泡沫の恋
何を――。
ゆっくりと頭頂部に落とされたキスにリリアンヌは目を丸くした。
まるで慈しむみたいに。それは優しさに溢れた行為だった。
好きでもない相手にこんなことが出来る。
だって私(サージャン家)は、あなたの築く政にとても価値があるもの。
「馬鹿にしないでくださいませ!」
勢いよくイシュネの胸を押し返した。
私の震えた声にイシュネの瞳が縁取られる。
「好きでも無い相手によく、こんな真似が出来ますわね」
頭では分かっている。
貴族や王族の婚姻はそのほとんどが政略的なものであること。とくに第一王子であるイシュネにとっては、愛だの恋など必要はないこと。
有力な貴族令嬢の中でも、私が一番利用価値があること。
でも、私は――初めて会った瞬間、このコバルトブルーに恋をしてしまった。
貴方のせいで愚かにも、恋を知ってしまった。
そしてイシュネ様も私のことを好いてくださっていると自惚れていた。
すべては彼のシナリオだったのに。
本当にお転婆できまぐれな猫だな。
非力なくせに口だけは達者で、必死に無駄な抵抗をするところがとても愛らしい。
イシュネは、ふっと口角を上げた。
それが、彼女の気持ちをさらに逆撫でしてしまったらしい。
ぎゅっと引き結ばれた口元がわずかに震えていた。
「私は、ただの駒ですわよね?貴方のまつりごとにサージャン家の力が必要だから、私を手放してくれないんでしょう」
「何を言われても、されても手放す気はないが、君はもう少し立場というものを理解したほうがいい」
「そんなこと、わかっています!でも、私は愛の無い結婚は嫌なんです。殿下はっ・・」
そのどこまでも透き通ったコバルトブルーの双眸が大好きだった。
貴方が見つめてくれたら、笑ってくれたら、嬉しくて仕方なかった。
でも今は、視線が絡む度惨めになる。
「殿下は、私のことを愛していませんよね。そして、これからも愛してくれることはありませんわよね!私、成婚破棄も諦めませんからっ!」
その場にイシュネを残して、リリアンヌは部屋を飛び出した。
思いのたけをぶつけるだけぶつけたのにイシュネは顔色一つ変わらなかった。
どうして・・・私たちは、どうしてこうなってしまったのだろう。
長い王宮内の道のり、リリアンヌの胸の奥はチクチクと痛み続けていた。
また逃げてしまった。
一人になった部屋。イシュネはソファに頭を預けると静かに目を閉じた。
大神官立会の下行われた成婚を破棄することは、婚約破棄とは違いサージャン家でも、たとえ王族であってもいよいよ難しい。
だから、強行突破で結んだのだ。本来なら、婚姻の半年前に結ぶしきたりだったのを。
すぐどこかに行ってしまう君を、もう決して逃がさないために。
リリアンヌへの想いは、愛などという言葉一つで示すことなど不可能だ。
イシュネにも底が見えないのだから。
「どうすれば・・君を閉じ込めておける?」
君を攻略するのは
どんな政よりも、難しい。