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喜劇のはじまり


「ねえ、あなた。おかしいと思わない?」

「おかしい?何がです?」


あれからリリアンヌとカルマの2人は、ひとまず王宮内の客間に通された。

今は出された軽食と飲み物をありがたくいただいている。殿下はもうすぐ戻られるらしい。時刻はもうすぐ午前0時。舞踏会の夜は長い、会場はまだまだ熱気に包まれているのだろう。私たちは殿下の受命で途中退場をした、という形になる。あ、このコーンポタージュ美味しい。・・・じゃなくて。この状況、どう考えてもおかしい。リリアンヌは訝しげに目を挟め、じっと窓の外を眺めた。

だって、王宮に泊まっていってなんて、婚約者とその浮気相手をもてなす人がどこにいるっていうの。殿下、頭でも打ったんじゃないかしら・・。


しかもこの高待遇。


そして貴方も、何がです?って、この状況に何とも思わない鈍い従者だと思わなかったわ!


「もういいわ。はあ、一体殿下は何をお考えなのかしら・・」

「殿下は、そのセリフそっくりそのまま返したい心地でしょうね」

「ん?何か言った?」

「いいえ何も。そんなに顔を顰めて、考えてもしかたないですよ―――だってここは()()の中なんだから」


感情が乗らない声色で放たれたカルマの言い回しになんでか胸がちくり、と痛んだ。

静かに縁取られた猫目が、目の前に座るカルマを見つめる。糸のように目を細めて微笑む従者の表情が、イシュネ殿下と重なった。はっとして、無意識に瞬きが早まる。じわりと額にほんの少し汗がにじんだのが分かった。


「とりかご・・?」

「ええ、王宮は警備も手厚いですし、簡単に抜け出せません。だったらおとなしくしておくのが一番ですよ」

「ああ。そ、そうよね」

「あ、このクッキー。リリー様がお好きなナッツが入ってますよ」

「ほんとね・・いただくわ」


カルマの言う通り、余計なこと考えるのはやめよう。雑念を振り払うようにぶんぶんと首を横に振る。

なるようになれ、だわ。

結果良ければ、すべて良しとしよう。婚約破棄の目論見は、これからが本番だ。


リリアンヌはクッキーを口にいれた。美味しい。ほんのりあまいバターの香りとナッツの食感がたまらない。もう一枚、と手を伸ばす。

コンコン、と扉がノックされた。「僕だ、失礼するよ」と、扉越しに凛とした声が聞こえ扉が開く。


涼しい顔のイシュネ様がそこにいた。

「リリー、お待たせ。今日は待たせてばっかりですまないね」

白地にゴールドの刺繍が施された衣装が神々しい。それは王位第一継承者にしか与えられない特別な正装。この正装がこんなに似合うのは、きっとこの先もずっと殿下だけなのだろうと確信してしまうほど、全てが完璧な人。完璧すぎて恐ろしい人。

・・・そんな人と結婚するだなんて、まっぴら御免だわ。

ソファから立ち上がり、淑女のお辞儀をする。

「とんでもござません、殿下。このような食事もご用意していただき、ありがとうございます。―――それで、あの・・」

リリアンヌは、カルマもといリンクの横にさっと移動をする。

「こちらがリンク・アノサンダー、ナピタ公国の宝石商人をやっておりますの」

「殿下、お初にお目にかかります。リンク・アノサンダーと申します。本日は、このような場にお招きいただき、誠にありがとうございます」

カルマが紳士らしく一息で言い終える。いいわよ!カルマ。とってもいい感じ。

だってほら!殿下、豆鉄砲を食らっているみたいな顔をしてる!


「インワルド国の第一王子、イシュネ・リバー・カーライルと申します。こちらこそ、本日はありがとうございました。お楽しみいただけたのなら幸いですが、いかがでしたか?」

「はい、とても有意義な時間を過ごすことが出来ました」

ふうん。可愛い令嬢たちに囲まれていたものねぇ。

「それは良かった。ナピタ公国とは、これから深く関わっていきたいと思っているのです。その時は、お力添えしてくださいね」

「ええ、微力ではございますが尽力させていただきます」


え、なぜ温和な雰囲気が漂っているの・・?

彼は浮気相手なんですのよ?殿下。

リリアンヌはリンクの腕をくいっと自分のほうに引き寄せた。

見せつけるように頭を傾け、リンクにぴったりとくっつき正式な婚約者に向き直る。


「で、殿下!あのっ」

緊張で声が上ずってしまった。いつになくそわそわするリリアンヌらしからぬ様子に、イシュネが心配そうにこちらを見つめる。

「どうしたの?リリー」

「あの、以前にも、お伝えしたことですが・・わたくし、リンクのことが好きなのです!」

「ああ、そうだったね。うん、覚えているよ。それで?」

「え、え?そ、それで・・」

それで・・とは?何をおっしゃっているの?

どうして狼狽えないの・・?断罪しないの?


「えっと彼・・リンクのことが好きだから、殿下とは結婚できませんのっ!」


聞こえていないはずはないだろうけど、殿下があまりにも平然としているから、まさか忘れてしまったのかと、リンクが好きであるということをもう一度伝える。






「・・・でんか?」

数秒間の沈黙のあと、殿下の上品な笑い声が客間に響いた。

リリアンヌに向けられたコバルトブルーの宝石みたいな瞳が、温度を無くす。

その瞳に見据えられて、一瞬、呼吸を忘れてしまう。


リリアンヌが怯んだ様子に形の良い唇が満足げに弧を描いた。

「君は、とんでもない悪女だよね」

いつの間にか絡まっていた腕は解かれ、サージャン家の従者は一歩、二歩もリリアンヌから離れたところにいた。


「君の行動力には、いつも驚かされる。ここぞというときの頭の回転の速さは、僕が知る人間の中で貴女が一番だ」

一歩ずつゆっくりと、イシュネのすらりと長い脚が前に出る。反射的にリリアンヌも後ずさる。

「こんなシナリオもよく思いつく。本当に貴女は見ていて飽きない」

リリアンヌの瞳に焦燥の色が差した。一瞬だけ。すぐさま淑女らしくゆったりとした笑顔を作り直す。その所作にイシュネは心の中で賛辞を送る。

「シナリオ・・?なんのことでしょう?」

「ああ。まだ劇を続ける?それもいいけど、そろそろ僕の番かな」

薄ら笑いを浮かべたイシュネが、テーブルの上に置かれた赤紅が付いたカップを手に取った。さっきまでリリアンヌが紅茶を飲んでいたカップだ。3分の1ほど残っていたのをイシュネが飲み干す。

リリアンヌの紅が乗った唇が引き結ばれた。怒りと羞恥心で顔が熱くなるのがわかる。

劇?なにそれ。高みから見下ろされている気分だ。悔しさで奥歯を噛みしめる。


「最初こそ驚いたけれど、2回3回と続くにつれて、次はどんなストーリーが待っているのだろうかと、楽しみで仕方なかった。今回のも最高だった」


焦りから、リリアンヌの呼吸が早く深くなる。アメジスト色の瞳が小さく左右に揺れていた。


「僕から送られたドレスを着ながら、別の男にエスコートされて、ファーストダンスも踊ってしまうなんて」


ぜんぶ、みてたの!?


じりじりと距離が縮まる。とんっと、リリアンヌの背中に冷たい壁が当たった。これ以上は下がれない。

殿下が、後ろの壁に片手をつく。顔一つ分も違う大きな背。見下ろされ、さながらライオンにロックオンされた小動物のよう。


「婚約破棄を一生懸命画策するあなたが、愚かで可愛くて仕方ないよ」


リリアンヌの猫目が大きく開く。なんで?どうして?いつから?


イシュネの空いているほうの手が、リリアンヌの頬を撫でる。その長い指が陶磁器のような白い首筋をなぞり、顎をクイと持ち上げた。

リリアンヌは助けを求める思いで従者に視線を送った。え・・・?そこに一切の感情が削ぎ落された表情の従者がいて、リリアンヌは息をのむ。もしかして・・。

「か・・かるまっ・・?あなた、」

グルなの・・?

その瞬間、イシュネが勝ち誇ったように目を細めた。

「彼は優秀な従者だね、リリー?」

「は、なしてください!」


王族に対する敬意も忘れて、リリアンヌは声を上げた。イシュネの腕を掴んで、押し返そうとする。なのにぴくりともしない。歴然とした力の差に唖然とする。

それでも諦めずに抵抗し続けていると、イシュネの力が一瞬弱まった。そのすきに従者に駆け寄った。


「カルマ!あなたは私の従者でしょう?」

「ええ、そうですお嬢様。私はあなたの忠実な従者です。そして、主人が歩くべき道を照らすのが従者の仕事です」

「どういう・・」

「さきほど申し上げたでしょう?ここは鳥籠ですよと」


床にぺたんとリリアンヌは流れ落ちた。カルマがそっと支えてくれる。すんでのところで、地面との衝突は免れたらしい。

あまり状況が把握できない。でも確かなことが一つ、私はまた負けてしまったのだ。殿下との勝負に。そんな、どうして。


その瞬間、耳元で囁かれた言葉がずっと頭の中で反芻していた。

『殿下は最初から、すべてご存じでしたよ』


全部、知っていた?

キッと鋭い視線でイシュネに向き直ったリリアンヌの瞳にはうっすらと涙の膜が張っている。

ふっとイシュネの表情が恍惚に染まった。涙が零れない様に必死で感情を抑え込もうと抗う姿がたまらない。喉を鳴らして子猫を手なずけるように、手を差し出した。



「いつまで別の男に支えられてるの?さあおいでリリー、決着をつけようか」





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