第二十話 侵攻
東北地方を襲った地震。
自衛隊、警察、消防隊の皆さん一人でも多くの人を救って下さい。
そういえば、松島基地の航空機二五機が被害にあったとか。
―――1942年3月23日、柱島泊地―――
土方将少佐は柱島泊地に回航された信濃型航空母艦一番艦『信濃』航空隊隊長に就任して信濃に乗艦していた。
「山口長官、ソ連が満州に侵攻したのは本当ですかッ!?」
将達が慌ただしく艦橋に入ってきた。
「あぁ、既に国境近くの満州里は占領されている」
第二機動部隊司令長官の山口多聞中将が将に言う。
「横須賀の第一機動部隊は樺太、千島列島に上陸したソ連軍の掃射とカムチャツカ半島の爆撃とペトロパヴロフスク=カムチャツキーの攻略支援だ。そして我々第二機動部隊はウラジオストクとナホトカへの爆撃と攻略支援だ」
ソ連侵攻を受けて、日本海軍は第三艦隊を二つの機動部隊に分かれさせる事にした。
第一機動部隊は赤城、天城の第一航空戦隊。加賀、土佐の第二航空戦隊。蒼龍、飛龍の第三航空戦隊で編成されており、司令長官は小沢治三郎中将である。
第二機動部隊は龍驤、神驤の第四航空戦隊、翔鶴、瑞鶴、信濃の第五航空戦隊で編成されている。
信濃は同型艦がいないために一時的な処置である。
また、信濃は通常の一段式の空母ではなく、二段式空母になっていた。
これは山本五十六等の航空主義者達が提案したものである。
一段式の飛行甲板は一般的だが、航空機の発艦が一番危ない。
いい例がミッドウェー海戦である。
兵装転換がやっと終わり、三基のエレベーターでえっちらおっちらと飛行甲板に上げて「さぁ、行こう」とした時のAM7:22分、SBD「ドーントレス」艦上爆撃機が赤城、加賀、蒼龍に急降下した。
後はお分かりだろう。
ただ、山本達が二段式を提案した時期は信濃を空母に改造する事を決定した昭和12年なので、あまら意味は無いが戦訓にはなる。
信濃はエンクローズド・バウ方式(艦首外板を下部飛行甲板まで延長し、一体化する方式)になっており、前部飛行甲板は『前部完全リフト式』に改造され、飛行甲板の上げ下げが出来るようになっている。
話しを戻す。
「第二機動部隊は舞鶴でウラジオストクの攻略部隊の船団を護衛しながらウラジオストクを目指す」
山口は言う。
第二機動部隊の護衛艦艇は戦艦金剛、榛名。
重巡妙高、羽黒。
防空巡浪速、難波。
軽巡長良、五十鈴。
駆逐艦十六である。
第二機動部隊は準備が完了すると、直ちに出港。
関門海峡を抜けて一路、舞鶴に向かった。
―――満州国ハイラル―――
「畜生ッ!!旧式機でどうやって戦うんだよッ!!」
九七式戦闘機二型の操縦席で前原少尉が怒号を放つ。
満州里を占領したソ連軍は勢いに乗ってハイラルに迫った。
しかし、一式中戦車の奮闘により何とか凌いでいた。
一式中戦車は史実の三式中戦車を上回る性能を持っていた。
主砲は海軍の巡洋艦が装備していた八センチ高角砲を八十ミリ戦車砲に改造して新しく搭載したのである。
装甲は前面は七五ミリ、側面五十ミリである。
機関銃は七.七ミリ機関銃を搭載している。
また、ディーゼルエンジンを搭載して速度は五十キロを出していた。
ソ連侵攻時、満州には一式中戦車は約三百両が配備されていた。
しかし、陸上で勝っていても空では負けていた。
ハイラルの航空基地には九七式戦闘機二型百二十機、零戦三十機が配備されていたが、旧式の九七式戦闘機ではソ連のYak―1には勝てなかった。
グワアァァァンッ!!
「小沢ッ!!管ッ!!鳩ポッポッ!!」
前原の同期生や部下達が次々と被弾炎上をして草原に落ちていく。
「ここまでか……」
前原が諦めたその時、チチハルから増援の零戦隊百二十機が到着した。
九七式戦闘機に勝っていたYak―1でも零戦には勝てなかった。
しかも、この時到着した零戦隊は改良型の二二型である。
最大速度五八十キロを生かしてYak―1を翻弄させて敗走させた。
さらに、九九式襲撃機等の爆撃隊百二十機が到着してソ連機甲師団を爆撃。
T―34中戦車百五十両余りを破壊してこれも敗走させた。
「……助かった…のか……」
前原は操縦席で安堵してハイラルの飛行場に降りた。
関東軍総司令長官の山下奉文中将はハイラルの防衛を諦めて、チチハル、ソイホワ、ムータンチャンを防衛線として部隊、民間人の撤退を急がせた。
また、25日に八個師団を乗せた攻略船団と第二機動部隊が舞鶴沖で合流。
攻略船団と第二機動部隊はウラジオストクを目指した。
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