第十四話 日中講話と世界情勢
タキシード仮面さんアイディアありがとうございましたm(__)m
―――1940年4月10日南京―――
南京で日中両政府による講和会議が行われた。
蒋介石を処刑したら、モンゴルに亡命した毛沢東が事実上の中国の首脳になるので、日本政府は蒋介石を捕虜として待遇した。
米内光政は蒋介石と会談をした。
主な内容として、「モンゴルに亡命した毛沢東を国家反逆者として中国全土及び国際指名手配をし、満州国の承認、日本製武器の輸入、香港、マカオ攻略用の部隊の駐屯させてくれば、領土割譲一切取らない。ただし、賠償金は日本円で十億円を貰う。また、日本が米国と戦争になった場合、交州・四川・内蒙古・東シナ海の占領維持及び監視活動費用は中国が負担してもらう」と米内は言う。
対する蒋介石は、元々は親日派であり、日本の陸軍学校を卒業している人物でもある。
元はこっちが仕掛けた戦争なので賠償金もやむを得ない。しかし、毛沢東を国際指名手配出来るし、満州国も元々は異民族が住む地域なので蒋介石はすぐに了承した。
こうして、日中戦争は終わった。
講和後、中国軍は日本から輸出された九七式軽装甲車37ミリ砲搭載型や九七式中戦車を、モンゴルとの国境線に大量に配備して中共軍(中国共産党軍)の侵攻に睨みをきかせる。
さらに、日本陸軍の九七式戦闘機も輸入して航空隊の育成に努めた。
中国に駐屯していた日本陸軍は香港、マカオ攻略部隊を除いて全て撤退した。
中国との戦争は終わったが、対米戦の準備のために、トラック島やサイパン島等に陸海の航空隊を派遣して、戦力を増強させる。
陸軍は中国における戦車の活躍を戦訓にして、戦車師団の創設した。
―――5月―――
タイと仏印政府の停戦協議が締結された。
この紛争には九六式陸攻三四型と九七式重爆二型を十八機ずつ義勇軍として派遣していたのだ。
九六式陸攻は発動機を金星発動機千五百馬力を搭載し、旋回機銃を全て十二.七ミリ機銃に統一した改良型である。
九七式重爆は防弾板を付け、武装も十二.七ミリ機銃にした改良型である。
無論、両機とも装甲を前型よりも厚くしている。
戦闘に参加したのは僅か一週間ちょいだったが、両機種とも喪失機は無しで被弾八機の結果を残してくれた。
といっても、相手戦闘機のモラン・ソルニエMS406の二十ミリ機銃弾が仏印に届いてなかったからだった。
まぁ結果を残したので良しとなった。
―――6月―――
ドイツ軍がイギリス軍と制空権を争うバトル・オブ・ブリテンが勃発した。
日本政府はドイツ政府に対して、義勇軍を派遣することを発表。
派遣するのは新しく金星発動機千三百馬力を搭載した零戦一二型六十機と、九九式艦爆一一型六十機の計百二十機である。
零戦一二型は前型の零戦一一型よりも速度が三十キロアップしており、最大速度は五七五キロを記録している。(全幅を十二メートルにした二二型が開発中)
ちなみに、航空機は海軍機だが中身の搭乗員は陸軍の搭乗員である。
移動はシベリア鉄道を利用した。
ソ連から妨害があるのではと懸念されたが、派遣する一週間前に日ソ中立条約を締結したので、心配はなかった。
―――7月―――
ドイツの首都ベルリンで日独の経済協定が締結した。
はっきり言えば、日独の技術交換である。
技術交換のための伊号潜が十隻程がドイツに向かった。
主に日本は環境技術・新エネルギー技術を提供して、ドイツはエンジン製造技術、電子技術(真空管製造技術も含めて)、航空機製造技術、化学製品製造技術、銃砲製造技術、鉄鋼技術等の技術交換である。
日本の製造器はどれもアメリカ等の国が使用していたのを高額で買わされた物だ。
この技術交換により、生産量が伸びるのは少し先になる。
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