ワルツを踊ろう
馬車に揺られること1時間、ようやく目的地へと到着する。いつもなら30分ほどで着くのに、今日は道が混んでいたみたい。
完全に止まった馬車から降りる際、慎重に地に足をつける。
高めのヒールだから脚が震えてぐらつくかなと思ったけど、案外大丈夫だった。
あのお茶会の後、この日のためにとイシュネ様が計らってくれた淡いふんわりとした黄色のドレスに身を包んできた。あんな失礼なことを言った後の贈り物、殿下は何を考えているのだろう?なんだか腑におちないし、ちょっとこわいけど、ここはお気持ちに寄り添っておく。
そう、あれから早1ヶ月、私は運命の舞踏会その日を迎えた。
―――いよいよだ。
リリアンヌは、1時間道中を共にしたタキシード姿のカルマ、もといリンクの腕に手を添えた。
行き交う貴族たちが、とっても煌びやかで眩しいくらい。リリアンヌはこういう場はあまり得意ではなかった。気疲れしちゃうし、脚がいたくなる。だから極力避けてきた。どうしても参加しなければいけない時は参加していたけれど、億劫で気が滅入る。でも、今日はそんなレベルではない。胃の底から冷えあがっている。理由は言うまでもない。いろいろが重なって押しつぶされそうになっているけど、こんな時こそ堂々と胸を張っていなきゃだよね。
ばっちり、打ち合わせ通りに。ね?カルマ。ちらりと横を見れば、微妙な表情のカルマがいた。唯一触れている腕から僅かな震えが伝わり、緊張しているのが窺える。大丈夫よ、カルマ。そして本当にありがとう。この舞踏会が終わった暁には、貴方の基本給を1.5倍にしてあげるからね。
ああ、これでようやく婚約破棄できるのね。そうしたら、一緒にサージャン家を守っていきましょうね!そんな想いを込めながらカルマを掴む手に力を込めた。長いけど、伝われ。
門前から豪華絢爛な装飾に彩られた王宮を見上げる。
足を踏み入れたら、ここが最終決戦地だ。
リリアンヌは深呼吸をした。
大丈夫、大丈夫。あんなに入念に打合せもした、練習もした。
―――覚悟は出来てる。
今日までの1ヶ月間は、リリアンヌの人生の中で一番色濃い1ヶ月だったと言える。
まず、2人はリンク・アノサンダーの人物像を練るのに3日を要した。
それから、急いでカルマの正装を仕立てた。加えて一応の変装のため 普段は身に着けない眼鏡も購入。すごく似合っていたから通常装備にすればいいのにって言ったけど、普段は全く着けてくれていなかった。ちょっと残念。
あと、ほとんど未経験だったダンスの練習も2週間みっちり頑張ってくれた。
そんな私たちに死角はない。あるはずがない。
「リリー様、逆に目立ってますよ。もう少し普通になさっていてください」
会場に入ってからすぐに腹ごしらえをした。腹が減っては戦はできぬって言うしね。
それからすぐ殿下を捜そうと、きょろきょろと会場全体の様子を伺っているとリンクに苦言を呈された。
リンク・アノサンダーは隣接するナピタ公国のとある男爵家の二男という設定である。敬語を無くして会話するのが難しいというカルマの意見、それと、なにせ顔が広いイシュネ様の範疇外必須という条件下でリンクはこの位置づけになった。ナピタ公国とインワルド国は隣接してはいるけど、深い関わりはないのだ。また、父の異母妹の夫がナピタ公国騎士団の元一員であったという事実から、私と繋がれなくはない絶妙さ加減がリンク=ナピタ公国出身の採用を決めた。
身分違いの恋に燃えるリリアンヌ、これまでのイシュネの御恩を裏切る行為、そしてリンク本人降臨!これだけの現実を突き付ければ殿下も首を縦に振ってくれるよね、絶対。じゃなきゃ困る。
なんだけど・・さっきから殿下が見当たらない。
静かに優雅なワルツが流れ始めた。不意に体がぽんと前に押される。
その軌道に並走したリンクが流れるように私の手をとった。
「一曲目、私と踊っていただけますか?リリー様」
「・・え?・・ええ、もちろん」
思わずイエスの返事をしてしまう。
強引に中央の方へと、誘われる。
まずは向かい合って礼、それからダンスが始まった。
え、ちょっと待ってよ、カルマ?
まずは殿下に御挨拶してからでしょう?
それに、ファーストダンスは婚約者と踊らなければいけないから、殿下と踊ることになってたでしょう?
シナリオすっ飛んでるってこと?!こういうサプライズはいらないのよ?!しきたりは重んじてよ!!
だけど、ダンスを承諾した場面を何人にも見られたリリアンヌはカルマを振り解くわけにいかなかった。そうしたらそうしたで、淑女、紳士エリートたちが集まるこの場において、どんな異名を流すことになるか想像に難くない。
殿下ではない男性にエスコートされている時点で、会場の注目度はただでさえ高いのだ。会場に入った瞬間から、無数の鋭い視線を受けている。ああ、もう!余計なことで目立ちたくはないのに!
「何を考えているんですか?リリー様」
低い声が、鼓膜に響いた。まるで直接脳内に囁かれたみたい。
ち、近いわ。不意打ちのそれに、背筋がゾクリとする。
すると、またカルマの吐息が耳にかかり、身を捩る。耐えきれなくて、距離を取ろうとするけど、出来なかった。そうだ私ダンス中だったんだ。
「で、殿下がどこにもいらっしゃらないのよ。貴方、見つけた?」
「いいえ、少し遅れてるんじゃないです?そんなことより、お嬢様。ステップ間違え過ぎですよ、さっきからずっと」
くつくつとカルマが笑う。リリアンヌは頰が熱くなるのを感じた。
なによ!だって、仕方ないじゃない・・ヒールが、高いのよ。見てわかるでしょう?
私が常日頃履いているのは、これの半分くらいのヒールなのよ。
ヒールが、
―――違う。
ヒールのせい
―――違うわ。
貴方が。
正装で、髪もきちんとセットして、眼鏡もかけてて、貴方が従者じゃないから。
いつもの冴えなくて地味で控えめな従者じゃないから。
どう接していいのか、分からないの。
だいたい、なんでそんな余裕気なの。場数をこなしてる私の方が焦っているじゃない。
なんで―――
「笑ってないで、殿下を探しなさい!全体に目を凝らすのよ。それと今後一切、予定に無い行動はしないで」
「仰せのままに」
ワルツの演奏が終わり1人、端に移動する。
喉がかわいたでしょう、とカルマは先ほど飲み物を取りに行ってしまった。
遠くにいる従者を視界に留めながら思う。元々スタイルは良いとは思ってたけど、カルマって原石だったのね。その証拠に、1人になった途端可愛らしいご令嬢たちに囲まれている。あら、笑顔が引きつってるわ。こういう時はお綺麗ですね、って褒め言葉でも言って手の甲にキスするくらいやらないと!そんなだからモテないのよ。
そう言えば、カルマと恋の話をしたことがなかったわね。
もしかしたら私が知らないところでぶいぶい言わせてたりするのかしら?
背後から令嬢たちの一際大きい黄色い声が立つ。
反射的に振り返ったリリアンヌの瞳に、誰もがうっとりするような端正な容姿が写る。
リリアンヌはごくん、と唾を飲みこんだ。
そこに居たのはもちろん、待ち望んだイシュネ・リバー・カーライル第一王子その人である。
イシュネはその長くすらりとした脚で、群がる人々の間に切り込みをいれた。
その脚は迷うことなく、リリアンヌに向かう。
「やあ、リリー。遅くなってしまった、ごめんね?」
「ご機嫌よう、殿下。謝らないでくださいませ。本日はお招きくださりありがとうございます」
「どう、楽しんでいる?」
「ええ、とっても。ドレスもありがとうございました」
「ううん、やっぱりリリーは淡い黄色がとても似合うね。こちらこそ、身を通してくれてありがとう」
その笑顔が、コバルトブルーの瞳の奥が、優しいはずなのになんか嘘っぽい。
ずうっと思っていた。会う度、愛の言葉を囁いてくれる殿下はきっと、私のことなんて本当は好きじゃない。あくまでも政略結婚。殿下は私を接待している感覚なのだろう―――。
私は駒にすぎない。使える駒だから、大切にするフリをしているのだ。殿下が欲しいのは私ではなく、お父様が築き上げた豊潤な人脈だ。
証拠なんてないけど、確信してる。これが女の勘ってやつなのかな?
「実は、急用ができて、すぐに出ないといけなくなった」
「何かありましたの?」
「ああ、ちょっとね。夜には戻るけど。だから今日は王宮に泊まっていって?そのほうがゆっくり話せるし」
「えっ?」
「心配しないで?リンク・アノサンダー、だっけ?もちろん彼も一緒に。ああ、もう時間だ。ごめんねリリー?またあとで」
「えっ・・で、殿下っ」
颯爽と消えたイシュネの後ろ姿が見えなくなってもずっとリリアンヌはイシュネの消えた方向を見つめ続けた。
なんで!どうして?パターンAはどこに行ったのよ!
っていうか、カルマは?!
なかなか戻ってこないカルマを見やると、まだご令嬢たちに足止めされている。満更でもない顔をして、イシュネ様が現れたことにも気づいていないようだった。
一大事だっていうのに・・!
ぐっと、リリアンヌの拳に力がこもる。
やっぱり基本給、減額するからね。このド阿呆従者!!