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ミルフェット家の系譜

湖畔にて

作者: 日向百々吉

僕は14歳になり王都の学園に3年間通うことになる。


伯父様の誘いで伯爵邸でお世話になることになった。

同学年に従弟のアーサーもいるし、1学年上の従姉のアガサも一緒だ。


僕はルドルフ、アルバート・ミルフェットの息子で親しい人達にはルディと呼ばれている。

兄さんのレナードと弟のセオドアの三人兄弟だ。


父様はミルフェット伯爵の弟で、王宮勤めの伯爵に代わって所有の子爵領を任されていた。

伯爵位は伯父様が叙爵したもので、我が家は傍系の子爵家になる。


兄さんも学園の3年生に在籍しているけれど、彼は伯父様の誘いを辞退して学園寮で生活している。

寮は主に地方の子爵家や男爵家の子女達が利用していて、休みに帰郷しない者も多く、兄さんも学友達に倣って実家に帰らず母様を落胆させた。

学園で久々に顔を合わせた兄さんは何処か砕けた雰囲気で、僕の記憶の中の兄さんと違うように見えて寂しさ感じる。


いざ学園が始まってみると、講義について行くのがやっとで驚いた。

それなりに準備はしていたのに、アーサーの助けでどうにか平均を保てている。

彼と同じクラスになれたのは運が良かったと思う。

兄さんが家にも帰らず勉学に励むはずだ。


王都に出て来たというのに学園と伯爵邸を行き来するので精一杯。

休みの日はアーサーやアガサが勉強を見てくれて、伯爵家への恩は重なる一方だった。


*


僕達兄弟と伯爵家の子供達とは年齢が近くて、兄さんが学園に入るまでは、度々、母様の実家が所有する保養施設に親族揃って遊びに行っていた。

そこには大きな湖があって、水際でピクニックをしたり、小舟を浮かべて遊んだりした。


年は兄さんが一番上で、次に従姉のアガサ、ひとつ下に僕と従弟のアーサー、僕達よりふたつ下に弟と従弟のアンドリューがいて、更に年の離れた従妹が2人いる。


年長の4人組は一緒に行動をすることが多かった。

小さい頃は、みんなで揃いのように肩のあたりで髪を切っていて、一緒に外を走り回った。

物語の悪者役はいつも兄さんで、僕とアーサーが捕らわれたお姫様、英雄役のアガサが救いに来るのがお決まりだった。

アガサが女騎士になると、僕とアーサーは王子様に変わったけれど、捕らえている悪漢は兄さんだった。


兄さんが教師について勉強をするようになると、アガサは髪を伸ばして女の子らしい服を着るようになった。

一緒に遊ぶ時は飾りの少ない落ち着いた色の服を着ていたから、伯母様のほうがよっぽど女の子のように見えた。


伯爵夫人の伯母様は、お姫様のような容貌でいて佇まいが女王様みたいな人だった。

母様がとても慕っていて、それに倣うように兄さんも特別な対応をしていた。


「みんなが揃っている時に大きくなったお祝いをしたいと思うのだけど、4人一緒と2人ずつとどちらが良いかしら?」


母様は楽しい思いつきを実行に移す人で、伯母様と相談した後で僕達の希望を聞いてくれた。


「4人一緒がいいな」


僕が一番最初に返事をすると兄さんも賛成してくれた。


「それじゃあ、アーサーが8歳の時にみんなでお粧ししてお祝いしましょう」

「兄さま達だけズルい!」

「セオはアンディと一緒にお祝いしましょうね」

「アンディはセオといっしょ!」


騒ぎ出す弟達を慰めて、みんなでお祝いの計画を考えるのはとても楽しかった。


アーサーが8歳になると、みんなで父様や母様がパーティーに出掛ける時のような格好をして、湖を見渡せる大きな部屋でご馳走やお菓子を食べた。


アガサは優しい緑色のふわふわしたドレスを着て、真っ直ぐ伸びた黒い髪にリボンを飾って本当のお姫様のようだった。


「母様が言う通り、伯母様はさすがに美しいなぁ。

アガサもよく似合ってるよ」


兄さんの言葉に、深い緑の目を瞬いた後、俯いて顔を赤くしているアガサが可愛いかった。


アガサはずっと兄さんの婚約者で、大人になったら家に来て姉さんになると聞いていた。

『婚約者』の意味を本当に理解した時は長男の兄さんをズルいと思った。


今はもう、兄さんが居なくて僕が長男だったとしても、年上のアガサが僕の婚約者になることはないとわかる。


兄さんとアガサの婚約は、父様の後にアガサの子が子爵領を継承するための政略だった。

手続き的にはアーサーが継げばいい話だけれど、事情を把握していない下の者を困惑させないための配慮だと聞いた。


僕はアーサーが伯父様と同じ道を目指しているのを知っていたから、父様の後にこの地を管理をするだろう兄さんの補佐をするべく頑張った。

同じ思いを抱いている弟と一緒に家令のサイモンから厳しい指導を受けていた。

子供の目から見てもサイモンはとても優れた人物だったから、父様にお願いしたのだ。

父様も母様も理解を示してくれて、家政の穴を補いサイモンの時間を空けてくれた。


兄さんは使用人に教えを乞う事を厭い、家庭教師について学習をしていた。


兄さんが王都の学園寮で生活するようになって、さらに僕の入学が近づいてくると、父様から僕にかける予算に余裕があるから思うところがあれば相談するようにと言われた。

王都で縁を得て、家を出る目処が立ったなら助力するということだろう。


出来るなら、兄さんとアガサの生活が落ち着くのを見届けてから先の事を考えたいと思っている。


*


外套の布地が厚みを増す頃になると王都での生活にもだいぶ慣れてきた。


夜の一番長い『雄神の日』は家族で団欒を楽しむ日なのだけど、王都の伯爵邸では僕の家族も交えて夕餐を囲むことになった。

従弟妹達みんなと顔を会わせるのも久しぶりだ。

兄さんは、学園での生活も最後だからと学友達と過ごすことにしたようだった。


『雄神の日』の昼時は恋人達が語らう風習もあるけれど、王都での限られた期間を尊重したいとアガサが出掛けることはなかった。

その話を耳にした母様が眉を顰めた複雑な面様の仮面を被って、伯母様に注意をされていた。


冷たさで尖った空気が優しくなって温かい陽射しが届く日が増えると、どこか浮ついた空気が学園に芽生え始める。

卒業パーティーが催される昼の長い『雌神の日』までは時間があるけれど、令嬢達の多くが早くから特別な衣装を準備していて、その僅かに熱を含んだ囁きが彼方此方で春の兆しのように綻んでいた。


そんなある昼時のこと。

耳に覚えのある兄さんの声が中庭に響いた。

僕はアーサーに同伴して学園の食堂へ向かう生徒の中にいた。


「このように他人を使って、自分は素知らぬ顔をする卑劣な人間だとは思わなかったぞ、アガサ!」


声のほうを見ると、学友と連れだった兄さんと令嬢の小集団が対峙していた。

その中に唖然として佇むアガサの姿があった。

幾人かの令嬢がアガサを囲んで「わたくし達そんなつもりでは……」と青褪めた顔をしている。


「身分が下の者をさぞ当然ように貶めるその卑しき心根には愛想が尽きる。

アガサ、お前との婚約はなかったものにさせてもらう」

「ちょっと、レン。何を言っているの、貴方」


派手な顔立ちをした女生徒が慌てた様子で兄の腕にその手をかける。


「アレは何故、あのように呼ぶことを許しているんだろうね」


常に温厚なアーサーが絶対零度の空気を纏って独言ちる。


「私は姉さんを連れて邸に戻るから」


アーサーは僕に視線を寄越すと、噂好きの輩が好奇の目を向ける騒動の渦中へと動きだす。

一緒に行動したい気持ちを抑えて視線に含む意味を理解したと首肯を返す。


「はっ!せいぜい卒業までに程の良い相手を探すことだな」

「そう……ですか」


か細い声が背中に聞こえるのを振り切って、僕はミルフェット姉弟の早退を告げるべく教員の元へ向かう。


こんな衆目の中でアガサに恥をかかせるなんて、兄さんは一体何を考えているんだ。


*


件の出来事の後、講義を終えて僕が伯爵邸に戻ると既に伯父様が帰宅していて、夜には伯母様と両親が馬車で駆けつけて来た。

アーサーがすぐに連絡を取ったのだろう。


「我が家の愚息がとんでもないことを……兄上になんと詫びれば良いやら」


父様と母様が揃って深く腰を折る。


「私もお前も学生の時は寮で世話になっていた。

そこで何を得るかは個々の資質によるとしかいえないね」


伯父様は穏やかな雰囲気を崩さない。

長椅子の隣りに座る伯母様の整った顔には冷ややかな目があった。


応接室の扉が叩かれ、部屋で休んでいたアガサが顔を出す。


「わたくしの対応が至らないばかりに、叔父様、叔母様、お父様、お母様に多大なご迷惑をおかけして申し訳ありません」


深々と頭を下げるアガサの顔色は悪かった。


「アガサさんが悪い事なんて何もないのよ」


母様がアガサのそばに駆け寄る。


「レナード様との交流を怠っていた わたくしにも責任があります」

「どういうことかしら?」


頭を下げたまま言葉を紡ぐアガサに伯母様が問いかける。


「まずは座りなさい、アガサ」


伯父様が促すと、アーサーが自分のいた席にアガサを導いて座らせ、自分は伯父様の後ろに控えた。

出遅れた僕は元居た椅子──アガサの向かいに座ったままだ。

ただでさえ、この場にいていいものかと居た堪れないのに、気遣いも出来なくて気が滅入る。


アガサは背筋を伸ばしたまま、しっかりとした口調で置かれている状況を語った。


兄さんは元々筆を取るのが苦手なようで、実家での学習課程が過ぎると手紙のやり取りも途絶えがちで、学園に入ってからは「友人に自慢するようで気が引けるから」と返事だけにするよう言われていたらしい。

といっても、便りが届くでもなく、時折メッセージや贈り物が届くのに向けて返事を認めていたそうだ。


アガサが王都に出てからは「学友との交流を優先したい」と声かけも制限したという。

実際、互いの友人達との間に身分の隔たりもあって、限られた期間のことだと納得もしていたと。


「下級の者をよく思わない方がいるのは知っています。

ごく自然なことですし、わたくしが口を挟むようなことではありません。

ただ、レナード様に同様の価値観を持った人間だと思われているのは心外でした」


僕は、兄さんが自分の世界に身を委ねているのを良いことに、アガサが身近にいる生活をただ享受しているだけだった。


「縁談の継続を受け容れる覚悟はあります。

互いの信頼を回復するのは難しいと思いますけれど……」


好ましい関係を築けなかったのは自分に非があると。


「白紙撤回にするのが妥当だね。

新たな縁談は可能な限り良い相手を探すから、アガサもそのつもりでいなさい」

「兄上はそれでよろしいのですか?」

「ああ、これ以上はいい。

あとの処分はそちらに任せるよ」


母様が不安気に父様を見る。

伯母様もアガサもただ静かに座っていた。


「レナードは体面を弁えず、事を大きくしすぎた。

学園に在籍中は変わらず寮生活をさせるが、その後は廃嫡の手続きを取る。

相手方の家とも話の席を設けよう。

私の跡目はアーサーかアンドリューに任せるのが良いだろう」


組んだ手に額を預けて父様が今後の見通しを言葉にした。


「若輩が口を挟む無礼をお許しください。

私は王宮勤めを目指して邁進している最中ですし、弟には不向きかと。

子爵領で生まれ育ったルドルフが適任ではないかと愚考しますが」


突然、自分の名前が飛び出したことに驚いてアーサーを見た。


「その件に関しては検討しておこう。

時間も遅い。子供達は部屋に戻って休みなさい」

「わかりました」


アーサーがアガサを伴って部屋を出ていく姿を目で追い、僕は扉の前で足を止めた。

この後は大人達で込み入った話をするのだろう。

いままでの時間は僕達に話を共有していただけにすぎない。


「あの、お話したいことがあるのですが、少しお時間を貰えますか?」


僕は、なけなしの勇気を振り絞って大人達に向かい合った。


*


翌日、伯父様はいつも通り王宮へ出向き、アーサーと僕は学園へ向かった。

アガサは伯母様と一緒に伯爵邸で過ごすことになっている。

両親は兄さんと話しをするために学園寮へ出かけた。

兄さんは騒動を起こした事で一週間の謹慎処分を受けていた。


広がった噂は時間と共に新しい話題に移ってゆき、表面上には平和な日常が戻ってくる。


『雌神の日』に執り行われた卒業パーティーでは、兄さんが件の令嬢と共にいたことで僅かに残火が燻ったけれど、下級貴族に関わる話は旨味が少なく鎮まるのに時間はかからなかった。

その後、兄さんが領地に姿を現すことはなかった。


学年が終わった後の長い休みには、久しぶりに湖を望む館に親族で集まることになった。

この機会に、下の従妹2人の『大きくなったお祝い』をしてしまおうということになっている。

学生だった僕達は、弟達の非難の雨を浴びて一足早く現地に来ていた。

アガサの静養を目的として、アーサーと僕が付き添っている形だ。


少し痩せたのか、髪色が横顔に影をさして彼女を大人びてみせた。


もう走り回るような遊びをしなくなった僕達は、湖畔を散策したり、バルコニーで昼食を取ったり、各々気に入りの本を捲ったりして静かな時間を過ごしていた。


夜にはバルコニーから空の星や湖に映る月を眺めた。

満月の夜は、空と森の境界が浮かび上がって幻想的な景色を作り上げる。


「アガサ、少し話をしてもいい?」


バルコニーで夜の空気にあたっていたアガサに声をかける。

真っ直ぐに下ろした長い黒髪に月明かりが反射してとても綺麗だった。

夜の湖のような松葉色の瞳が僕を捉えている。


「何かしら?」


幼友達を迎えるように無防備に目元が綻ぶ。


「ルディもすっかり背が伸びて見上げるようね。

こうして夜空の下にいるとレナードとそっくりだわ」


密かに心に抱いた決心が萎んでいく。


「その……兄さんのことは……」


情け無く口籠ると、勝手に解釈をしたアガサが先を続けた。


「レナードはただ当たり前にいて、そうだと決められていただけ。

私も、大人になったらお母様のような結婚生活をするものだと思ってた。

こんな風になっても何の感慨もないくらい普通すぎることだったの」


アガサはバルコニーの先へ数歩進み、手摺に手をかけて夜の空を仰いだ。


「もっとショックを受けていたと思ったけれど、少しホッとしていたのよ。

こんなんじゃ、貴族の娘の在り方としては失格だわね」


アガサは僕に向き直ると、残酷なほどに優しい微笑みを浮かべて年長者の顔で僕を見た。


「ルディだから油断をして余計なことを話してしまったわ。

話の腰を折ってしまってごめんなさい。

それで、話って何かしら?」


部屋の奥で素知らぬふりをしながら様子を伺うアーサーの気配を背中に感じる。


「あの……僕がアガサのお婿さんに立候補したら考えて貰える?」


子供っぽい物言いになってしまい、一気に顔に熱が上がった。

なんだって、もっと上手い言い回しができないのだろう。

目をまん丸にしたアガサの顔が正面にあって、可愛いすぎて余計に目が回りそうになる。


「伯父様達にはアガサ次第だって言われてる。

僕と兄さんが代わるけど、全てが今まで通りなんて貴族の婚姻らしいと思わない?

ただ、僕がアガサをお嫁さんにしたいだけなんだけど」


情けないほど口が速くなるのを理解しながらも、何を喋っているのか段々と分からなくなってくる。


「こうしないとお前は動かないからな」と皮肉気に口の端を上げた兄さんの顔が脳裏に浮かんだ。


*


兄さんが学園を卒業する少し前、最後の話し合いに出向いた両親が僕に伝言を持ってきた。

指定された場所へ行くと下町にある建物へと連れて行かれた。


勧められた硬い椅子に腰掛けると、件の令嬢が茶菓子を出してくれた。


「休みの日に時間を取らせて悪いな。

掻い摘んで話すけど、あの後、寮の部屋に両親が来ていろいろ話をしたんだ。

あんなに話すことがあったのかというくらい、それは沢山話したよ。

あぁ、クロエは今ここにいるけど、あの時はただ巻き込まれただけだったんだ」


僕が彼女の存在を気にしていることに気がついて、兄さんが補足をしてくれる。


「あの時はあれが最善だと思い込んでいたからな」

「アガサが可哀想だと思わなかったの?

家にも伯爵家にも醜聞になるってわかっていたでしょう?」


兄さんが懐かしそうに目を細くする。


「アガサはさ、自分も伯母上や母上と同じようになると思い込んでいるんだ」

「それのどこが問題なの?」

「俺は、伯父上や父上のように熱を持ってアガサを見ることは出来ない」

「どういうこと?」


兄さんはゆっくりお茶を口に含んだ。


「安い茶葉だけど、結構上手く淹れるんだよな」

「うん。美味しいと思うけど」


促されて僕もカップを手にした。


「アガサは何でも真面目に取り組んで、とても優秀で、政略結婚も上手くこなすだろう。

家は有能な家令がいるから俺でも充分に責務は果たせるし、アガサとも良好な関係は築いていけたと思う」

「じゃあ、どうして……」

「長い時間じゃないが、湖のそばの館で一緒に過ごしていたし、近くで見ていたからかな……。

アガサには熱を持って寄り添う相手が必要だ。

本人は無自覚だけど、必死に立ち進んで行き着いた先に思い描くものがなければ、いつか倒れてしまうと思う」

「……」

「俺にとって、アガサは妹のような存在でしかないんだ。

ルディは十分な『熱』を持っていると思うけど?」


驚きすぎて言葉も出せず、ただ目を大きく見開いてしまう。


「いや、バレバレだろ?

アーサーだって知っているだろうに」


確かに、アーサーにはそれとなく後押しをされていると思う。


「学園に入学する頃は、確かに反発もあったし、幼少からの婚約者を疎ましく思っていたのも本当だ。

寮で生活をする間に、父上の補佐につくだけにしても俺に領地の管理は相応しくないと思った。

お前か、そうでなければセオドアのほうが良くやれるはずだ」

「それなら父様に話しを通せばいいだけだよね」

「それでアーサーかアンドリューに話がいくだけならいいが、間違いなくアガサは別の見知らぬ相手に嫁ぐことになるだろうな」


僕は口を閉ざすことしか出来なかった。


「ルディの一途さは信頼に足ると踏んでいるんだけど?」

「それなら僕に話してくれても……」

「お前は動かないだろう」


しっかり見透かされている。

今になってさえ、僕は兄さんがあるべき立場にいて当然だと思って話をしているのだから。


クスリと耳に届いた声の方を見るとクロエ嬢と目が合った。


「あら、ごめんなさい。

邪魔をするつもりはなかったのだけど……。

レンと弟さんが並ぶとそっくりなのに、全然違うのが可笑しくて」


気安く話に入ってきた振る舞いに驚いて兄さんを見た。


「ああ。寮の人間は大概こんなもんだ。

俺にとっては心地いいくらいなんだけどな」

「そうなんだ」

「クロエには、アガサの件がはっきり決着した後、頼み込んでパートナーになってもらった」

「貴方ばかりが思い通りになって、周りは迷惑を被るばかりだわ。

レンのせいで私は子爵夫人に買われたも同然なんですけど」

「ど、ゆ、こ、と?」


クロエ嬢は王都に居住する男爵家の娘で、男子は弟が1人いて、女子である彼女は必要最低限の扱いを受けているそうだ。

学園に上がると口減しのように寮に入り、体面上の僅かな仕送りで生活をしているという。

寮に居る学生には同様の境遇の者が多数いて、門限を守りさえすれば外で過ごすことに目こぼしがあるらしい。

彼女は学園の卒業後は貴族籍を抜けるつもりでいるけれど、無関心な実家が突然身売りを強要してきたら夜逃げをするつもりだったそうだ。


例の騒動の後、噂だけを耳にしていた男爵は、我が家からの話し合いの打診に対して「当事者の娘を売ってくれてかまわないから、それで補填をしてくれ」と返答したらしい。

おおよその事情を察した母様が相応の書類を準備して署名させ、クロエ嬢に不利益が被らないように手配をしていたそうだ。


「俺が欲しがらなければ、手元に置くつもりだったらしいよ」

「私は子爵夫人から定期的に近況を報告するように承っているわ」


なんとも母様らしい話を聞いて唖然としてしまう。

実息と断絶したにも拘わらず、その近況を手にする方法をしっかり用意していた。


廃嫡の際の手切れ金として、当座の資金を使者を使わず兄さんのところへ持って来たのが両親に会った最後で、その時にはクロエ嬢も同席した上で話をしたようだ。

その資金を元手にして下町のこの建物で軽食の店を出す予定らしい。


件の騒動も貴族間では醜聞になるけれど、下町になれば扱い方次第で武勇伝として宣伝効果を見込めるそうだ。


「逞しいだろう?

クロエと一緒に手を携えてここでやっていくつもりだよ。

……いや、手を引かれての間違いかな」


兄さんは戯けたように両手を広げて肩をすくめてみせた。


「アガサは伯母様によく似て厳格で、融通の効かないところがある。

一度怒りを買ったらずっと覚えているから、覚悟はしておけよ」


こうして僕は兄さんとの対面を済ませた。


*


僕は兄さんが置かれている状況を簡単にアガサに伝えた。

黙っているのは、僕達の関係では違うと思ったから。


「レナードが元気にしているのなら良かったわ。

私にとってもお兄様みたいな人だから」


目を伏せて寂しそうに笑みを浮かべるアガサ。


「いつも勝手に決めてしまうのだもの。

悪戯を一緒に企てる仲間ではいたかったのに……」


多分、アガサのそれと、僕の思うそれでは大きく意味が違うのだけど、気がつかない振りのまま同意する。


僕は頼りなさすぎて、兄さんのように上手く出来るかわからないけれど。

アガサをずっとそばで見ていたいという気持ちは誰にも負けない自信がある。


「僕にアガサの手を取らせてくれるかな?」


「ルディが私の手を取ってくれるの?」


夜の湖を映した深い緑の瞳を瞬いて小首を傾げるアガサが可愛いくて。

僕のアガサはいつまでも少女のようにあどけなくて。


僕がぎこちなく右手を差し出すと、そっとアガサの小さな手が重ねられる。


部屋の奥でアーサーが拳を握っていたのが目の端に映った。

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