことはプライベートな事だし、失礼な事かもしれないから答えなくてもいいんだけどさ。あなたはいつから盈虚の想いを知っていたの?知ったじゃなくて伝えたなら前から知っていたって事でしょ」
「数年前からですね」
「知っていたのは下心のない恋愛感情だけ?それともそこに色欲はあったの?」
「…ありましたね。それが何か?」
「それってさ怖くなかった?自分の身近にいる人間が欲を向けている訳でしょ。それも七歳も年上だよね。盈虚は私と同い年のはずだし。しかも、力で抵抗する事は出来ない存在がだよ。さらに言えばあなたの周囲から信頼を得ている人が。…本当にごめんね、こんな失礼な事聞いてさ。まあ、この後死ぬ人間の言う事だと思って許してよ」
「…衝撃はありました。少しの不快感も。でも恐怖は無かったです。それよりも喜びの方が大きかったです」
「それはなんで?」
「相手が盈虚だったからです。他の人だったら貴女の言う通り恐怖を感じていたと思います。他の誰であっても。この世界で盈虚の事を一番信頼しているのは私です。これは誰にも譲る気がありません。盈虚なら私が嫌がる事は絶対にしないし、私の意志を尊重してくれる。そう信じていますし、裏切られた事はありません。だから恐怖はありませんでした。それに…まあこれは関係ないですね」
「それにの続き気になるじゃん。教えてよ」
「えっと、その盈虚は私の初恋の相手なんです」
「そうなの?」
「子供の頃一度会った事があるんです。父に一度養父母の方と一緒に会いに来たんです。父達が話をしている間に遊んで貰いました。その後しばらく盈虚の顔が頭から離れなくて。まあ幼かったのでその内盈虚の事は忘れてしまったんですが、五年前に再開しました。父が私のボディーガードとして連れてきました。その時にわかったんです。私はこれまで何度か同性の子に淡い恋慕を抱いたことがあります。私が盈虚に抱いたのはそれと同じ感情だったと。そしてそれから盈虚と過ごすうちに私はまた恋をしていました。以前よりも強く。でもこの感情は一生伝えられないと思っていました」
「それはなんで?」
「理由は二つありました。一つは盈虚は私の言う事は拒まない、拒めないという事です。盈虚と私は雇用関係にあります。正確には雇用しているのは父ですが。その為上下関係があります。当然そこには限度があります。けれど盈虚は私の言う事であれば際限無く聞こうとします。きっとそれが明らかに間違っている事や父に逆らう事であっても。盈虚自身を傷つける事であっても。だから私が盈虚に恋人になって欲しいと言えば拒みません。例え本心では嫌がっていたとしても。だから私は迂闊な事は言えませんでした。もう一つは私が臆病だったことです。私が以前想いを寄せた二人はどちらも異性愛者でした。当然それは全く悪くはありません。ただ、どうしても自分と違う、自分の想いは受け入れてもらえない。そういう考えが消えませんでした。その事を表に出した事はありません。それでも一度考えてしまえば消せません。きっと、相手も私が前とは少し違うとわかったのでしょうね。どちらも少しずつ関係が消えていきました。盈虚とはそうなりたくなかった。ずっとそばに居て欲しかった。だから気持ちをずっと隠していようそう思っていました。盈虚の想いを知った時は嬉しかったです」
「そっか。そうなんだ。…羨ましいよ。本当に。…これはお節介かもしれないけど少しいいかな」
「何でしょうか」
「雪さんはさ、さっきもっとお互いの事を知りあいたいと言ってたよね」
「はい」
「でもさあなたはすごく盈虚の事を大切にしている。だからさ、無理に分かり合おうとしなくてもいいと思うよ」
「そうでしょうか」
「多分だけどあなたが言っている事は趣味とか好みじゃなくて過去の事とかでしょ?」
「何故そう思いますか?」
「さっき、過去の事を知れて嬉しいって言ってたしね。趣味とかそんな事はとっくに知っているでしょ。ずっと一緒に居たんだし。多分あなたは大切な人の事はどんな事でも知りたいと思っている。私の養母さんがそうだった。悪い事だとは思わない。きっと痛みや苦しみを共有して少しでも分かり合う事で理解を深めたり、心の傷を癒そうとしてくれているんだと思う。それはとてもありがたい事だよ。でもね人には誰にも触れて欲しくない事がある。雪さんだって盈虚に隠し事や話したくない事くらいあるでしょ。私にとってはそれが過去の体験や盈虚との事。多分盈虚も同じだと思うよ」
「では何故私には話したのですか?」
「あなたに話したのはそれが誠意だと思ったかよ。こんな事に巻き込んだし、もしかしたらこの後傷つけないといけないかもしれないから。訳も分からずなんて嫌でしょう」
「そうですね」
いや、知っても嫌ですけどね?
「話を戻すけどね、盈虚にとってはきっとあの過去はもう過去でしかない。乗り越えたとは言えないだろうし、思い出せば苦しくなるでしょうね。でもそんなものより今の方がずっと大事なのよ。だってあなたに会えたから」
「辛い記憶なら私は分かり合いたいし、分かち合いたいです。間違っているのでしょうか?」
「人によるとしか言えないな。でもさ、盈虚はあなたの事をこれ以上ないくらいに大切にしている。それなのに打ち明けないって事はその程度の事なんだよ。わざわざ大切なあなたに話して不快にさせたくない。その程度の事。話を聞いていれば良く分かる。あなたは盈虚の事を本当に大切に思っている。普通の人とは違う自分を受け入れた上で愛している。それで充分だよ。それで充分満たされている。私はそう思う。あくまで私の考えだけどね」
「ありがとうございます。全てを分かり合う事が大切だって思っていました。そうですね、もう一度色々と考えてみます」
「まあ、あくまで私の考えだから参考程度にね。結局はあなたの事も盈虚の事も殆ど何も知らない他人の意見だから」
「いえ、本当にありがとうございます」
「この辺で恋バナは充分じゃない?というか私が話せる事がない」
「そうですね。次は何話しましょうか?」
これで登場人物が出そろいました。多いですね…。