ティータイム
『さあ次はどんな風に僕を楽しませてくれるんだい?』
貴方はどこまででも私を追い詰める。
とても優しい笑みを浮かべながら。
インワルド国で実権を握る数少ない公爵家の中でも、古い歴史を持つ我がサージャン家。その長女であるわたくしことリリアンヌ・サージャンが、この国の皇太子イシュネ・リバー・カーライルと婚姻を結ぶことは生まれた時からの決定事項であった。
ちゅんちゅんと、小鳥がさえずる優雅な昼下がり。
ここが、王宮の庭園でなければさぞ有意義な時間だっただろう。
そう王宮の庭園でさえなければ、だ。
「そろそろ観念したらどうだい?リリー」
苦笑いを浮かべた皇太子イシュネは目の前、まあるく吊り上がったリリアンヌの猫目の、その奥を見つめた。
その猫目もさながら、中身も猫のように気まぐれでお転婆なリリアンヌにイシュネは幾度となく手を焼いてきた。だから今日はそんな彼女を制する(正しく導く)ために呼び出したのだ。目に入れても痛くないかわいい婚約者様を。
その思いを知ってか知らぬか、イシュネの冷ややかな眼光にひるむ様子もなく、リリアンヌはお言葉ですが・・と赤紅がちゅるんと光る口角を上げた。
なぜか勝ち誇ったような笑みだ。優勢なのは自分だ、と疑いもしていない表情である。
いくらなんでももう少し敬うべきでは?イシュネはまた苦笑いするしかなかった。サージャン家がここまで大きい顔をするようになってしまったのは、我々王族にも責任がある。
「それは、こちらの台詞ですわ殿下」
お言葉ですが、と思っているのなら、そろそろ白旗を掲げてくれないか。
皇太子の気苦労は絶えない。
リリアンヌとイシュネも通う一流の血筋たちが集まるいわゆるエリート学校、王立エリーザ学園が長期休暇に入った春のとある日。
リリアンヌは王宮へと招かれた。しかもイシュネ直々だ。手紙の中の殿下の流れるように美しい筆跡を見た時、思わず「げっ」と公爵令嬢らしからぬ声が出てしまい、侍女のニーナに叱られたのは記憶に新しい。
「旦那様を通さずにこの手紙を渡してほしい、なんて。わざわざ従者まで寄こして、何事かと思いましたよ!」とかなんとか。手紙を届けに来た人物の特徴を聞いてみると、イシュネ様の護衛騎士コラット・アイリーンと合致した。将来騎士団を引っ張っていくリーダー候補の有望なコラットにこんな任務をさせるなんて、なにごとよ。
そう、いわゆる強行突破である。だってそうでもしなければ、たとえ婚約者であっても、この国の皇太子であっても、私とオンタイムで約束を取りつけることは難しい。なぜなら、私宛ての手紙は、全てまずお父様の目を通さないといけないというルールがある。あくまでも非公式だけど、殿下はその勝手をもちろん知っている。
お父様は忙しい。週の半分は家にいない。書類は溜まっていく一方だから、お父様フィルターを通過するのに1週間はかかる。しかも最低1週間だ。今回ばかりはイシュネ様はそのルールを了解できなかったらしい。こんなこと初めてだわ。
そのルールを設けた理由は、嫌な文面を見て私が傷つくことがないように、ということらしいけど。それならば、カルマにでも頼めばいいのに。と言ったら、お父様は高笑いをしながら首を横に振った。きっとお父様は自分の目で見て確認しないと気が済まないのだ。全国各地を飛び回り現場に足を運ぶことを怠らない、仕事におけるそういう姿勢からもその精神が窺える。だからすぐに、この件に関して意見するものはいなくなった。公式より強い非公式ルールである。自分で言うのもなんだけど、病的なほど娘ラブだから言っても聞かないし、仕方ない。
そんなサージャン家の事情はともかく、なぜ私が殿下とこのような優雅なティータイムを過ごしているのか、といえば。
休暇に入ってすぐ、私が殿下に向けてお出しした手紙が原因だろう。
その手紙にこう、したためた。
【申し訳ありません。他に想い人が出来ました。つきましては、殿下との婚約を破棄させていただきたく・・以下略。】
殿下のお手元に手紙が届いた翌日、コラットが直々に返事を持ってきたというわけだ。ニーナから渡された手紙の封を私はゆっくりと開けた。
お茶会を、しかも殿下と2人きりなんて本当に憂鬱だったけど、行かないわけにはいかなかった。
だって、手紙に書かれてあったのだ。「リリー、決着をつけよう」と。やってやろうじゃないの、殿下がその気ならば。
私と殿下は、何年も折り合いがつかないでいるのだ。
「それで?好きな人が出来たんだって?」
「はい、そのお方にゾッコンなのです」
「この僕に、よくもそんな堂々と言えるね」
「事実ですから致し方ありません」
「そうか」
「ですから、婚約破棄をお願いしますわ」
リリアンヌの凛と立つ声に、イシュネは笑みをみせた。
リリアンヌの悪あがきが始まってから5年。イシュネは本日5度目の婚約破棄の打診を受けた。
昔、理由を聞いたけど。まあ、単純に嫌ということなのだろう。彼女の意思は固い。蜜より甘く育てられた箱入り娘、一筋縄ではリリアンヌの心は動かない。
だからといって、王族の命に逆らう愚かなものなど普通はいないのだが。
「誠に申し訳ありません、殿下」
リリアンヌの目の前、盛大なため息が聞こえた。コバルトブルーの瞳にじろり、と見据えられる。やだな、殿下の目ちょっと血走ってません?物騒ですよ。
「もうこれが何度目かの問いかも忘れたけれど、リリーは僕との婚約を本気で破棄できると思っているの?」
「ええ、だって私はサージャン家の唯一の跡取り娘ですもの」
「そうだね。君はアラン公の一人娘かつ、箱入り娘の極みだ」
まあ、最後の一言は余計だわ。ふん、とリリアンヌは鼻を鳴らす。
殿下と私の折り合いがつかないこと・・そう、もちろん婚約破棄についてである。
「私が王家に嫁いだら、歴史あるサージャン家の未来が途絶えてしまいます。それは回避するべき事態だと思いませんか?・・・ああ、もし現在進行形のこの恋が終わったとしても、ありがたいことに、サージャン家に嫁ぎたい男性はたくさんいらっしゃるようなので、殿下との婚約を破棄することに何の問題もありませんわ」
イシュネは悟られないように薄ら笑いを浮かべた。
問題おおありなのは、もう突っ込まないでおく。
いいよ、リリアンヌ。君の気が済むまで、その足掻きに付き合ってやろうじゃないか。
「ああ、知っているよ。今でも国内外からアプローチを受けているそうだね?たしかに、公爵家でもひときわ富と力を持つサージャン家は、それは魅力的だよね。つまり君の想い人はサージャン家の養子に入るのかな?」
アプローチ?え?そうなの?口から出まかせだったのだけど。
「・・ええ、いずれ。その予定ですわ。」
「となると、その彼がアラン公の跡を継ぐのだろうね?今後僕たち王族との関わりもマストになるだろうから、ぜひともお会いしたいな。近いうちに紹介してくれる?そうだな、いつでもいい。至急、想い人にアポをとってくれるかい?・・・リリー?」
猫目を丸くしたリリアンヌの動きが停止した。これはパターンC?E?いえ、こんな展開は予行練習になかったのだけれど。ここは殿下がいながら、浮ついた心を持つ婚約者を断罪するところでしょう!え、違うの?
「・・いえ、それは。えっと」
「どうしたの?これは僕の命令だと、彼にそう伝えてくれていいよ」
「いえ、あの、か、、彼の学園はまだ休暇に入っていなくて」
「へえ、どこに通っているの?」
イシュネがおもむろにカップに口をつける。ごくんと、殿下の喉元を紅茶が通る音が聞こえるほど静寂さに包まれていた。
なぜ、私が押され気味なの?とても居心地が良くないですわ・・。
ううん、そうじゃない。
えーっと、えっと、
どこ?どこに通っている?
「私立の、あれですわ。あれ、なんて言ってたかしら?・・・やだ、忘れん坊リリーったら」
あはっと、拳を頭に当てるポーズをとった。痛すぎる。リリアンヌの空笑いが虚しいくらいに冷たい空間に響き渡った。イシュネがにっこりと微笑みを浮かべる。
「どちらの御令息かな?忘れん坊なリリーでもさすがに名前くらいは覚えているよね?」