第十一話 日中開戦
展開が早いような気がするのは自分だけすか?
―――1940年(昭和十五年)1月10日中国青島沖―――
青島沖で、二隻の空母を主力とする艦隊がいた。
空母は蒼龍、新鋭艦の飛龍である。(搭載機や、武装は新大東亜と一緒)
飛龍の予備士官室に何人かの人々がいた。
「中国の奴ら動かないな」
将と将棋をしているショートヘアの士官服を着た女性が呟く。
「確かにな。てっきり油田が見つかった時点で来ると思ってたのにな。……王手や飛龍」
「何ィィィッ!!……あ―、糞ッ!!負けかよ……」
艦魂の飛龍は悔しげに将を睨む。
「攻めが甘いわ」
ニヤリッと将が笑う。
「けッ!!作者は無茶苦茶弱いのによ」
うっさいわッ!!( ̄▽ ̄;)
話しを戻す。
何故、将達が青島にいるかというと12月25日から中国と交渉をしていた。
何の交渉かと言うと、まぁ簡単に言えば、天津等の中国軍の引き上げ、通州を攻めた謝罪を要求していた。
対する中国側は、通州で捕虜にした兵の虐殺の謝罪、日本軍の占領した(中国側は勝手に占領したと言っている)北京からの撤退を要求。
話しは平行線を辿り、膠着状態になっていた。
また、それに合わせて米国から再三の満州からの撤退が告げられていた。
「やっぱり戦争ですか?」
飛龍の姉である蒼龍が不安そうに将に尋ねる。
「なるやろな。向こうは泥沼に持って来させたいけどこっちが拒否ってるからな」
「あいつらも阿呆やな」
華牙梨が笑う。
そこへ将官が一人、部屋に入ってきた。
「此処にいたのか、将。先程、電文が来たぞ」
「どうかしたんですか山口司令官?」
相手は山口多聞少将だった。
少し早いが、第二航空戦隊司令官をしていた。
乗組員や搭乗員達から「うちの布袋さん」「人殺し多聞丸」と呼ばれている。
また、山口は将の事を「将」と呼んでいる。
後で、将が何故将と呼ぶんですかと聞いたところ「呼びやすいからだよ」と言って大笑いしたという。
「海軍省からの電文だ。とうとう戦争をする事に決めたそうだ」
山口の言葉に将はあぁ、やっぱりなと思った。
「交渉使節団が艦隊に乗り次第、青島を攻撃する。準備をしてくれ」
「了解ッ!!」
山口が部屋を出た。
そして、1月10日午後3時。
日本帝国は中華民国に対して宣戦を布告。
満州の国境線に配置していた十二個師団(約十八万。一個師団は一万五千名)が一斉に進撃を開始した。
勿論、中国軍は応戦を開始するが、陸軍は新たに採用した九七式中戦車改を盾にして突き進む。
九七式中戦車改は五七ミリ短砲身から五十ミリ戦車砲に置き換え、装甲も五十ミリに増やした改良型である。
いくら米国から武器供給されている中国軍でも装甲車ぐらいしかなかった。
流石に戦車は輸出されなかった。
話しを戻す。
さらに、陸海軍で共同に生産された零戦が上空支援の元、陸軍は中国になだれ込んだ。
―――1月13日青島上空―――
「戦果は上々やな」
将が零戦の操縦席で呟く。
眼下の青島は爆撃されている。
無論、攻撃したのは飛龍、蒼龍から発艦した九九式艦爆と九七式艦攻である。
宣戦布告から三日がたったが、日本軍は各地で中国軍を撃破し、済南まで占領していた。
青島は、今から上陸作戦が行われる。
総勢三個師団の上陸である。
「虐殺はすんなよ」
将は眼下を見て呟く。
日本軍は作戦に当たる前、天皇陛下から直接、ある訓示を受けた。
「中国市民に対して虐殺、凌辱、暴行、略奪等を絶対にしてはならぬ。やった者は即刻、公開処刑とす」
ようするに『三光作戦はするな』ということである。陸海軍はこれをキチンと守り、占領した町、村では虐殺等の行為は起きていない。
最初は日本軍に怯えていた住人達も何もしない日本軍に対して徐々に心を開いていった。
山口機動部隊は青島を占領後、一時佐世保に帰還した。
―――開戦から3週間後の1月31日―――
既に日本軍は、東は西安から合肥までを占領していた。
また、上海にも五個師団が上陸、占領していた。
このような驚異的速度は、中国軍の異常とまで言われる撤退だった。
戦闘をするたびに、開始して僅か10分で中国軍は崩れてゆき、敗走を重ねた。
日本陸軍は便衣隊が紛れ込むかもしれないと警戒をしていたが、それがなかった。
陸軍上層部は中華民国の首都南京で片をつける気だと考え、南京攻略司令官に史実と同じ松井石根大将が就任して決戦に備えた。
しかし、中国上層部の考えは違っていた。
「南京を放棄する」
1月31日から僅か二日後の2月2日、中国の国防最高会議で首都を重慶に移すことを決定。
蒋介石、夫人の宋美齢、何応欽軍政部長、白崇参謀総長等とその他幕僚達と共に、漢口へ逃れたのだ。
残ったのは中国軍10万と一般市民だけだった。
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